BACK

「あー、沢本さん? つまり、自分は殺人をするような人間と同じ心理状態にあると。だから、実際の事件の犯人の心理状態を調査して照らし合わせて証明したいと。そう言いたい訳?」
「要約ありがとう。それで大体合ってるわ」
 僕は驚きよりもまず、呆れたい心境だった。彼女の言っている事は幼稚と切り捨てる以前に、とてもまともとは言い難い。百歩譲り、有名なファッションモデルや映画女優への憧れが過ぎて自分を見失う事ならあり得る話だ。だが、よりによって殺人犯を重ね見るなんて。悪趣味と呼ぶにも酷い、犯罪者を崇拝する予備軍そのものだ。
 沢本紫の目には一点の曇りも無い。自分が殺人犯と同じ心理状態にあると信じてやまない目である。僕は彼女の心理を理解する以前に、どうしてそこまで品性を落としてしまったのかと嘆きたい気分だった。自分の前世がどこかのお姫様だとのたまうなら可愛げもあるだろうが、現世が実在する犯罪者に近しいなどとのたまうのは社会的に見ても大分危険だ。僕がつい足を止めてしまったのは、どうやら事態の予想外な深刻さに対する戦慄にあるようだ。
「一応、訊いておきたいんだけどさ。自分が殺人犯と同じだって思い始めた経緯はともかく、何でわざわざ検証するのさ? 未犯ならどうやったって証明は不可能だし、仮にやっちゃったとしてもそれは証明を理由にするんだから矛盾するよね。そもそも犯罪者に似てるってなっても嬉しくないよ。同じ人殺しなら戦国武将がいいし」
「そうね。そういう考え方もあるわね」
 そう彼女は涼しげな表情のまま軽く顎を揺らして見せる。僕が投げかけた疑問の意味を理解していないのか、その程度の矛盾など自分の崇高な考えの前では大同小異とでも言いたいのか。ともかく、僕がちょっとやそとっと正そうとした所で彼女の考え方はぶれそうに無い。
 さて、この深刻なほど反社会的な思想に傾倒しかけている彼女をどう扱うか。
 真っ先に思い浮かんだのは、面倒、の二文字だった。確かにそうだ、これが幼稚園からの親友なら一晩中でも切々と説得するが、彼女とは気がついたらクラスの片隅にいたようなレベルの関係である。有体に言えば、僕の人生とは何の関係も繋がりも無い、非常に希薄な存在だ。面倒だと思うなら何て事は無い、面倒なりに扱えばいい。危険思想を是正するのは子供の役割じゃないし、仮に全てが嘘で僕をからかっていただけならそれこそ相手にする理由が無い。
 しかし、僕の足は未だその場に留まったままだった。自分が殺人犯と同じ思想の持ち主だと嬉々と語るどうしようもない人間など、好き好んでわざわざ抱え込む理由は無い。けれど、僕はどうしても彼女をぞんざいに扱う事が出来なかった。真っ先に頭に浮かんだ面倒の言葉を噛み砕いたものが、物事を決定するスペースのような場所に広く陣取ってしまっているのだ。一般から見ればどうしようもない彼女でも、理解を深めてやれる人間になる事で是正する事が出来るのではないか。むしろ理解の無い大人に任せる方が事態は悪くこじれていく。交友関係が無い相手でも、むしろ希薄な関係の人間に親身になる事が尊い。そう、僕が最も面倒だと思うのは、こういったテンプレートな倫理観や道徳心だ。親切とは往々にして疲れるものだ。
「僕には良く分からないけど、そういう話は他にしない方がいいよ。絶対に面倒な事になるから」
「知ってるわよ」
「じゃあ、どうして僕にはあっさり話したの? 今まで一緒に遊んだ事もないのに」
「単純な理由。私が変な質問をしても、最後まで聞いてくれたから」
「話の途中で無視出来るはずないだろ」
「河村君は優しいのね」
「そうじゃなくてさ……」
 なるほど。どうやら僕の薮蛇だったらしい。思わずつきかけた溜息を慌てて飲み込み表情を引き締める。この程度の事実確認だけで早々に諦めてしまうほど、僕の道徳心は希薄ではない。面倒事に首を突っ込んでしまった事を再確認出来た僕は、次はどうやって彼女を捌こうか頭を悩ませた。悪霊に取り付かれるという表現がぴったりなほど妄執の虜となった彼女を説得するのは生半可な話術では無理だと思う。信心の問題だから、一つずつ段階を重ねて納得させていくしかないだろう。そうなると、まず射るべきは殺人犯に固執する一番の理由になるか。
 君は何故、自分と殺人犯とを重ねるようになったのか、そうしなければ気が済まなくなった切っ掛けは何なのか。この質問を可能な限り的確に、尚且つ心情の微妙なところに触れぬよう伝えられる言葉は無いものか。それを模索し始めた丁度その時だった。
「ん」
 小さく声を漏らしながら、彼女はそっと図書室の出入り口の方へ視線を向ける。僕もまたその意味する事を察知し耳を済ませた。聞こえてきたのは、如何にも教師のものらしいサンダルの足音だった。どうやら下校前の見回りにやって来たようだ。
 そろそろ本当に帰らなくてはいけない。その認識は彼女も同じで、広げた新聞を畳み手馴れた仕草で片付けてしまった。
 面倒な事になりはしたが、ひとまず今日はここまでだ。今まで気づかなかったが彼女は毎日ここに来ているようだし、続きはまた明日に改めて行う事にしよう。そう思い僕もまた帰宅するべく自分のランドセルの元へ戻り持ち上げる。すると突然、
「河村君、今日この後に時間ある?」
 背後から彼女が質問を投げかけてきた。
 唐突な申し出に、僕は振り向くものの返答を保留し首を傾げる。彼女はそんな僕の様子から意図を汲み取ったのか、自分から目的を明かす。
「さっきの話の続きをきちんとしたいの」
「ベランダから突き落としたってあれ?」
「ううん、別な方」
 他にもあんな事件ばかり調べているんだろうか。殺人事件などこれっぽちも興味は無いし、そんなものを嬉々と語られても正直僕は困る。だが、そういう話の内容や傾向に彼女の歪みの原因がきっと潜んでいるんだと思う。どうせいつもの如く予定は何も無いのだ、じっくり話せる機会があるのなら望む所だし、それを彼女から向けてくれるのなら断る理由など無い。
 僕は勢い良くランドセルを背負い、彼女に向かって答えた。
「いいよ。それで、どこへ行くの?」
「第三工業団地跡。内容は途中で話すわ」
 そうしれっと口にし、彼女もまたランドセルを背負う。
 僕は安易に答えた返答に対して急激に後悔を覚えた。第三工業団地跡。そこは、やれ亡霊だやれ自殺だの類の噂が絶えないような場所だからである。