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 鬱蒼とした木々に囲まれた歩道の無い二車線道路。そこを三十分ほど歩き続けた後、舗装されていない砂利の一車線道路を抜けてすぐの所に目的地であるタイヤ集積場はあった。
 木々の薄闇から抜けるちょっとした草原が広がり、その一角を有刺鉄線で囲んだ一帯が件の集積場である。薄暗いところを歩き続けたせいでやけに眩しく見えるそこには、その名の通り無数のタイヤが所狭しと積み上げられていた。出入り口には錆びた小さな看板が傾いて立てられており、ここがどこの業者の所有する場所なのかが記されている。しかし赤錆のせいで文字はほとんどかすれて読み取ることが出来ない。
 僕は早速適当な高さに積み上げられたタイヤに座り、買ってきたハムロールを開封してかじりついた。まずは空腹をどうにかしなければ、この見慣れない風景を視察する気にもなれなかったのである。
 夢中でぱくついてハムロールをあっと言う間に胃袋に収め、ようやく周囲に目を向ける余裕が出てきた。彼女は僕のすぐ隣の一段低いタイヤにハンカチを引いて座り、アンパンを啄ばむように少しずつ食べている。その楚々とした仕草に僕は、自分の食べ方は少々見っとも無かったなと反省する。
「今日は日差しがあまり強くないから丁度良かったね」
「遠出するのに?」
「それもあるけどさ。ほら、タイヤって日差しが強いと熱くなるからね。座るところも無くなっちゃうし、臭いもきついから」
 僕は自分の座るタイヤを叩きながら温度を確かめた。尻からも伝わる生暖かさは座る分には心地良いほどである。しかし、タイヤの弾力の無さや他のタイヤも見る限り、ここにはかなり古いタイヤしか集められていないようである。察するに、集積場と言うよりも邪魔になったタイヤを実質遺棄しているのか、もしくは所有している会社が既に無くなって野放しになってしまったのか、どちらかなのだろう。
「でも私はもう少し熱くても好き」
「僕も空気がもっと冷たかったらそうかも。あっ、タイヤは引っ繰り返さないように気をつけて。タイヤの内側って夜露や雨水が溜まりやすいんだ。特に沢山溜まっている時に、下手な体重のかけかたをして引っ繰り返すと、腐った水が思い切りかかっちゃうから」
「気をつけるわ。河村君は……もう遅いみたいね」
「何が?」
「手。タイヤの汚れで真っ黒になってるわよ」
「真っ黒って、うわ、本当だ」
 そういえばタイヤって妙に汚れが移るんだった。
 僕は買ってきた大瓶ラムネの封を切りビー玉を押し込む。途端に中からラムネが白い泡を立てて吹き上げ僕の手を濡らした。長い間揺られていた事をすっかり忘れてしまっていた。勿体無いと思ったけれど、手の黒ずみを取るには丁度良いと拭うついでに両手を軽くこする。
 随分長く歩いたせいか、一気にパンを食べた事もあって喉が渇き、僕はラムネを一気に半分ほども飲み干した。炭酸の強い刺激が舌を初めとする口内を縦横無尽に殴打し、その痛みで薄っすら涙も浮かんでくる。けれど、この苦痛に耐えるのが僕は好きだった。熱いものを食べた時のように、喉の奥まで続く炭酸の傷みが抜けていった時の開放感に何とも言えぬ心地良さを覚えるからである。その後間も無く、飲み干したそれらが逆流するかのようにゲップが込み上げてくるので、それを一気に開放するのもまた最高だ。しかし彼女の手前、ざっくばらんに振舞うのもどうかと思い、僕はそれだけはこっそりと隠すようにして出した。
「しばらくは退屈しないで遊べそうな所だね。結構広いし。それで、ここでは何が起こったの?」
 半分飲み干したラムネを置き、カレーパンを開けながら彼女に訊ねる。彼女はこくこくとオレンジジュースをストローで飲みながら、視線は相変わらず僕の方へは向けずに答えた。そういう連れない態度も今更どうこう言うほどでもないので僕は、炭酸は途中で飽きるしオレンジも良かったと今更思うだけだった。
「ここはね、昔はやっぱり子供達の溜まり場だったそうなの」
「だろうね。こんな絶好の場所、放っておくはずないだろうし」
「そう。だから自然と諍いも起きちゃうのよ」
「所有権争い?」
「それも、上級生と下級生の。同級生とは仲良くしても、学年が一つ変わるだけで全く別の世界の人間に感じてしまうから」
「ここで起こったのもそれなんだ?」
「今から十七年も前の話。当時の六年生と三年生がこの場所を取り合っていたの。それも何度か激しくやりあったらしくて、怪我をするのも一度や二度じゃなかったって証言があるくらい」
 一人っ子の僕は他の学年との接点は無く、確かに彼女の言う通り他の学年なんて赤の他人という感覚だ。だから学校行事などでどうしても顔を合わせなければいけない時は変に余所余所しくなってしまう。それで済むなら大した事ではないが、遊び場の取り合いに及んで来るとかなり切迫した状況になると想像出来る。接点が無い人間は赤の他人であって、赤の他人ならどこまでも過激になれる。僕も友達も経験こそ無いが、上級生に対する不満とかは時折持つし、その上誇張して共有共感する。多分この辺りがヒートアップの出発点だろう。
 別なクラスで学年間の問題があった事を去年聞いたが、その時は下級生の一人が上級生に何かプロレスの技をかけられ脱臼したらしい。そうなればPTAが血相を変え、お決まりの説教反省コースに案内されるだろうが、まずその生徒は心から反省はしないだろう。何かしら納得がいかない事があって及んだ事なのに、親達は基本的にそういう部分には言及せず結果だけを批難する。だから怒られた者は不満ばかりを募らせ、反省するどころかますます当事者間の溝は深まり新たな火種にすらなってしまう。
「六年と三年じゃ体力が違い過ぎるし、そういう事もありそうだね。それで、ここでは何があったの?」
「元々ここは三年生のグループが遊び場にしていたの。だけどある日、突然六年生のグループ、と言っても仲の良い三人組だけど、彼らが三年生のグループを追い出しに来たの。それも力ずくでね。だから怪我人が良く出たの」
「六年生じゃあかなわないよね、さすがに」
「そう。だから毎回三年生のグループは泣かされて追い出されたの。けれど他に遊び場が無くて行く所も無かった。だから三年生グループはある日、腹を決めて徹底抗戦する事にしたの」
「どうやって抗戦したの?」
「分からない。ただ結果的に、六年生の二人が先に逃げ出し、リーダー格だった一人は死亡したわ」