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 土曜日の授業は三科目で終わる。そのため、朝からクラス中が落ち着きがなくなるのはいつもの事だ。
 今朝もいつも通り登校してきた僕は、まず彼女の姿を探した。ただ、誰かにそれを見つかり指摘されるのを恐れ、出来る限り気づかれぬようさりげなくである。
 彼女の姿は教室の一番窓側の最後尾にあった。丁度僕と同じ席の列で、後ろに四つ目。真後ろの席は普段目に付きにくいから、僕もあまり彼女を見知ってはいなかったのだろう。姓名順でたまたま席がそこになっただけだが、これまであまり目立たなかったのは席順のせいだけではないとも思う。
 最後の授業が終わると同時に、数名のクラスメートが土曜日らしく一目散に教室を出て行った。すぐには帰らずだべっている組もあったが、その内容は大抵これからどこへ遊びに出かけるかの相談である。みんなが門限までかなり余裕のある土曜日は、僕にとって友達と思い切り遊べる貴重な日である。しかし今日ばかりは先約という事で誘いは断っている。
 僕は友人達が帰るのを見送りながら、自分も帰りの準備をしつつ彼女の席の方へ横目を向ける。彼女もまた僕と同じようにランドセルへ教科書を詰めている最中だった。朝に見て以来ずっと視界に入らないようにしていたが、割と普通の行動をしている事に僕は少なからず驚きを覚える。
 不意に視線が合い、彼女は表情を変えないまま少しだけ小首を傾げる。僕は声を出さず、あらかじめ決めている訳でもない合図を目で送ってみた。するとそれは意外にもあっさり通じ、彼女はそっと目を一度伏せて立ち上がるとそのまま誰にも何も告げず昇降口へと向かた。僕もすぐにランドセルを抱え教室を出るものの、彼女とは少し距離を置いてその後に続いた。僕は校内で彼女と言葉を交わすことにはまだ躊躇いがあった。今までなら何も考えずそれなりに会話は出来たんだと思う。けれど彼女が孕む歪みの部分が周囲に知られたくはないし、男女共に取っ付き難いと思われている彼女と僕が親しげにしていると見られれば、きっとその辺の理由を問いただされる事になって後々面倒だからだ。
 無言のまま靴を履き替え、また微妙な距離を取りながら共に外へ出る。僕が第一声を放ったのは、それから連れ立って敷地内から出た最初の路地付近だった。
「今日はどこへ行くの?」
「昨日と同じくらい遠いところ。惣社峠って知ってる?」
「うん、県道に出る途中の辺りでしょ。林ばっかりしかない」
「そこに使わなくなったタイヤの集積場があるの」
「へえ、もうちょっと近場にあったら遊び場には丁度良かったのになあ」
「河村君もそういう遊びをするのね」
 惣社峠は歩いて行けない事も無い程度の、非常に中途半端な距離がある。近くにもバス停はあるが、普段バスは使わないので時刻表は良く分からないし、その方角から通学している人もいるのだから二人で居る所にうっかり出くわす可能性もある。彼女はそこまで考慮しているかは分からないが、僕達はまた昨日のように目的地までひたすら徒歩で向かった。
 土曜日は給食が無いので、途中にあった小さな商店に寄り昼食を購入する。僕はカレーパンとハムロールと大瓶ラムネ、彼女は小さなアンパンとオレンジジュースと箱入りのキャンディを買った。
 惣社峠に入ると途端に周囲が薄暗くなった。ここは昼間も比較的交通量の多い道路なのだが、山を突っ切るように県道へ無理やり通しため周囲の開発がまるで追いついておらず、木々が鬱蒼と生い茂っているのだ。昼間でも薄暗いのは非常に不気味で、怪奇特番に出てくるような眩い幽霊が実に似合う風景である。日中はそう笑って歩けるが、これが夕暮れ時ともなればなかなか冗談では済みそうに無くなる。今日はあまり長居はしたくはない。
「何かお腹減ったね。さすがに昼時だから」
「そうね。もう一時になりそう。やっぱり、食べながら歩こうかしら」
「ん? 何か食べてるの?」
「ビターレモン。食べる?」
 彼女に貰ったキャンディで空腹を紛らわせながら、僕達は引き続き目的地を目指した。土曜の昼下がりにこうして長い距離を歩くのは、去年にあった遠足の練習を思い出させる。一列に並んだ生徒が歩道を真っ直ぐ行進する様は、今思い出しても滑稽の一言だ。しかし引率する先生にとっては笑い事では済まないだろう。特に、一番若かった副担任の新任教師は常に隊列の動向を監視するため、列に沿った前後を言ったり来たりしていたのだから。
「ねえ、河村君。この町って平和だと思う?」
「平和じゃないかな。これといって凶悪事件もないし」
「凶悪事件が無ければ平和なの?」
「どこからが凶悪なのか、線引きが曖昧だけどね。でも事件て言ったって、せいぜい変質者が見世物するぐらいじゃん。平和じゃないかなあ」
「そう」
 短くぽつりと呟くような答え。彼女はどこか納得がいかない雰囲気に、僕には見えた。考えてみれば、そもそも事件云々が絡むような話題では主張は対立する間柄なのだ。それは向こうもとっくに承知済みの事なんだから、不満に思うくらいなら初めから質問しないで欲しいと思う。
「沢本さんは平和だと思わないの?」
「思わないわ」
「どうして?」
「思えないもの。平和って思えるのは、大人達がそういう事実を子供達に伝えないようにしているだけだから。少し調べると、どれだけ都合の悪い事を知らずに暮らしてきたか良く分かるわ」
「ふうん」
 先週テレビでやっていた映画と重なるセリフだ。いわゆる政府陰謀論である。大衆を操作するには脚色という建前で都合良く編集し報道するのが最適だと言っていたが、幾ら何でも限界はあるだろうし労力も馬鹿にならないんじゃないかと僕は思う。仕事で忙しい大人たちが、わざわざ子供を騙すため一致団結しそこまでやるとは到底考えにくい。それに、子供がちょっと調べたぐらいで分かる事実を隠蔽する意味なんてあるのか疑問だ。
 そんな僕の疑念が伝わったのだろう、彼女は自分から更に言葉を続けた。
「多分、中学生ぐらいになったら自然と耳に入ると思うんだけど」
「何?」
「この町にはね、人が死んだ事件が七つあるの。七不思議みたいに、丁度ね」
「へえ、初めて知った。じゃあ今日のは三つ目?」
「そうよ」
「死んだって事は事故もあるの?」
「いいえ、全部灰色。形式的には事故のようだけど、実際は殺人らしいの」
 事件なんだか事故なんだかはっきりしない上に、真相そのものが灰色とは。彼女は作為的な解釈をしているのではないかと疑ってしまう。
 経緯はともかく、この町で人が死ぬような事件事故は聞いたことがなかったので、存在そのものに僕は驚きや関心を覚えた。けれど、そんな大事件があった事よりも空腹のストレスの方が強く、あまり気持ちは長続きしなかった。背後関係はどうだったとか疑問に思うよりも彼女から貰ったキャンディがあまり甘くない事が気にかかり、せいぜい七大事件は全部押さえておくと話の種になるかなあと思う程度だ。