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 第三工業団地跡は、通学路からも外れた街の外れに位置している。
 かつて隣町に工業系企業の製造工場が誘致される話が持ち上がり、その経済効果に期待した町長が従業員の社宅用に建設したものだ。しかし実際は企業との裏取引があり、町長は賄賂を貰った事が明るみになり失脚、企業もその事件によるネガティブなイメージを払拭出来ずに経営に行き詰まり破産、結果的に使われず所有者不在のまま建物だけが残った。というのが、僕がその建物について知っている聞きかじりの情報だ。けれど、特定の企業に対して町の予算を使うなんて聞いた事が無いし、もしも本当にやるならもっと別な事を連想する建物名をつけるはずだ。単に経営がうまくいってないのに大型の投資をして失敗、たまたま汚職が取り沙汰された町長の話が織り交ざっただけだろう。僕が生まれる十年以上前の話だから、噂に脚色は幾らついてもおかしくはない。
 子供の足にはいささか遠く感じるその場所まで、普段接点の無い彼女と歩くのは奇妙な感覚だった。見知らぬ土地を一人で歩くような気分である。それでも何かしら話題はあるため、どうにか間が持たせられる。
「沢本さんは普段この辺に来るの?」
「たまに。よく町中を散歩して回るけど、一時に行ける距離は限られてるから」
「こっち側は山しか無いからね。ビルでも建てばいいのに」
「ビルは無理だけど、来年から新道の建設が始まるそうよ。コンビニくらいなら出来るかも」
 でも、どうせまた同じチェーンだろう。こんな小さな町にテレビで見るような物が来るのは、そういう店ばかりだ。芸能人が来るなんて噂が立っても、決まってそっくりさんか聞いたことも無いような人である。もう少し栄えれば残るんだけど、と思いながらみんな都会へ出て行くのだろう。今のペースなら、間違いなく僕もそれに倣うだろう。
 僕の住むこの町は狭い。いわゆる過疎化が始まる寸前の規模だ。これという娯楽がある訳でも無く、移動するにしても電車は一時間に二本あればいいほど。改善する素振りもない。従ってみんなは自然と噂好きになるのだが、大抵小学校を終える内にひとしきり終え飽きてしまう。僕もどちらかと言えばその一人だ。
「ところで、団地跡には何かあるの?」
「あるわよ。現場が」
「現場?」
「殺人現場」
 まあ、それが目的で来たんだし、やっぱりそうだよね。
 さらりと口をついて出る言葉に僕はいささかも驚きを感じず、僕は口元を結ぶ。下手に反応してはならない。特に怪訝や嫌悪感を思わせる表情は駄目だ。彼女のような自分世界に傾倒しているタイプは、そういう機微には人一倍鋭い。
「あの団地って、昔隣町にあった工場の社宅用に建てられたって噂、聞いたことある?」
「少しだけ。けれど僕は嘘だと思うよ。社宅なんかに町の予算を堂々と出せるはずないし」
「確かにそうね。でも、実際に工場に勤めていた人が多く住んでいたそうよ。立地条件も良く、当時はバスも通っていたそうだから」
「なるほど。その辺の事情も脚色に一枚噛んだって訳か」
 幾ら娯楽が無いと言っても、信憑性も定かでないどころか全くの嘘や出鱈目ばかりが流通するのは、噂話そのものが過渡期に入った事の現れだ。僕のようにほとんど興味を失った人は大体がこの現状に嫌気が差したことが理由である。そして真相を知れば知るほど落胆し、益々噂話というものが下らないものに思えて来るのだ。ただ、僕のようにもう一つの楽しみ方もある。それは、噂話そのものを何かの化学反応のように捉え、始まりや由来などを分析する事だ。思わぬ事実に突き当たるのが楽しさなのだが、あまりに地味過ぎて意気投合出来る友人がいない事が問題である。
 やがて辿り着いた第三工業団地跡は、夕暮れも近い事が手伝ってか、文字通り廃墟以外の何者でもない独特の不気味な雰囲気を付近一体に醸し出していた。噂では聞いたことがあったものの、実際目にするのは初めての場所である。想像通りの寂れたおどろおどろしい雰囲気に、僅かに爪先が躊躇いで痺れる。
 団地の周囲は敷地の内外を区分けする塀があるものの、誰も管理する者がいないためとうに風化し寂れたそれは本来の目的も果たせなくなっている。錆付いた門は半開きで誰でも出入りが自由な状態だった。僕達はその間をすり抜け敷地内へと入る。
「こっちよ」
 すぐに彼女は僕を案内してくれた。彼女の足取りに迷いは無く、まるで以前にも来ていたかのような淀みの無い案内だった。これが観光地なら好感の一つも抱くのだろうが、彼女はこんな不気味な場所を歩き慣れるまで通い詰めたのかと想像するだけで、なんて悪趣味なのだろうとそんな思いばかりが脳裏を過ぎってしまう。
 非常階段は完全に錆び付いて、ちょっとの風にもヒステリックな鳴き声を出してたわむ。ここを登るのは耐久度的にも危険そうなので、僕らは通常の一般階段へ回った。こちらはコンクリート製なので未だにしっかりしているが、カップラーメンの蓋や使ったティッシュなどのやたら生活感のあるゴミが散らばっていて、如何にもここは見捨てられた場所なのだなと思わせてくれる。
 彼女は階段を一段ずつだが軽快な足取りで登っていく。僕も一段抜かしで後を追うが、脚力の差があるのかどうしても彼女に追いつくことが出来ない。当然エレベーターは動いていないため乗れないのだが、この脚力差を見なくて済むならそっちの方が良かったと僕は思った。
 やがて彼女が階段から通路へ抜けたのは五階まで上がった時だった。通路から見る外の景色は驚くほど高く、普段学校で見慣れた高さよりも更に高いように錯覚した。高さとは慣れなのだ、だから屋根に登ろうとする馬鹿がいるのだと僕は思った。
「ここよ」
 そして彼女がおもむろに立ち止まり、指を指す錆び付いたアイボリーのドア。表札は外されており、部屋番号のプレートもどこかへ飛んでいってしまったのか張り付いていた跡が残るだけである。鍵は掛かっていないらしくドアは半開きで、そこには吹き上げられて辿り着いたらしい枯れ葉や埃が小さく盛り上がっていた。
 無人とは言え、家屋の雰囲気を残すその部屋。しかし彼女は何の躊躇いもなくドアを開け中へ入っていった。この状況を大人に見つかったら面倒だなと思いつつ、僕も彼女の後へ続く。
 室内は典型的な2DKの構造だった。玄関の狭さは気になったが、バストイレが別なのは当時の水準から考えると若干豪華な部類に当てはまるかもしれない。新しい仕事に就いた若夫婦なんかには丁度良い物件だろう。
「ここが殺人現場?」
「そうよ」
 あっさりと答える彼女。素っ気無く答えられると冗談にも聞こえてしまうが、この雰囲気ではとても笑えそうに無い。それに、僕は別段霊感とやらがある訳ではないが、今居るここがそうと聞かされるとあまり気分のいい物ではなかった。