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 これで六つ目。
 彼女から教えて貰った、この町で起こった七大事件。今日でその内の六つになり、残す所は後一つである。
 自分を殺人犯の心理と重ねたがる彼女を、どうにか更生させるべく始めた対話。未だ更生には達していないものの、彼女との距離は縮まり理解も深まっている。彼女はコミュニケーション能力が低いため、遠回しで難解なアプローチしか出来ない事。彼女が僕に訴えているのは自分が人を殺そうとしている事。そしてその相手は彼女の父親で、彼女は時折暴力を奮われているらしい事。
 彼女は自分の父親を殺したいほど憎んでいるが、まだ心のどこかで躊躇っているから僕に打ち明けたのだろう。彼女がどちらの道を選択するかは僕次第である。僕が言葉を誤れば彼女は初志に従うだろう。成功の是非に関わらず、その先には何も良い事は無い。僕がするべき事は、呪縛とも言うべきそれから彼女を解放してやる事だ。殺意だとか憎悪だとか、これほど非生産的なものはない。彼女にも周囲にも何一つプラスになるものはないのだ。
 人が変死して長く放置されていた場所という事も忘れ、僕は腰を下ろしたまま時間ばかりが過ぎていくのを感じていた。彼女の体重は未だ僕の肩先にあり、僕の視線はそれと真逆を向いている。照れや恥ずかしさ以前に、僕は彼女の方を見られなかった。人を殺したい、それも実の親を殺したいと思うほど憎む彼女の胸中を知り、今どんな顔をしているのか、とても直視出来なかったからだ。比べた僕は、ちゃんとした両親が居て生活にこれと言った支障を感じたことは無い。そんな僕が彼女のような人間に対して、更生だ何だと上から物を言うのは果たして正しいことなのか、そんな不安すら感じ始めている。
 しかし、僕はそれでも敢えて退かずに最初の目的を果たすべきだと決心を固める。彼女の事情はどうあれ人を殺して良い道理は無いのだから、止める事を躊躇う理由も無いのだ。
 待合室で僕達はしばらくの間、そんな構図のまま無言で過ごした。どれだけ時間は経過したのかは分からず、手がかりになりそうなのは汚れた窓から差し込む夕日だけである。初めはそれも普段学校から帰るときの青白い色の強い光りだったが、いつしかうっすらと赤味を帯びていき、差し込んでくる位置も変わり始める。
 そろそろ暗くなり始めるだろうか。そんな事を考えていた頃、おもむろに彼女が口を開いた。
「ねえ、河村君」
「何?」
「今日、時間ある?」
「時間? まあ、あるけど」
 意識していたよりも近くから聞こえてくる彼女の声に動揺しかけ、僕は平素を意識しながら答える。
 僕の両親はいつも帰りは遅い。最近は仕事もあまり忙しくないようで比較的早いけれど、それが三日も続いた試しは無い。学校からも言われている門限には帰らないといけないのだけれど、家に両親がいない以上は僅かでも先に帰られれば問題は無い。
 僕の返答に小さく頷いた彼女は肩先から顔を上げ軽やかに立ち上がった。
「それじゃあ、これから行こ」
「どこに?」
「七番目の事件の場所」
 思わぬ申し出に僕は目を瞬かせた。図書室の件を除き、これまで現場巡りは一日に一カ所だったから、それが暗黙のルールだと思っていた。距離的な問題や下準備もあるかもしれない。重い話をするのだから軽々しく次と移っていいものか。そう僕は思ったが、すぐに好奇心が疑問を塗り潰してしまった。
「いいよ、行こう。場所はどこ?」
「帯ヶ森。丁度この道の先よ」
 帯ヶ森とは、確か自然公園と銘打った施設が作られている未開発の山林地帯だ。自然公園と言っても、未開の森の一地域だけ切り取って子供でも遊び回れるよう均しただけのもので、管理も運営も蔑ろにされたものだ。遊戯施設として成り立っておらず、あそこへ遊びに行ったという話は聞いた事が無い。
「なら急ぎましょう。少し遠いから、日が落ちてしまうもの」
「そうだね、急ごう」
 僕達は早速待合室を出て帯ヶ森へ向かい歩き始めた。普通に歩いても一時間で行けるかどうかの遠い距離のため、お互い幾分か早足で先へと進んだ。そんな長い距離を歩けばきっと、帰る頃には疲れ果てているだろう。気の滅入るような意見も理性からは出たが、それでも僕は七番目の現場へ向かう気持ちを揺るがせなかった。
 あんな誰も寄り付かないような森で、何か事件が起こったのだろうか? いや、そんな所だからこそ起こった事件があるというのか?
 本来の目的からかけ離れた好奇心も強く吹き出してくる。けれど僕は、決して反故にはせず必ず彼女を説得しようと、常に心の片隅にはその思いを置き続けた。