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 派出所は学校から歩いてすぐの通り沿いに建てられている。畑と畑に挟まれた時代劇で言う所の長屋のような細長い建物、その道路沿いの部分だけはテラスハウスのように二階建て建造物の外観でそれなりの体裁を整えている。正面からは毅然とした雰囲気の警察らしい佇まいに見えるのだが、横から見ると警察官の寮も兼ねている長屋の部分が隠しきれないほどの生活臭を滲み出している。部分的な改築や増築はよく見るけれど、これは歪になった典型例だろう。
 派出所の正面には一台だけパトカーの止められる小さな駐車場があり、そこには数名の人集りがあった。中心になっているのは警察官のようである。その周囲を大人達が取り囲んでいる構図だ。
 大人達の顔を追っていくと、すぐに僕の両親達が見つかった。父親はしきりに周りと何事か話し、その後ろで母親が不安げにうつむいている。他にも担任や近所のおじさんの顔もあったが、何人か見知らぬ顔も見受けられた。この辺りに住んでいる人では無いのかも知れない。
 僕の乗るパトカーが近づくと、みんなが一斉にこちらを振り向き片側に集まって駐車部分を空ける。そこへパトカーが停まるなり、僕がドアを開けるよりも先に誰かが窓に張り付いてこちらを覗き込んできた。驚いて誰何を見、視線を合わせる。それは父親の何時になく落ち着きのない表情だった。
 間近で父親の顔を見た直後、今までまるで心境に起伏が無かったのが急に震えるほどの不安感に襲われた。派出所にこれだけの大人が集まり警察までが動いている事態、ようやく自分がどれほどの騒ぎを起こしてしまったのか実感する。そして血相を変えた父親の顔に、どれだけ激しく叱られるのかと恐怖心が沸き起こった。
 うつむいたまま、おそるおそるドアを開けパトカーから降りる。拳骨の一つ二つは降ってくるだろう。僕は怖くて顔も上げられず、全身を強ばらせたまま立ち尽くしていた。
 しかし、
「怪我は無いか?」
「うん……ちょっと、足捻ったくらい。あと、擦り傷とか……」
「酷いようなら病院へ連れてくぞ」
「そこまでじゃないと思う。多分。それより、疲れた」
「そうか。じゃあ、帰るか」
 父親の顔は見れなかったが、怯える僕の予想に反して驚くほど穏やかな声で答えた。
「本当に連絡もしないでどこ行ってたのよ。まったく……心配させて」
「ごめんなさい」
 母親も随分うろたえている様子だったが、やはり覚悟していたほど強く叱ったりはしてこなかった。
 両親の反応が、僕にはいささか拍子抜けだった。僕は悪いことをしたはずなのにどうして叱らないのか、両親が何を考えているのかさっぱり訳が分からなかった。僕が戻ってきた事にひとまず安堵はしている。だが、落ち着いたところで何か言われたり説教されたりするのだろう。そう僕は頭の隅で気構えた。
「お子さん、特に変わった所はありませんか?」
 そして、人集りの真ん中にいた壮年の警察官が父親に訊ねた。
「いえ、大丈夫です。本当にありがとうございました。まったく、御迷惑をおかけしてしまって」
「そうですか。無事でしたら何よりです。また後日こちらから御連絡することがあるかもしれませんので、その際は御協力をお願いします」
 父親は僕に無理矢理頭を下げさせながら、何事か壮年の警察官と言葉を交わす。僕の捜索についてのお礼がほとんどだが、良く聞いてみると他にも何か解決していない事がありそうな雰囲気だった。それが何かは分からないが、当事者間かもしくは大人達だけの問題なのだと思う。結局は僕が起こした騒ぎは、無事見つかって良かったね、と終わるような事ではないらしい。
 それから担任の教師と両親は言葉を交わす。担任はいつになく優しい口調だったが、きっと両親の前だからだと思う。登校したらみんなの前で吊し上げられるだろう。大人の好きな言葉が詰まった反省文も書かされそうである。
 父親の車は派出所の手前にある商店の前に停まっていた。信号のない道路を左右確認しながら渡り車の元へ向かう。母親は後部座席に、僕はいつものように助手席のドアを開け、疲れのため足を上げるのが億劫なあまり手をつきながら雪崩れ込むように乗り込んだ。
 家に帰ったら風呂に入り夕飯を食べ、後は湿布を痛む足首に貼ってすぐ寝てしまおう。両親の顔を見たことで安堵したのか、眠さで重たるくなった目を擦りながらあくびをする。そして普段より重く感じるドアを閉めようとしたその時だった。
「だから、いつになったら見つかるんだって訊いてんだろうが!」
 突然響き渡る男の怒鳴り声。驚いた僕は肩をびくりと震わせ息を飲む。
 すかさず声の主を探すと、それらしい人物があっさり見つかった。派出所の前で一人の男が警察官に凄まじい剣幕で詰め寄っている。
「ですから、今も捜索は続けていますので、もう少し待って頂かないと」
「さっきからそればっかりだろうが! 税金で食ってる癖に、ガキの一人も見つけられねえのか!?」
