BACK

 月曜日の朝、教室の風景はいつもと違って異様な雰囲気に包まれていた。校庭に姿が見えないと思っていた友人達も含め、クラスのみんなが教室で一丸となり何かをしきりに噂している。それも、今までに見たこともないほどみんなが騒然としているのだ。
 普段のように登校してきた僕は、真っ先にその輪の中へ含められた。訳も分からず何があったのか訊ねると、予想外の出来事を聞かされた。昨日の朝早く、彼女の父親が警察に逮捕されたらしいのだ。逃げ出したものの警察達に取り押さえられ車に押し込められるまでの一部始終を、クラスの女子の一人が、偶然近くで早朝ランニングしていた高校生の兄から聞かされたのだという。
 逮捕の理由までは聞くことが出来なかったため、それについてみんなはあれこれ言い合っていたそうだ。一番ありそうな理由は、麻薬と殺人、もしくは強盗のセット。しかしこれと言って根拠は無く、単に見た目から連想した犯罪を並べただけのようだ。他にも恐喝や誘拐といった説もあったが、保険金詐欺という言葉だけには僕も反応してしまった。知っている犯罪を口にしただけだとは思うけれど、僕もそんな予感がしているだけに安易に同意し余計な事を口にしてしまいそうになった。
 その後、授業はいつもと変わりなく進んでいった。驚くことに先生は、彼女の捜索について何も言わないのはともかく、彼女の父親の逮捕についても一切触れなかった。普通、自分が受け持つ生徒に関係する事なら何かしら連絡すると思うのだが。先生の態度は初めから何も起こっていないかのようだった。
 でも、生徒達の興味は収まらない。先生が何も触れない事で逆に触発され、休み時間ともなればすぐに噂が盛り上がる。昼休みになると、別の学年の生徒が事の真相を訊ねるまでになった。どうやら先日と昨日と起こった一連の事件がこのクラスと関係ある事は、既に学校中に広まっているらしかった。
 五時間目の授業の直前、先生が二度とこの噂をしないよう注意をしてきた。でも僕はそんな注意など無意味だと思った。口頭の注意で沈静化するには、あまりに噂が広がり過ぎている。今更禁止したところで、子供の口に戸は建てられない。むしろ興味が深まるだけだ。
 沈静化する唯一の手段は、事の真相を皆に明らかにし納得させる他無い。でも先生はそれが出来ずに困っている。彼女の事を思い出すと、そんな風に大人達が困窮する姿が見えた。
 その日も遂に彼女の行方は知らされなかった。加えて、父親の逮捕の事も何一つ明らかにはしてくれなかった。もはや僕は期待していなかった。仮に彼女が見つかったとしても、衆目に晒せるような状態ではないかもしれないから、わざわざ子供達に知らせるとは思えない。それに彼女の父親が逮捕された経緯やその後も、もし逮捕の理由が噂通りならば、やはり表沙汰には出来ないはずだ。僕に出来ることは何も残ってはいない、だから期待は一切持たなかった。
 日を重ねるに連れ、噂は更に広がりを見せた。事件は起きたけれど背景や進展が何も分からない状況が生徒達を熱狂させ、結末を求めるあまり根も葉もない噂や流言飛語まで溢れ始めた。事件への興味はどんどん強く、しかし事実からは限りなく遠く、蔓延していく。当事者とは一番近い存在であるはずの僕から噂の内容は完全に離れ、まるで全くの別人が起こした事件を聞いているかのような錯覚さえ覚えた。
 彼女は七大事件の事を、元々あった事件を自分で括っただけと言った。けれど、彼女の行方や父親の逮捕の事を僕達から遠ざけようとする先生の態度を見ていると、これまでにもこの町ではもっと陰惨な事件が起きていたんじゃないかと思えてならなかった。それは彼女が前に言った、僕達子供が大人からは都合の悪い情報は与えられず平和な町に住んでいると思い込まされている構図のそのままだ。彼女がそれを僕へ指摘したのも、暗に母親の変死の事を子供達は誰も知らされていないとほのめかすためだったのかもしれない。
 僕は興味本意で噂を流す周囲とは違い、可能ならば彼女の行く末だけ知りたいと思っていた。そこへ至った背景や経緯を聞かされても、彼女の行動を心から理解する自信は無い。きっとまた僕は、有り得ないと言ってしまう気がする。それよりも、彼女が自ら選択した結論とその結果が知りたかった。限りなく事実から乖離し半ば伝承化した現状とは無関係に、僕はありのまま彼女の足跡を記憶に留めたい。あの日追跡を躊躇ってしまった僕に出来るのはきっとそれぐらいで、たとえどれだけ悲惨なものだったとしても真相に一番近い所へ居る僕だけは憶えておきたいのだ。
 熱病のように蔓延する噂に大人達が頭を悩ませ、子供達はああだこうだと一心不乱に熱弁を奮う日々は終わりを見せていない。僕は何も知らないという立場を選んだため噂からは一歩退いていたが、そうしている内に遂に土曜日が終わってしまった。
 この一週間、まるで進歩は無かった。もはや原形を留めていないほど改変が繰り返された噂が亜種と共に散らばっただけで、彼女の行方も父親の事も何も新たなことは報じられなかった。
 また来週も、これは続くのだろうか?
 実入りのない一週間を過ごした事にどうしようもなく停滞感と焦りを感じていた僕は、ふとある事に気が付いた。
 この土曜日で僕に科せられた罰は期限を迎える。僕に科せられた罰が終われば、僕はまた以前のように放課後を自由に過ごす事が出来る。誰にも咎められる事無くだ。そう、それは元の日常だ。彼女が不在のまま、僕だけは元通りの生活へ戻ろうとしているのだ。