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 ここ最近は日の落ちるのが早く、今日も僕達はまだ少し遊び足りないような時刻にそれぞれの家路に付いた。これから春になるまでずっと遊び時間が短くなる。数えれば僅かな程度だとは思うのだけれど、明らかに日の短さは実感出来るので、やはり悔しいという思いは否定出来ない。
 里に辿り着く頃には、すっかり日は落ちて辺りは薄暗くなっていた。どの家からも明かりと炊事の煙が立ち上っているのが見える。日が短くなったせいだろうか、ここの所の夕食の時間も心なしか早まったような気がする。
 家に帰ると、うちも母親が夕食の準備の真っ最中だった。僕は準備が出来るまでいつものように炉端で冷えた手足を温める。その横で父親は何やら荷造りをしていた。狩りしては随分と仰々しく、また季節外れである。
「ねえ、何の準備してるの?」
「ああ、これか? また今度な、人間の町へ買い出しに下りるんだよ」
「もしかして冬仕度みたいなものかな」
「そうだな。特に薬ばかりはどうしても間に合わないし、絶対に必要だからな。俺は風邪なんて生まれてこの方引いた事はないが、みんながみんなそうって訳でもなし。お前だって赤ん坊の時に熱出してな、村の薬草が効かなかったから人間の熱冷ましを飲ませて助かったんだぞ」
「へえ、そうなんだ。全然覚えてないや」
 恵悟が持ってくるのは玩具や御菓子といったものだが、薬もまた人間が使うものの方がずっと優れているようである。一族は日本全体にどれぐらいいるのかは分からないけれど、少なくとも僕達の一族は昔からずっとこの里の単位だけで暮らして来ている。日本のほとんどを生活の縄張りにしている人間は数も多いから、それだけ優れたものが作れるのだろう。一族が優位に立てるのは、一族にしか伝わっていない術や神通力の存在くらいだろうか。
「そういう事だからな、留守番は頼んだぞ。雪かきもちゃんと毎日やっておけよ」
「分かってるよ。それよりさ、何かお土産買ってきてよ」
「お土産? お前、人間の玩具なんか興味あったのか?」
「そうじゃないよ。何か本が欲しいんだ。何でも良いから。術の勉強以外でさ、何か気晴らしになりそうなの」
「気晴らしなら外で遊べばいいだろうに。まあ、買えたら何か買って来よう。こういうのは長老の許可が無いと駄目なんでな」
 人間の町へ買出しに行くのは長老の許しが無ければいけない事である。買出しへ出かける人選や買う物に関してもほぼ長老が決める。不必要なものを里へ持ち込ませないため、というのがその理由だ。人間の物は便利なものばかりだけれど、あまりに物が溢れ過ぎると一族に悪い影響を与えるのだそうだ。いつも恵悟とこっそり遊んでいる僕は人間の持ち物を幾つか知っているけれど、確かにどれも驚くようなものばかりだけれど悪影響を与えると言われてピンとくる物はまだ無い。きっと何か別な理由があるのだろう、そう僕は解釈している。
「ねえ、父さん。ちょっと訊いてもいい?」
「ん、何だ?」
「僕達一族がさ、こうやって山奥でひっそりと暮らしているのは、人間の社会と関わらないようにするためだよね?」
「まあ、そうだな」
「それなのに、人間が作った薬とかそういうものをわざわざ買いに行くのはどうして?」
「あー、なかなか痛い所を突くなあ。お前もそういう歳になったか」
 そう言って父親は荷物を片付けると、お酒の徳利と湯飲み茶碗を持って来て酒を飲み始めた。父は長話をする時はよくお酒を飲みながらする。これは話が長くなるのだろうか、内心失敗したかと僕は思った。
「人間となんか関わり合いたくない、ていうのが俺達一族の姿勢だ。あれは駄目だこれは駄目だ、と掟を作って長老がそれをみんなに守らせる。けどそれとは別にな、生活の質を上げたい、という思いもある訳だ。少しでも良いものを食べたいとか綺麗な服を着たいとか。昔からそのために研究して工夫しているのはいるけどさ、やはり人間にはどうしてもかなわないんだよ。そもそもの規模が違うからな」
「人間の方が数が多いから、研究も早く進むってこと?」
「乱暴な言い方をするとな。それで俺達天狗は、自分達だけでは何年かけても作れないから、こうやって人間の町に下りて、それらを必要なだけ買って来るんだよ。掟に従えば、本当はそんな事はしちゃいけない。だけど、みんなの本音はこっち。人間が作る物が欲しいんだよ。あまり大声じゃ言えないけどさ、長老だってそう考えているんだよ。だから長老の命令で例外的に買出しに行く事が出来るのさ」
「それならさ、いっそ人間の社会に出て暮らした方が早い気もするなあ」
「父さんも子供の頃はそんな事を思ったさ。けどな、それはそんなに簡単な事じゃないんだよ」
「住む所が無いから、とか?」
「お金の話もある。だがそれよりも、もっともっと深くて大きな問題があるのさ。まあ、小太郎も大人になりゃ分かる」
 父は笑いながらお酒を飲み、そしてこの話はやめだやめだと言って一方的に打ち切った。子供の僕には話したくない事柄なのだろうか。もう少し核心部分に踏み込んでみたい気もしたけれど、お酒を飲んでいる時の父は多少頑固になっているから、かえって機嫌を損ねかねない。ひとまず今夜は黙って従う事にした。