 壮年の警察官と、それに詰め寄る一人の男。あまり風体は良くなかった。僕はあまり好きでは無いのでちゃんと見た事はないが、極道映画に出てきそうな如何にも柄の悪い男である。この町にこんな人間がいただろうか? 僕は物珍しくて対岸の火事を見ていた。
「とにかくですね、県警にも連絡して判断を仰いでいる最中ですから、お気持ちは分かりますがもう少し待って下さい」
「何であっちのガキがすぐ見つけられて、こっちはまだなんだよ。どこに居そうだとか訊いてないのか?」
「河村さんでしたら、今夜はもう疲れているようですから確認は明日にという事で」
「ふざけんな! そんなちんたらやってて、見つからなかったらどうしてくれんだ!」
 男と壮年の警察官が、見つけろ待っていろと押し問答を繰り広げている。互いに道理に合った事を言っているようだけれど、特に男の方が感情的になりすぎて空転している。
 何か不穏な空気だ。
 そう思っていると、不意にその男は僕の方を振り向き、見物していた僕と視線が合ってしまった。
「おい、ちょっと待て!」
 僕を見るなり男は道路を渡り猛然とこちらへ向かって走ってきた。僕は驚き咄嗟にドアを閉め鍵をかける。だが男は、ロックされたのを確かめるなり今度は外からドアを蹴り付けてきた。
「この野郎、開けろ! うちの娘をどこに連れて行きやがった!」
 怒鳴りながら男は何度もドアを蹴り付ける。
 僕は呆然としながらそれを見ていた。当然だが人間が蹴ったくらいで車のドアは壊れない。それでも勢いはあるため、男が蹴る度に車がぐらぐらと左右に揺れる。
「将太、後ろに来なさい!」
 後部座席から母親が腕を伸ばし、呆然としている僕の体を引き摺り込む。すると男は蹴る先を後部座席のドアへ変えて来た。
 後ろのドアはロックされているのだろうか?
 そんな不安が頭を過ぎった直後、
「ちょっと、あなた! 子供相手に何をするんですか!」
 父親が横から割って入ると、男を無理矢理車から離す。しかし男は父親の制止にも怯まず、腕を滅茶苦茶に振り回し振り払おうとする。立ち位置は拮抗しており、腕力の差はほとんど無いように見えた。
 さすがの警察官も慌てて男の元へ駆け寄り、暴れる男を二人がかりで取り押さえた。しかしそれでも男はおとなしくはならなかった。腕や足は動かせなくとも、体は捩り続けるし口はまだ塞がれていない。
「てめえんとこのガキのせいだろうが! ちゃんと賠償してくれるんだろうな!」
「沢本さん、いい加減にして下さい! 少し落ち着いて!」
「てめえら警察もだからな! 絶対後で訴えて金払わせてやる!」
 そこへ更に僕を送ってくれた警察官も加わり、男は無理矢理派出所の方へ引き摺られていった。男の声がどんどん遠ざかり派出所の中へ消えていく。今の一連を見ていたはずの人集りが、まるで汚いものが通るかのように男が引き摺られていく先で積極的に道を開けていったのは少し異様だった。
 先ほどのあの男、警察官に沢本と呼ばれていた。まさか彼は、彼女の父親なのだろうか? 同じ名字で、彼女が未だ見つからない事にあれだけ怒り狂っているのだから、たぶんそうだと思う。しかし、大の大人がいきなり車を蹴ったりするなんて思いもよらなかった。
「将太、大丈夫?」
「あ、ああ、うん……少しびっくりしただけ」
 母親が不安げに僕の顔を見る。むしろ驚いているのは母親のようである。確かに、子供相手云々の以前にあんな事をするような大人が身近にいるとは想像していなかった。
「今の人ね、沢本紫ちゃんって子のお父さんなの。今日一緒に遊んだの?」
「うん」
「どこかで別れたの?」
「よく分からない。気が付いたらはぐれてた」
「いなくなったの?」
「探したんだけど、見つからなくて……。それで、暗くなっちゃったから仕方なく……」
 そう言葉を濁しながらうつむいてみせると、母親はそれ以上僕に何も訊いてはこなかった。多分、僕の言った事を全部信用したのだと思う。けれど、僕は咄嗟に嘘をついていた。彼女がいなくなったのは、あの乱暴な父親が理由なのだろうか? そんな憶測が思い浮かび、正直に答えなくても良いのではと直感したからだ。どんな親でも自分の子供が急に行方も分からなくなれば、あれぐらい取り乱すしても普通だとは思う。けれど、彼女の顔に怪我をさせたのが父親だとしたら、僕の直感は一考の余地はあるものだ。
 正直に彼女の行方を伝えるべきなのか、僕は迷っていた。僕の両親と比較して明らかに問題のありそうに見える父親、彼女がその元へ戻るのが本当に理想的かどうか分からなくなったのだ。
「こんなものだけ戻ってもしょうがねえだろうが!」
 再び聞こえて来る怒鳴り声。見ると彼女の父親は、地面に彼女のランドセルを叩き付けそれを滅茶苦茶に踏みつけていた。あのランドセルは僕が持ち帰ったものだ。多分それを渡されたのだと思うが、本人では無いのだからと逆上したのだろう。
 僕は複雑な心境だった。彼が本当に心から彼女を心配しているようには素直に思えなかったからだ。
 やはり、あそこでの出来事はまだ言わない方がいいかもしれない。僕は彼の姿を見るまいと視線を落とした。