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 翌日、僕は両親へ顔を見せる事に気まずい思いをしながらリビングへ降りてきた。父親も母親も普段と変わらぬ様子だったが、僕に気を使っているのが痛いほど分かった。気を使わせる事に慣れていない僕は尚更気まずい思いをし朝食を取った。
 今日の予定は普段通りではなかった。
 登校前に仕事を休んだ母親と病院へ行き、昨日捻った足首やその他の細かい傷を診察、学校にも母親と一緒に行った。理由は予想していた通りで、昨日の事についての面談が行われるからだ。
 授業が始まっている時間に、僕は母親と職員玄関から職員室へと入った。昨日の事はおそらくクラスには知れ渡っていると思う。昇降口ではなく生徒の目に付き難い職員玄関へ回されたのがその根拠だ。
 職員室には先生達の姿はほとんど無く、教頭先生と他に普段接点の無い先生が二人いるだけだった。その内の一人、木原先生が母親の元へやって来て挨拶し、僕達を職員室に併設されてる小さな部屋へ案内した。そこは生徒指導室という生徒を説教するための隔離部屋で、木原先生は生徒指導が担当だという。さすがに警察沙汰ともなれば専門の先生が乗り出して来る。
 狭い室内には会議テーブルが一つ、それを挟むようにパイプイスが幾つか並んでいた。僕と母親は奥の席へ座り、木原先生はその向かい側へ着席。物々しいノートを目の前に広げボールペンを構える仕草が、何となく僕には怖かった。
 面談は現状の説明と、昨夜の経緯の確認の二つだった。僕は終始うつむき、訊ねられた事だけに答えていた。訊ねられたのは、あの時間まで彼女と何をしていて彼女はどこへいったのか、という事だけだった。僕は、ただ遊びに行っただけという事と、いつの間にかはぐれて途方に暮れていた事と、その二つだけを答えた。結局昨日の繰り返しだったが僕はそれ以外の事を言うつもりはなく、木原先生も僕にはあまり期待していなかったのかしつこく問い質す事はしなかった。
 僕は、木原先生だけに限った事ではなく、疑問に思う事があった。それは、何故僕と彼女は普段から親しかったのかと誰も訊ねようとしないかだ。僕が彼女と付き合っている事は学校内では知られていなかった事だ。それだけで十分不自然だと思うはず。それを訊いて来ないのは、生徒の交友関係など興味が無いからか、生徒の人間関係には何もわだかまりが無いから誰とでも仲良く遊んでいると本気で信じているからか。本気で調べ上げようと言うなら尚更、そこが引っかかってならなかった。
 現状の説明については、後回しにされたこともあってか予想通りの内容だった。
 昨夜は県警も動員して彼女の捜索が行われたそうだが結局彼女は見つからず、今日も引き続き捜索が行われているという。やはり切り開かれていない森の内部までの捜索はかなり困難なのだろう。木原先生は言葉を濁したが、このままでは見通しが暗いのだ。僕にだってそれぐらいは理解できる。だからあの時、森の奥深くへ走る彼女を必死で止めようとしたのだから。
 最後に、来週の土曜日まで罰を言い渡された。それは、放課後は真っ直ぐ帰宅し決して外出はしないという事、その間に本を一冊読み感想文を書いて提出する事だった。まだ彼女の事を悔やみ気落ちしている僕には、そんな程度か、というあっさりした感想しか出て来なかった。そのため、如何にも反省しているというしおらしい態度を取って見せるのが非常に楽だった。
 給食が始まる少し前の時間に面談は終わり、僕は母親と別れ教室へ入った。
 案の定、昨日の事についての質問攻めに遭った。パトカーに乗った感想や怪我の具合についてがほとんどだったが、ひとしきりそれらが終わってからようやく彼女についての質問が飛び出した。何故、あんな人と遊びに言ったのか。素直な疑問とは言え、僕には心苦しい質問だったが、困っているようなので可愛そうだからなどと心にも無い返答で誤魔化した。下手な事を言ってみんなから拒絶されるのが恐ろしかったが、そのために彼女についてある事無い事を吹聴する自分の姿が嫌で嫌でたまらなかった。
 みんなの彼女に対する印象は大方同じだった。物静かだとか何を考えているのか分からないとか、そんなものが大勢だけど、中には不気味だとか話しかけても無視されたとかあまり良くないものもあった。共通しているのは、好意的な意見が全く無いという事だった。何故、それほど彼女との間に深い溝があったのか。そう疑問に思うのは、多分僕の贔屓目なんだと思う。
 一つ、初めて知った事があった。それは、彼女は一昨年に苗字が変わったという事だ。元は沢本では無かったのだというのだ。僕はずっと沢本だと思っていただけに、これには衝撃を受けた。自分は周囲よりも彼女について知っていると思っていたけれど、結局はさほど変わらなかったのだと認識を改めさせられる事になった。
 そして、前の苗字は誰も知っている者がいなかった。この事実が、このクラスにおける彼女の位置づけなんだと思う。
 その日はそれ以上変わった事もなく授業は終わった。放課後、図書室へ寄り一冊本を借りた。帰り際、やはり彼女はいないのだと、あの日彼女が座っていた席を見てしみじみ僕は思った。
 翌土曜日も進展は無かった。警察が捜査状況を教えてくれるとは思っていなかったけれど、少なくとも発見の一報の周知は無かった。
 僕は友人達の誘いを罰を理由に断り、真っ直ぐ家に帰って借りた本を黙々と読んでいた。彼女の行方が気にかかるのであまり集中は出来なかったが、本を読みながら文を少しずつ複写して感想文はでっち上げていった。単純作業に追われるのは彼女の事を考え続けずに済むので、随分と気が楽になった。原稿用紙の一枚目を書き終える頃には、本は二冊でも良かったとすら思えた。
 夕方になり、読書に疲れテレビのチャンネルを無作為に回していた所、回覧板を持ってきた近所のおしゃべり好きなおばさんの口から驚く事を聞かされた。木曜日の事は、彼女の父親が派出所でも相当暴れ回ったらしく、町中の噂になっているという。その沢本家だが、一年程前に母親が変死したそうだ。そして母親には保険金がかけられていたらしく、保険会社と払う払わないの争いを今もしているという。
 子供にも分別の無い話をするからと、父親はこのおばさんをあまり快く思っていなかった。僕も、限りなく当事者に近い相手と知っているか否かはともかく、こんな話を平然と子供相手に出来るおばさんに不快感を持った。けれど、彼女が口にすることを拒み続けていた家の事情を知る事が出来たのは、不謹慎ではあるけれど素直に嬉しいと思った。
 最後におばさんは、娘にもかけられているかもしれないと、笑いながら帰った。それを僕は愛想笑いしながら見送るものの、正直なところ回覧板をぶつけてやりたい気分だった。
 保険金殺人。
 人の不幸を喜んでいるとしか思えないあの態度に腹を立てながらも、程なく辿り着いたその言葉が僕の思考を支配する。
 彼女の母親は変死し、父親は保険金の事で保険会社と争っている。この構図から連想できる事は、おそらく大人でも子供でも同じだと思う。
 それが、もしも事実だとしたのなら。
 彼女はまさか、今度こそ父親が保険金を受け取れるようにあんな事をしたのだろうか?
 そんな憶測をした瞬間、急激に彼女の死が現実味を帯びてきて、僕は背筋を凍り付かせた。