BACK

 土曜の夜から日曜の朝にかけての独特の雰囲気が僕は好きだった。土曜日だけはテレビで映画を見るために夜更かしが許されているから、普段と違う生活リズムが新鮮に感じるのだと思う。そのせいで寝つきが悪かったけれど、夢だけは良いものが見れていた。内容は大抵忘れてしまうけれど、翌朝清々しい気分で目が覚めるのだからいつも充実していたのは間違いないと思う。
 そんな僕の週末だったが、今朝はいつもとはまるで違う目覚めだった。それは、昨夜はほとんど眠る事が出来なかったからだ。夢を見るどころか寝不足のせいで、頭に何か重いものがずしりと圧し掛かって来る感覚と、薄っすら吐き気を催している。原因は一晩中出続けた彼女の姿だ。森の中へ向かって行く彼女の背中がまどろむたびに現れ、慌てて追いかけようとして目を覚ます。そんな事を一晩中何度も何度も繰り返していたのだ。
 彼女の夢を見たのはきっと、もしかしたら彼女は望んで命を絶ったのかもしれないという強烈な予感があったせいだ。いや、予感だけが原因ではない。それをむざむざ見過ごしてしまった自分に対する強迫観念もある。最後に見た夢だけはこれまでとは違うため、内容をはっきりと怯えている。森へ向かう彼女と追いかける僕の構図は同じだが、彼女は森に入った直後に立ち止まって僕の方を振り返りじっと見つめて来るのだ。包帯の間から覗く片目で。その事実とは違う夢の内容が、今の僕の気持ちを如実に物語っている。
 眠い目を擦りながら下へ降りる。階段の途中から朝食の匂いとぱたぱたと歩き回る母親の足音が聞こえて来た。日曜日も迎える朝はいつもと同じである。その実感が強く自分を安心させた。
 洗面所で顔を洗いキッチンへ顔を出す。母親は味噌汁の煮立ち具合を見ていた。
「おはよう」
「おはよう、将太。あら、どうしたの?」
「ん、何が?」
「目。凄い真っ赤よ」
 そう指摘されたが、洗面台の鏡を見た時は気が付かなかった。言われてみれば確かに普段と目の感触が違う。頭がボーっとしていて気が付かなかったのだろう。
「昨夜、あんまり眠れなくて。変な夢ばっかり見た」
「変な映画見たからよ。あれ、ホラー映画でしょ?」
「違うよ、クライムサスペンス。あれはマフィアの掟を破った部下への制裁だよ」
「大して変わらないわ。これからはもう少し知性的な番組を見なさい」
 知性的な番組って何だよ。そう苦笑しながら僕はリビングへ向かった。
 父親はまだ寝ているため、リビングは電気が一切ついていない。父親は休みの日は大抵だらだらと昼ぐらいまで寝ている事が多く、僕より先に起きてくる事は滅多に無いのだ。
 テレビをつけると、人気漫画のアニメのオープニングが始まっていた。先週は見逃したのだが漫画は読んでいるためストーリーは大体繋がる。僕はそのままのチャンネルでリモコンを置いた。
 気分が優れないせいか、体を動かさずに何かをただ見つめるのは非常に楽だった。人気とは言っても僕は特別思い入れがある訳でもなく、とりあえず見る分には面白いから眺めている。その眺める作業が寝不足の頭痛や吐き気を紛らわせてくれるのだ。
 しかし、しばらく眺めている内に彼女の事が頭を過ぎり始め、徐々にその作業にも集中できなくなった。何気なくシーンの背景に映るデフォルメされた森を見る度に、夢での光景が幾度と無く再生された。やがて白い建物や食べ物までが彼女と巡った場所と重なり始め、僕は溜息をついてソファーに寄りかかり天井を仰いだ。
 僕は、彼女は自殺するためにあんな事をしたのだと思うようになっていた。それも、あんな父親のためにである。
 それだけでも、僕は口に出すどころか考える事すらはばかられるのだけれど、本音ではもう一歩踏み込んだ事を考えている。
 もし彼女の父親が母親を保険金目的で殺したとしたら、そんな人間のためにわざわざ自分も自殺してやるなんて、本当に馬鹿げているとしか言いようがない。
 そういった、彼女の失踪を勝手に断定するだけでなく他人の家庭の事情を興味本意で詮索するような、野次馬根性丸出しの実に下品な意見だ。
 けれど、このサスペンスドラマのような突拍子もない推論を僕は半分信じてもいた。そう考えれば、これまでの彼女の行動が今度こそ説明できそうな気がするからだ。
 彼女は、自分は殺人犯と同じ思考をしていると僕に言った。でも本当は、自分ではなく父親の事を言っていたんじゃないだろうか? 七大事件と称した事件について僕の意見を求めたのも、間接的に父親の人柄を評価させたかったから。そして最後に僕へ包丁を向けたのも、自分が父親を殺す覚悟があるか確かめた訳じゃなく、つまらない目的のため親しい人を殺す人間が果たしてまともなのかどうか知りたかったからではないか? わざわざ遠回しにしたのは、直接打ち明けた事で僕が驚き大騒ぎしてしまったり、もしくは余計な事を知って巻き添えにしたくなかったとか、そんな思いがあったから?
 無論、これらは全て僕の勝手な憶測にしか過ぎないし、事の真相を全て明らかにするには彼女の口から直接語って貰う他に無い。けれど、彼女の行方は誰にも分からない。唯一、僕が僅かな手がかりを持っているだけだ。だから、本当の意味で彼女を心配出来るのは僕だけである。そして根拠も固まらない内に、何故あんな父親のために死ぬ必要があるのか、と早合点するばかりだった。
「将太、御飯出来たから早くいらっしゃい」
「ああ、うん。今行く」
 母親の呼ぶ声に我に返った僕は勢い良くソファーから立ち上がると、テレビを消しリビングを後にした。
 彼女の言った七大事件、最後は欠番になるかと思ったけれど、僕がこのまま彼女の行方を黙り通してしまえば、それが七つ目になるんじゃないだろうか?
 そんな事も考えたが、すぐに頭から追い出した。彼女がどういう気持ちで作ったのか経緯を考えると、とてもみんなに広め共有しわいわい楽しむようなものには思えないからだ。
 それから僕は、その日の夕方までかけて課題になっていた感想文を書き上げた。
 そして今日も、彼女が見つかったという知らせは届かなかった。
 行方不明でも保険金は支払われるの? そんな疑問がふと浮かんだがこんなことを訊ねられる相手もいないので、それはそっと胸の中に仕舞い込んだ。