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「これが、天狗の石?」
 恵悟は興味と訝しみと半々の表情で、僕から受け取ったその石を角度を変えながらしげしげと観察していた。
「そう。本当は色々と術や神通力があるんだけど、僕はまだ子供だからそれぐらいしか作れないんだ」
「小太郎が作った? これを?」
「見様見真似だけどね。でも力はちゃんとこもってる」
 あまり良くは分からなくとも、感心した様子で恵悟はしきりに石を確かめる。じっくり手にとって見れば分かるのだが、この石は天然の石とは違って少し造形っぽい所がある。それは単に僕が未熟なせいだからなのだけど、恵悟にとってはそこに興味が引かれるのだろう。
「これって何が起こるの?」
「じゃあ実際に僕が使ってみるよ。ちょっと貸して」
 そう言って恵悟から石を受け取ると、僕はよく見えるようにその石を右手に握り込んだ。
「使い方はそう難しくは無いんだ。こうやってしっかり手に握って、その手で軽く額を一度小突く」
 説明しながら僕は右手の拳で軽く自分の額を叩いた。
「えっ! あれ!?」
 途端に恵悟は素っ頓狂な声をあげた。まるで信じられないといった驚きの表情で、慌てながら手を何も無い空中へ泳がせ辺りを見回している。傍から見れば随分愉快な姿だけれど、これが僕の作った石の効果の現れである。恵悟のおかしな仕草に笑いをこらえつつ、僕は右手でもう一度額を小突いた。
「わっ、出て来た!?」
「出て来るも何も、僕はずっと此処に居たよ」
「でも、突然消えたみたいだったよ? え、どうして?」
「それが、この石の力なんだ。この石を持って頭を小突くと、姿が見え難くなる」
「透明人間……? 外国にそういう小説があるって聞いたけど」
「ちょっと違うかなあ。透明になるんじゃなくて、単純に見え難くなるんだよ。感じなくなるって事かな? でも動物には効き難いみたいだけど」
「人間に見えないなら一緒だよ! うわあ、凄いな。まさかそんなものが本当にあるなんて!」
 最初は、恵悟に引かれるだけでなくて馬鹿にするなと怒られるのではないかと思っていた。最悪の場合、僕を化物か何かと恐れて逃げ出してしまう事も覚悟していた。僕が人間ではないとか、不思議な力を持った石をあげるとか、そういう事をすぐに信じて受け入れてくれるとは思い難いからだ。だけど恵悟はほとんど疑う事もしなかったし、今は石に夢中になっている。拍子抜けした、そんな気分だった。恵悟は頭が良いからか、それとも都会で暮らしている人間はみんなそうなのか。隠れ里で断片的に耳にした人間の生態とは少し違っている。
「ねえ、ちょっと試してみてもいい? これを持って頭を叩けばいいんだよね?」
「軽くでいいんだよ。元に戻る時も一緒だから」
 そう僕が言い終わるか終わらないかの内。恵悟は早速石を握り締めると、軽くで良いと言ったばかりなのに勢い良く自分の頭を叩いた。たちまち目の前から恵悟の姿は消えてしまった。いや、本当は消えたのではなくて見取り辛くなっただけにしか過ぎない。だけど、ちょっと目を凝らしただけでは見つける事は出来ないだろうし、恵悟が音を立てるか何かしない限りは大体の場所すらも察知出来ない。逃げるのにこれ以上適したものは無いと思う。これなら恵悟が幾ら足が遅くとも、悠々と歩いてその場から退散出来るのだから。
「ねえ、これ話しても聞こえるの?」
 何も無い目前から恵悟の声が聞こえて来る。
「聞こえるよ。手を叩いても同じだし、木の枝なんか踏んでも音は聞こえるよ」
「なるほどねえ」
 そして再び恵悟の姿が目の前に現れる。まだ信じられないという気持ちなのだろうか、しきりに自分の体や石を見比べている。
「本当に僕、消えてた?」
「消えてたよ。全然見えなかったもの。人間にもちゃんと効果はあるみたいだし、安心したよ」
「良かった。実は荒行を乗り越えなきゃ効果が出ない、なんて事になったらどうしようって思ってたよ。そんな体力があったら、初めから走って逃げるからね」
 そう笑う恵悟に続いて、僕も同じように笑う。もっとも、この石は一族以外の人間でも術が使えるようにする事が目的なのだから、初めから修行どうこうの事までは考えていない。僕も修行なんてした事が無いし、第一体を多少鍛えた所で天狗の術や神通力なんてものは全く無関係なものでしかない。
 これで少しは恵悟も元気を出してくれるだろう。また都会に行く時期が来ても、前ほど辛い事は無いはずだ。そう安堵していると突然、恵悟は急に神妙な表情になって僕に訊ねてきた。
「あのさ。これって、僕のため? 僕が苛められてるから……?」
 しまった、露骨過ぎただろうか? 一瞬僕は息が止まり固まってしまったが、今更言い訳をしても仕方がないと思った。一度深呼吸して気持ちを落ち着け、恵悟に改めて向き直る。
「まあ……うん。学校に行かなきゃいけないのはしょうがないけどさ、これがあれば叩かれたりしそうな時にうまく逃げられるんじゃないかって思って」
「そうだね……。うん、そうだよ。見えなくなったら、幾ら何でも無理だもんね。その隙にさっさと逃げるなんて簡単だし」
「そうだよ。逃げれば、何も怖い事も嫌な事も無いんだから」
 そうだその通りだ、そう確かめ合うように僕達は笑った。だけど自然な笑みではないから、どこかそれはぎこちなかった。変に余所余所しくなったと僕は気まずさを感じる。
「ねえ、最後になんだけど。二つだけ、約束して欲しいんだ」
「約束? 何?」
「まずは、これの事は僕以外の誰にも教えないで。それから、これを悪い事には使わないこと」
「それなら大丈夫、絶対に守るよ。僕は痛い思いをしなければそれでいいんだから。逃げる以外には使わないよ」
 そうだよね。僕はまたぎこちなく笑い、今の約束は恵悟を疑うような真似になってしまったと反省する。
「ありがとう、小太郎。本当にありがとう。次は何とかやっていけると思う」
 恵悟は少し涙ぐんでいた。嬉しいと涙が出るそうだけど、そんな人は初めて見た。だからだろうか、僕は少しだけ動揺していた。