BACK

 彼女とは随分奇妙な関係を築いてしまった。そんな事を思いながら、火曜の朝もいつも通り教室へ入った。彼女は相変わらず一人自分の席でノートを開き、誰とも口を聞いていない。そして僕も一瞥しただけで特別声をかけることもなく、ランドセルを置いてすぐ校庭へと飛び出した。
 最初は、彼女があまりにおかしな事を言うものだから諫めるくらいの気持ちだった。図書室で彼女に誘われ団地まで付き合ったのも、虚言を止めさせるためには必要な事だと思ったからに他なら無い。
 けれど、今となっては目的が大分変わってきている。勿論、彼女を真っ当な道へ更正させようという大筋に変わりはないが、それ以外にも彼女の言うこの平和過ぎる町で起こったという七つの事件に、僕は強い関心を持っている。毎年夏休みが近づく頃になると必ずテレビで放送される心霊特番、そこに出てくる何かにまつわる七不思議と同じ印象だ。本来なら全く知らなくてもいいし、知ったところで後々気分が悪くなるのは同じ、そして一つでも知ってしまうと全て知らずにはいられない脅迫観念が沸き起こるのも同じだ。
 ややもすれば、放課後に人知れず彼女と付き合う目的が当初から変わっているのではないかという懸念さえ生まれる。僕は、決して、過去の悲惨な事件の回想に対する下世話な感情でこんな事をしているのではない。その強い否定があるあまり、頭を過ぎり始めたばかりの推定、彼女は誰かを殺そうとしているという仮説を断定し、それを思い留まらせようと自らに強く決意させている。そんな自己矛盾に気づいている背景もあり、尚更僕は自分の中の比率が分からなくなり恐れている。
 火曜日の授業も、給食の牛乳が業者の手配ミスにより届くのが遅れたくらいで、特に何事もなく終わった。昨日から事件の続きが気になるせいで、授業は話半分にしか聞いていない事が多く、授業だけでなく学校そのものが終わるのをただひたすら待ち続けているという感覚が強かった。それだけ七大事件に対する関心が強まっているにも関わらず、僕は校内での彼女との距離はこれまで通りを固持し続けた。
 友達からの誘いも断り、僕はまた独特の距離感を保ったまま彼女と学校を後にした。校外ではあれだけ親しく話しているにも関わらず校内では厄介者を見るかのような距離を取ることに、彼女は何も言ったことはない。何故何も言わないのか気がかりではあったが、現状の構図が最善と思う僕にとって見直しは避けたい事態であり、僕からも切り出すことはしない。
 彼女の足は町の西側の郊外へ向かっていた。その方角には峠とは比べものにならないほどの山地が横たわっているにも関わらず、この町でも特に綺麗に舗装された道路が通っている。理由は単純で、その先には町営の野球場があるからだ。僕が生まれた頃にはもう建っていて外観から大分年季が入っているが、作り自体はまだまだしっかりとしている。球場については、いわゆる箱物だと大人が噂しているのを聞いたことがある。良くは分からないが市立プールが出来たのと同じ理屈なのだろう。
「今日は球場?」
「そう。もしかして知ってる?」
「いや。ただ、この方角で人が集まりそうなのはそれぐらいしかないからね」
 予想通り、今日の目的地は町営球場のようだ。
 この小さな町には、田舎に似つかわしくないほど大きな球場が少し離れた所に建っている。グラウンドは町の人口のほとんどが収まりそうなほど広く、得点はしっかりと電光掲示板、照明も強力なのがあって夜間でも使用出来るし、ベンチ裏には控え室や解説室など一通りが揃えられている。テレビ中継で見る東京ドームと比較すれば見劣りはするものの、機能自体は同じではないかとすら思える。当然だが、老朽化の兆しが見え始めたとは言ってもやはり子供に解放してあるはずもなく、使えるのは町の夏祭りのイベントや大学生の練習、時々高校生の練習試合ぐらいのものだ。何でも使用料がかかるらしいが、それがかなり酷い金額との噂だ。
 公共施設ではまだまだ稼ぎ頭の町営球場、野球を初めとするスポーツの興業やイベントの盛況イメージが強いが、そんな場所で一体どんな事件があったのだろうか? 僕は歩きながら様々なイメージを巡らせた。
 だが、僕は今の自分の感情にふと気が付いた。何故、本来なら厳に慎んだ態度を取るべき陰惨な事件に対し、野次馬根性を露にした期待感を持っているのだろうか? 本来の自分とは思えない軽率な態度に驚き、強く強く針で刺し貫くように戒める。
「球場って言えば、去年。イースタンリーグの試合があったよね。父さんに連れてって貰ったけど、知ってる選手いなかったなあ」
「河村君は野球好きなの?」
「特別にって事もないよ。ま、みんな騒いでたからそれに触発されてって感じで。沢本さんは野球はどこのファン?」
「私、野球のルールは分からないの」
 言われてみれば、男子と違って女子は野球の話題に食いついた所を見たことがない。ソフトボールの経験者でもなければ野球のルールなど一生知らないままでいるのがほとんどらしいし、さほどスポーツのイメージがある訳でもない彼女と野球が結びつく事の方が無理がある。
「やっぱり事件は野球絡み?」
「そう。でもプロ野球の選手じゃなくて、大学生だけど」
 確か近隣の大学のサークルが球場を利用する事があるそうだ。友達の兄弟で一番上の兄が大学で野球をやっていて、そんな話を聞いたことがある。費用を大学が負担するのか自分の小遣いかはよく分からないけど、大学生でも子供とは違って経済力があるからなのだろう。
「今から八年前。よく練習試合をしていたチームがあって、その試合前の練習中の事。一人の控え選手が素振りをしていたのだけど、そこに後からやってきた選手が迂闊に近づき、バットが運悪く頭に当たってしまったの。死因は脳挫傷、場所が場所だけに救急車が来るのも遅くて手遅れだったわ」
「良くある、って言うとおかしいけどさ。練習中の事故じゃない?」
「そう。素振りをしていたその人も声も何もかけられなかったと証言しているから、おそらく驚かせようとして無言で背後から近づいた結果招いた事故じゃないかと最終的には決着したの。でもね、おかしな点も幾つかあるのよ」
「おかしな点?」
「加害者と被害者はさほど親しくはなかったの。そんな間柄でおどかそうとなんてするかしら? 大学生にもなって、素振りをしている所に近づくのが危ないなんて思わないのもおかしいわ。それに、事件直後は目撃者どころか球場には二人以外に誰一人いなかったの」
「誰もいないことがどうして不自然なの?」
「この事件が起こったのは一月の朝六時過ぎの事なの。球場にまで来て練習するような時間かしら?」