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 恵悟が都会から帰って来るまで、まだまだ日は長い。久しぶりに一人遊びに戻ると、随分一日が味気無く感じて仕方なかった。一人で成り立つ遊びなど存在しない、どうやって今までの僕は日長一人で遊べていたのか疑問にすら思えた。
 特にする事も思い付かず、僕は朝からぶらぶらと山中を散策していた。けれど、自分の庭も同然なほど知り尽くしているこの山を今更歩いてみた所で新たな発見など見つかるはずもない。あのアケビの木はまだ実をつけるのか、あの尾根周辺に棲んでいる鹿の子供は大きくなったのか、気に留めたとしてもせいぜいそんな程度だ。
「早く帰って来ないかな」
 気がつけばそんな一人ごとを愚痴のようにこぼしている。恵悟が都会へ行ったのはつい昨日の事なのだ。戻ってくるのはまだ先、そう分かってはいるのだけれど、やはり口にせざるを得なかった。
 やがて実の無い散策に飽きた僕は、いつも昼寝をしていた原っぱへ向かい、そこへ寝転がった。思い返せば、恵悟と遊ぶようになってから一度も昼寝をしていない。勿論そんな事をする暇が無いほど楽しいからなのだけれど、こうして久々に寝転がってみると妙な安心感というか懐かしさがあった。
 恵悟が戻って来るまでは、こうして昼寝でもして時間を潰そう。そう思い、僕は日が暮れる少し前まで眠った。
 目が覚め、夕日にはまだ早い程度の日を見、今日はもう帰る事にした。いつもはまた遅くなったと慌てて帰るのだけれど、今日はいつもよりずっと早い。だからだらだらと泥の中を進むような足取りで家路に着いた。
 やがて調度夕日が射す頃に家に着いた僕は、またいつものように井戸の水を汲んで顔と手足を洗い、家の中へ入った。
「ただいまー」
 家の中では父が炉端で何かの書物を読み、母は台所で夕食の支度をしていた。最近ずっと遅かったから、久しぶりに見る風景だと僕は思った。
「おう、どうした。珍しく早いな」
「まあ、たまには」
 いつも遅い理由は当然言えないので、当然僕は言葉を濁す。父も読書の方に気を取られて話半分だから、それ以上追求もしてはこない。
「小太郎、御飯までもう少しだから、待っててね」
「うん、分かった」
 そう母に言われ、僕は普段よりもあまりお腹が空いていない事に気が付いた。やはり恵悟と遊び回っていないから、その分お腹も空いていないのだろう。
 僕はいつものように何の気も無いふりで、洗ってきたばかりでまだ湿っている手足を炉端にかざして乾かした。台所からは夕食の準備をする良い匂いが漂って来る。日も落ちて家の中が徐々に薄暗くなっていくのを感じながら、まだようやく一日が経っただけだと肩を落とす。
 ふと僕は父が読んでいる書物の表紙に目を向けた。草書体の古めかしい表紙は端々に痛みと染みが出来ていて、如何にも難しそうな雰囲気があった。肝心の題目も僕には読めない。ただ、この手の書物を僕は前に見た事があった。惣兄ちゃんの家の本棚に似たような書物が沢山置かれていた。それらを惣兄ちゃんは、一族に伝わる術を残したものだと言っていた。ある程度の歳になったら、こういった書物を読んで術を覚えなければならない。それが一族の掟である。だけど惣兄ちゃんは、自分はあまり勉強は得意ではないから本当は嫌々読んでいる、と苦笑いしていた。
「ねえ、父さん。今読んでるのって、術の本?」
「ああ、そうだ。うちの爺様が若い頃に書いた奴だ。なかなかこれが良い事ばかり書いているんでな、お前ももう少し大きくなったらちゃんと読んで勉強するんだぞ。裏の蔵に行けばまだまだ沢山あるからな」
「御先祖様はそんなに沢山書いたの? 何でまた?」
「なんだ、お前。うちの爺様のこと、知らないのか?」
 父は呆れと驚きと半々に目を見開き、溜息をつきながら読んでいた書物を閉じた。
「うちの爺様こと吉浜五郎太はな、我が一族でも稀に見る天才だって言われていたんだぞ。子供の時にはほとんどの術を覚えてしまって、その上に独自で次々と新しい術を編み出したんだ。俺達が人間の町へ出かけられるのだって、爺様の編み出した術のおかげなんだぞ」
「じゃあ凄い術の使い手の大天狗だったんだ」
「大、なんてどころじゃないぞ。爺様は長老とは大の親友だったからな、よく術を競っていたりしていたらしいぞ。だが長老は一度も勝てなかったとか。あの長老がだぞ?」
 この里の長である長老と、そこまで親しい間柄だった人が自分の先祖だったなんて。僕は我が事のように無性に嬉しくなった。
「そんなに凄い人が先祖にいたんだ! 初めて知った」
「まあな。ただな、五郎太殿も実のところあまり長生き出来なかったんだ」
「どうして?」
「人間の真似をしてな、牡蠣という貝を食べたんだよ。生で。そしたらそれに当ってしまって、ぽっくりさ」
「はあ……」
 あまりに意外な終わり方に僕は口をぽかんと開けたままにしていた。俄かに帯びた熱も急激に下がり、自分がはしゃいでしまった事が恥ずかしく思う。
 どんな大天狗でも、生き死にばかりはどうにもならないらしい。一体どんな事を思って御先祖様は死んでしまったのだろう、それを考えると複雑な気分になった。