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「死亡?」
 思わず上擦った声を上げ問い返す。我が耳を疑いそうな言葉だったが、彼女は一瞥し、小さく頷き肯定の意を示した。
 僕は背筋に冷たいものが走り、今後は迂闊な声を出すまいと奥歯を噛み締める。子供同士のケンカがそこまで発展するなんて。骨折とかの大怪我なら考え得るとしても、生き死にまで及ぶのはもはやテレビの中の話だ。
「人が死んだのだから、当然警察も乗り出して本格的な捜査が始まったわ。三年生のグループは担任や家族に至るまで対象となり、徹底的に捜査が行われたの。けれど結局事件は解決しなかった」
「どうして?」
「三年生のグループの証言が一人として一致しなかったのよ。目の前で人が死んだのだから相当衝撃を受けていて、ただでさえ記憶が混乱している上に睡眠障害や軽い欝を訴える人もいたそうなの。PTAの反発もあり、聴取は満足に出来なかった。六年の二人は逃げ出したので目撃証言が得られなかったし、現場には証拠になりそうなものは何も残されていない。これじゃあ調べようがないわ」
「六年の二人は何で逃げたの?」
「三年生のグループが武器を持って待ち構えていたから、だそうよ。彼らもそうやって脅かして追い出す事が目的だったのは共通していたみたいで、そこは信憑性有りと判断されたみたい」
「でも、そこから人が一人死んだんじゃ、続きは簡単に推測出来るんじゃないかな」
「そうね。武器を持った大勢と丸腰の一人だもの。けれど、そこは明確には出来なかった。何故なら、警察にとって都合の悪い事があったからと言われてる」
「都合の悪い事?」
「三年生グループの一人が、身内の家族だったの」
「キャリア組の親戚の子供とか、そういう偉い人の?」
「そう。圧力がかかったのか、捜査本部の指揮官がそうだったのかは分からないけれど、結果的にこの事件は事故として片付けられたわ。そして残った二人は二度とここには近づかなかったし、当時の事も話したがらなくなったそうよ」
 随分とおかしな事件だ。そう僕は首を傾げた。あまりに展開がお粗末過ぎる。幾ら何でも背広組の身内だからと言って、殺人かもしれない事件の捜査を反故にするはずがない。関係者によって捜査内容が変わるのなら、警察なんて機能していない事になる。そんな事実はあり得ないと僕は思う。警察が機能してないなんて知れば、日本は無茶苦茶になってしまっているはずだ。
「何が起こったのか、推測がつく?」
 そう彼女はいつもの何を考えているのか分からない無表情で、さも恐ろしいことを言わせようとしているかのように訊ねてくる。あえてその誘いに乗るのならば、あくまで可能性という範囲で限りなく人間性を排除した残酷な手段を想像ぐらいは出来る。けれど、これは有り得ないと僕は思う。それは、精神的に成熟した大人ならともかく、子供に出来るような諸行ではないからだ。
「身内の子供が……あらかじめ捜査が骨抜きになる事を見越していたなら、どうにでもなるような気がする」
「たとえば?」
「全員が示し合わせた上で、リーダー格を徹底的に……いや、やめよう」
「どうして?」
「有り得ないよ。そんな事が出来るのはまともな神経じゃない。僕らと変わらない子供に、そんな事が出来るはずがない。十何年前って言ったって、それぐらいの善悪の基準が変わるはずはないよ」
「三年生のグループがまともじゃなかったら? 集団心理が働いて暴徒化すれば、一時的に普通じゃなくなるわよ」
「それなら、後から正気に戻った時に悔いて自首するはずだよ。こんなまともな神経じゃ出来るはずがない」
「じゃあ、どうすれば有り得るの? 実際に人は死んだのよ」
「……リーダー格は本当は逃げたかったのに意地を張って挑んでしまって、それが三年生グループにとっては想定外の出来事で、何かの弾みでうっかり当たり所が悪かったとか……」
「それで事故、という事ね。限りなく灰色。真っ黒なのに誰かのフォローで白が足されたみたいな」
「そうだよ。事故だよ、事故。そもそも圧力で捜査が打ち切られたとか有り得ないだろ。明確な証言は得られなかったけど、ちゃんと調べた結果事故だって分かって決着したというのが自然じゃないのかよ。第一、医者が立ち会ってない所で死んだら司法解剖されるんだから、死因で事故時の状況は解明出来るんだ。それすらも騙し切るなんて有り得ないよ」
「つまり、三年生のグループに明確な殺意は―――」
「有り得ない。そんなことはあるはずがない」
「有り得ない、ばかり言うのね」
「沢本さんがそれだけ変な事を言ってるんだよ。人間はそんなに簡単に他人を殺したりはしない。そうならないように言語を話すんだから。疑わしいからと言って、何でもかんでも殺人事件にするのはどうかと思うよ」
 僕は彼女の表情を読み取る事よりも、ただ自分の意見だけをひたすら押し通すように饒舌に喋繰った。正直な所、完全に彼女の推測が否定出来ないことが恐ろしかった。彼女の歪んだ価値観を是正するというよりも、自分自身に言い聞かせるかのように言葉の一つ一つが力んでいた。彼女の主張は一つでも認めてしまえばそちら側に引き込まれてしまうのではないか。道徳心の崩壊に歯止めをかける自信が無い僕にとってこういった事件の存在は、たとえ架空でも衝撃的過ぎる。
 熱く弁舌を振るう僕を彼女はマネキンのような無表情で見つめている。僕の言葉になど興味が無いかのようにすら思える無機質の視線、そんな仕草を見ていると、どうして彼女に僕は固執してしまったのか、彼女は僕を連れる事に意義を感じているのか、今の立場の構図が訳が分からなくなってしまう。
「もしも河村君だったらどうしてた? やっぱりケンカするの?」
「ある程度人数がいればね。勝算も全く無ければやらないよ」
「少人数じゃやらないんだ?」
「気持ちが継続しないからね。連帯感が無いとケンカなんてやれないよ。普段からしている訳じゃないんだから」
「もしも同じ事を自分の家にされたらどう?」
「どんな状況だよ。でも、本当にそうなれば戦うんじゃないかな。勝算が無くても。遊び場みたいに簡単に放棄出来るものじゃないし、大事なものを守るためならって事は誰でもあるはずだよ」
「理由があれば攻撃出来る。人間なら誰しもそういう気持ちがある。河村君はそう思うのね」
「引っかかる言い方だなあ。でも、出来る限り回避出来るよう努めるのも普通の人間だからね」
 そう、人間は倫理観を大切にするし諍いは出来る限り起こさない理性を持っている。何事も穏便に平和的に収めるのが一番正しいという理念は共通して誰もが持っているものだ。銃は最後の武器だから、出来る限り使わずに済むよう尽力する。戦えるけれど最後の最後まで回避する努力を怠らない。それが当たり前の倫理観で誰もが持っている。少なくとも僕はそう信じている。けれど彼女は、まるでそんな僕を嘲笑うかのように問うた。
「この事件なんだけど、当時の新聞には死因が何て載ったと思う?」
「出血性ショックとか、失血死とかだろ。当たり所が悪かった事故なんだから」
「ううん、心臓発作」
「え?」
「ちなみに、死因が分からない時にも使われる表現よ」