BACK

 翌日から再び平穏な日常が戻ってきた。いや、正確に言えば自らの手で取り戻したといった所だろう。
 ここ数日まともに授業に取り組めていなかったため、これまでの遅れを取り戻すべく一限目から集中して取り組んだ。そして授業と授業の合間をヒロシとの無駄話には割かず、予習復習に試験対策と油断無く徹底した。自らをそこまで追い込むのは目まぐるしくて仕方なかったが、ヒロシの幽霊騒ぎとは違って建設的で意義のある忙しさであるから、気持ちは非常に充実していた。来週からはいよいよ試験が始まる。それまでに、このリズムを維持しておきたい。そのためには目標に向かってひたすら突き進む一心不乱さが必要だ。
 半日もヒロシを蔑ろにしておくとさすがに後ろめたいと思ったらしく、ヒロシは俺に対して遠慮するようになった。俺はあえてヒロシには遠慮させ存分に自分のペースを謳歌した。自分の態度を冷たいとは思わなかった。むしろ、火の玉の件で被った分を請求しないだけ寛容だと思う。いい加減将来設計も考え始める歳なのだから、ヒロシには自分の些細な行為が他人にはどれだけ迷惑をかけるのかを自覚して貰うべきだ。
 一日の授業が終わり、俺はノートを軽く整理し下校の準備をする。教室のベランダでは、俺には声をかけ難そうに同じ所を行ったり来たりするヒロシの姿があった。遠慮して貰う方が都合がいいとは思ったものの、さすがにそこまで萎縮されると胸が痛むものがある。準備が済むと俺は自分からヒロシの方へと向かって行った。
「ヒロシ、帰るか?」
「え? あ、ああ、帰ろう」
 ぎこちなく答え、いつもの何も考えていないかのような明け透けな笑みを浮かべるヒロシ。この人懐っこい顔には何度も騙されてきたが、分かっていても俺は結局許してしまう。ここで更に心を鬼には出来ないから、いつまでも下らない事に付き合わされる運命にあるのかもしれない。
「んじゃ今日はどうする?」
 そして帰り道、早速ヒロシはこれから遊びに行こうとばかりに話を振ってくる。俺から声をかけたのだからもう怒っていないのだ、とでも考えているのだろう。この短絡的な思考の切り替えも昔から成長がない。
「どうするも何も、本屋に寄って真っ直ぐ帰るさ」
「ん? 今日何か発売日だっけ?」
「漫画じゃない、参考書だ。それに夏休みも軽く問題集をやっておきたいから、今から少し物色しておかないと」
「少しくらい息抜きしたっていいだろ」
「今まで散々やっただろ。まだ足りないって言うなら、一人でやれ」
「うわ、友達に向かって冷て」
 そうへらへら笑うヒロシは、自身の試験対策など考えている様子がまるで見られない。それでいつも、補習授業のボーダーとなる点数で酷く焦り、結末に心底安堵したり、信じられないとばかりに声を荒げる醜態を晒すのだ。
「おっと、そうだ。忘れる所だった。ちょっと寄って良いか?」
「どこに?」
「カメラ屋。日曜日にさ、預けといたんだよ。ほら、あの時の写真」
「火の玉がぐるぐる回ってる奴か? 何かの仕掛けだろ、あんなの。何を今更」
「でもさ、オカルト雑誌に投稿すると賞金貰えるかもしれないんだぜ? 夏休みに遊ぶにしても、先立つものがないとな」
 それよりも期末試験を突破しなければ、肝心の夏休みに補習を受ける事になるのだが。
 またしても瀬戸際で狼狽するヒロシの姿を想像しながら、俺は溜息混じりにヒロシと商店街を進んだ。
 ヒロシはカメラ屋へ飛び込むとすぐに意気揚々と戻ってきた。その騒がしい様を目にした小学生達が口元を隠しながら小さく指を指し笑い合っている姿を見つけてしまい、俺は釣られて笑うまいと口元を強く結ぶ。そして小声で無駄に騒ぐなとやや強めに諭した。
「そういえば、テストも合わせて二枚しか撮らなかったんだよな。これってもう使えないのかな?」
「使えないだろ、普通」
「なんか勿体なかったな。ま、いいや。それよりも肝心の出来映えは」
 そしてヒロシは早速現像された写真を封筒から取り出して見る。
「……ん?」
 その直後だった。写真を見たヒロシは急に目を見開くと、かじり付くように写真によってまじまじとにらむ。それから徐々に表情が強ばり始めた。
「どうした?」
「ト、トウマ……これ」
 ヒロシから押しつけるように写真を渡され、俺もそこに視線を落とす。
「……え?」
 そして俺もすぐにヒロシと同じ表情でその場に凍りついた。
 写真に写っているのは夜の墓場の風景だ。中央からストロボの光に照らされ、墓石や卒塔婆といった墓地にあるべきものが分かるぐらいには見える。ストロボの中心以外はほとんど輪郭程度だが、墓石の色まではっきり分かるほど鮮明に写っているものある。
 住職の孫はもっと上の方にいたのか写真には全く写っておらず、火の玉も見る事が出来なかった。ヒロシがうろたえながら撮影したのだから、ろくに焦点も合わせられていなくて当然だろう。証拠写真のつもりで思わず撮影したのだろうが、この出来では一蹴されてしまうだろう。
 問題は別のこれだ。
 写真の中央付近に建つ、一つの墓石。二畳ほどの敷地を乳白色の石の垣で囲い、地面を白い碁石のような滑らかな石を敷き詰めている。墓石は明るい灰色で、傍らには観音像や金属製の飾りまで設けられ、石碑のようなものまで端に写っている。
 如何にも金をかけているといった豪華な墓である。だが、そこには明らかに不自然なものが写っていた。丁度墓石の後ろ側、そこから小学校へ入学しようかという年頃の男の子が上半身を出してこちらをじっと見ているのである。
 肌の色が白すぎるとか、何もない暗闇のはずなのに何故こちらを見ているのだとか、そもそもこんな時間に子供が一人で何をしているとか、一瞬で様々な疑問が頭を駆け巡った。しかし、慌てて俺は思考にブレーキをかけた。これが超自然的なものだと言い始めると、また同じ事態を招きかねないからだ。
 だが、それはもう手遅れだった。先に見てしまったヒロシは既に考えをまとめ上げていて、次の段取りを決めているかのように至極当然との振る舞いで意味深に切り出してきた。
「なあ、トウマ。これって、今度こそ本物じゃないのか?」
 その言葉は、俺にとってはそれこそ写真に写っていたものを間近で見ているかのような背筋が凍える心境であって、またあれが起こってしまうのかと恐る恐る顔を上げヒロシの方を向く。
「今夜さ、ちょっと確かめに行かね? いや、ちょっとだけだって、続きは試験後まで待つからさ」
 屈託のない笑顔を浮かべるヒロシ。その笑みは俺にとって、またしてもろくでもない事に誘おうと微笑んでいるようにしか見えなかった。