BACK

 今日は朝から雨が降っていた。それでも僕はいつもの場所へ時間通りに向かい、そしてそこには恵悟がやはり待っていた。雨のためか恵悟は黄色い雨合羽をすっぽりと被るように着ていた。随分山では目立つ格好だと思った。
「なんか今日えらい降ってるな」
「当分止みそうにないね。来る途中で麓の川を見たけど、大分水位が上がってたよ」
「この山は地盤はしっかりしているから、土砂崩れは無いんだけどさ。今日はどうする? あんまり出歩いても濡れるだけだしなあ」
「だったら、どこか雨を凌げる所なんか無い? カードとか持って来たんだ」
 恵悟は雨でも遊べるような何かを持って来たらしい。早速僕は恵悟を連れて歩き出した。
 特に強い雨の日は傘無くしては当然出歩く事が出来ない。人間もそうだし、僕達一族もそれは同じだ。けれど、少なくともこの山を歩く分にはさほど雨具は必要は無い。それは、木々の生え方や岩場の地形など、どこをどう歩けば濡れないのかを熟知しているからだ。恵悟は濡れても平気なように万全の雨具を調えているけれど、それでも濡れない方が良いに決まっているから、歩く時は濡れない道を選んでいった。それに恵悟は体が普通より弱いのだから、下手に濡れて体を冷やすのは良くないと思うのだ。
「ほら、あれ見てよ」
 しばらく山中を歩いた後、ようやく目的の場所へ辿り着いた僕は、林の中から切り分けられた岩場の一角を恵悟に示すように指差した。その先にあるのは、山肌の一部にぽっかりと空いた大きな穴。いや、洞窟と言ってもいいだろう。とにかく、熊が済むようなそんなものではなく、高さは大人が立って入っても天井に手が付かないほど、深さは全力で投げ込んだ石の音が聞こえないほどのものだ。見つけたのは随分と前だけれど、特に遊び場として魅力がある訳でもなく、ほとんどここには足を伸ばしてはいない。今日来たのも随分久しぶりの事だが、相変わらずその洞窟は昼間にも関わらず真っ暗な口をぽっかりと空けていた。
「凄い! これってまさか鍾乳洞?」
「何それ?」
「洞窟の一種だよ。こういう所から地層の深い所の空洞に繋がっていたりするんだ。色々な色の鍾乳石や地底湖があって。時々珍しい鉱石や化石なんかが見つかるんだ」
「じゃあちょっと奥まで探検してみようか?」
「流石によした方がいいよ。こういう所って往々に複雑なものだから、出られなくなっちゃうかも。それに、洞窟の奥って凄く寒いんだよ」
 僕達は洞窟の入口から雨水が跳ねて来ない程度の所に陣取り、今日の遊び場を構えた。恵悟はいつものリュックから青いつるつるした布のようなものを広げ、座る場所を確保する。それは下が多少濡れていても水を滲ませる事は無く、休むのには最適な布だった。人間社会には本当に不思議なものがある。そう僕は感心する。
「小太郎はトランプと花札、どっちか分かる?」
「花札は少し。トランプは分からないな。外国の遊びでしょ?」
「じゃあトランプ教えてあげるよ。大丈夫、簡単な遊びからやろう。簡単なのは難しく無いから」
 そう言って恵悟はリュックからトランプの束を取り出し、手の中で切り始めた。僕はトランプというものが良く分かっていない。カードの遊びの一種だというのは聞いているけれど、実物を見るのも初めてだし、勿論遊び方なども知らない。しかし、妙にわくわくしていた。初めて体験する遊びとは、やはりそういう期待感が伴うものなのだ。
「こうやって数字順に並べて、七に近い所から手持ちのカードで埋めていくんだ」
「このマークは?」
「それはダイヤ。他のクラブ、スペード、ハートと全部で四つあるから、それぞれ同じマークで揃えるんだよ」
 軽快な手付きでカードを並べていく恵悟、それを僕はつぶさに見ながらどういう遊びなのか理解しようと励む。恵悟がに教えるのは七並べという遊びだった。初めはルールが良く分からずぎこちなくやっていたものの、徐々に慣れてくると自分なりに色々な戦術を考え駆使するようになった。確かに簡単に覚えられる遊びである。それに、少しでも早く覚えて楽しもうという気組みがそうさせたのかもしれなかった。
「トランプってさ、他にも遊び方はあるの?」
「あるよ、とっても沢山。僕も全部知ってる訳じゃないけど、世界中にそれぞれの国柄の遊びがあるみたいだよ」
「じゃあトランプって世界の遊びなんだね」
「大げさじゃないかな。でも、確かにどこの国でもあるみたいだね」
 僕は恵悟とトランプ遊びに夢中になっていた。これまで僕にとっての遊びとは、野山を一人だったり動物とだったり駆け巡る事がそうだった。だから今日のような天気の時は遊ぶ事は出来ないのが当然なのだ。けれどそれが今は、このトランプという遊びで夢中になって楽しんでいる。恵悟が教えてくれた、雨が降っていても出来る遊びだ。恵悟は人間の子供だからこういう遊びなんて普通なのかもしれないけれど、僕には感動的な出来事であって、僕はそんな恵悟を友達として以上に尊敬していた。こういう変わった遊びをさらりと用意するのは、僕なんかにはとても出来ない事なのだ。だから、尊敬とか憧れを持たずにはいられない。
 恵悟の教えてくれた七並べという遊びは、数え切れないほど何度も繰り返した。やがて指先の疲れと胃を絞られるような空腹に気づき、そろそろ休憩を挟もうとなってようやく一段落のつく形になった。そして今日もまた、僕は恵悟のお弁当を分けて貰った。恵悟はいつも大きなお弁当を持ってくるけれど、どんなに頑張っても半分も食べられない。それ以上は胃が受け付けないそうだ。幾ら食べても空腹になる僕には理解出来ない事だけれど、恵悟は体が弱いのだからそういう事もあるのだろうと認識している。
「少し休んだらまたやろうよ。今度は結構いい勝負になると思うよ。大分コツが掴めて来たから」
「もう飽きたよ、さすがに。次は違うのにしようよ。少しだけ難しいけど、もっと面白いのがあるから」
「えー、自分が負けそうだからって言ってない?」
「まさか、そんな事ないってば」
 そんな言葉を交わし、そして笑う。何が面白いとか分からないし、正直そんな事はどうでも良かった。ただ何となく、である。だが、そうしている事が僕はとても楽しいのだ。多分恵悟もそうなんだと思う。だからこうして毎日ずっとこの山で一緒に遊んでいるのだ。互いの素性がどうだろうと、一緒に居て楽しくなければ、こんなに長くは続かないはずだ。
 さて、そろそろ遊びの続きをやろう。昼が過ぎるとあっという間に夕方が来てしまう。そう思い自らトランプへ手を伸ばしたその時だった。
「なあ、ちょっと訊いていい?」
 不意に恵悟はそう僕に確認するように訊ねて来た。恐る恐ると、何か慎重なものの訊き方だ、そう僕は思った。
「なんだよ? 別にいいけどさ」
「じゃあさ、訊くけどさ」
「なに?」
「小太郎は今、嫌いな奴っている?」
「嫌いな奴?」
 思わぬ恵悟の問う内容に、僕は小首を傾げてしまった。意味は理解出来たけれど、その意図が理解出来なかったせいだ。