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 その日はいつもよりも遅く秘密基地へ着いた。家はいつもの時間に出たし寄り道もしていないのだけれど、雪に足を取られてもたついたのと、それにより別段急いだ訳でもないからだ。
 秘密基地には恵悟の姿は無く、中の空気は外と同様に冷え切っていた。恵悟は昨日からまた都会の学校へ試験のために行っている。戻るのはもう少し先だ。
 恵悟が持って来たマッチで暖炉へ火を点し、冷たくなった手をかざして温める。マッチは元々うちでも囲炉裏などを点すのに使っていた。人間の道具ではあるのだけれど、冬の生活には便利なので買い出しの時に沢山買い込むのだ。冬季の火は時に生命線にもなるので許されているのだろう。
 体と共に基地の中の空気が温まってくると、僕は茣蓙の上に腰を落ち着け、もうしばしの間暖炉に当たる事にした。火の燃える暖炉の中をじっと意味も無く見つめながら、今の置かれた状況などを振り返ってみる。事あるごとにそれを繰り返すのは、最近ではちょっとした癖になっていた。
 恵悟は今頃試験を受けているのだろうか。おぼろげな不安と共に想像する。まさか、あの石を使ってはいないか。その不安は結局最後まで消せなかった。恵悟と、逃げる以外に使わないと約束しても、完全に信じきれなかったのだ。
 しばらくして、火の勢いが衰えて肌寒くなってきた事に気が付き、はっと我に帰る。薪が切れかかっている。僕は薪の調達に基地を後にした。その日はある程度薪を集めたら軽く教本を読み、日がいつもよりも傾く前には家路に付いた。
 そんな日々が三日続いた、ある夕方の事だった。その日も日が赤々と燃える前に里に着き、僕は家の中へと入った。すると、
「あ、お帰り。お邪魔してるよ」
 父と母、それ以外に惣兄ちゃんの姿があった。三人は囲炉裏で何か話し込んでいる最中だったようだが、僕が来た途端不自然に黙り込んだ。多分僕に聞かれたくない話だったのだろう、もう少し遅く帰れば良かったと心の中で拗ねた。
「大事な話? だったらもう少し外にいるけど」
 すると三人は一度互いに視線を向け合い、何やら探り合うような仕種を見せた。僕に関わらせたくないという意図が見え、更に僕は気分が悪くなった。そうならそうと、はっきり言えばいいものを。
「それじゃ」
 僕は三人の出方を待たずに、一方的に自分から家を後にした。
 ひとまずうちの蔵の中で時間を潰す事にした。久しぶりに蔵書に目を通してみるのも悪くはないと思う。以前と比べて大分術の知識は身についたのだ、どれぐらい読めるようになっているかを知ってみたい。
 久しぶりに、それもまだ日が落ち切っていない蔵へ入るのは、妙に新鮮な感覚だった。本当は無断で入ってはいけないのだけれど、三人から除け者にされた苛立ちがその罪悪感を感じさせなかった。だから戸を開ける時も音に気をつけたりはしなかったし、極当たり前に平然と中へ入って行った。
 蔵の中は、風こそ入り込みはしないものの、やはり火が無いため非常に肌寒かった。けれど今の僕は意固地になっているから、少しくらいの寒さなどものともしなかった。それに、このまま風邪を引いても構わないとすら思った。どうせ恵悟はまだしばらく帰ってこないのだから、基地で一人で過ごそうが家で寝ていようが大した変わりは無いのだ。
 本棚に並ぶ書物を、紙が重なっているだけの背表紙部分の古そうな変色順に、端から端へ追っていく。たまに気の留まった書物を取り出し中を何頁かめくってみたものの、その内容は半分も理解出来なかった。やはり御先祖様の知識には僕はまだまだ遠く及ばないようである。もっと勉強が必要だ、そう思った。
「ん?」
 理解出来る部分が一行でもあれば良いと書物を何冊か眺めていた、そんな時だった。ふと棚の隅に、妙な冊子が何冊か重ねられているのを見つけた。表紙は、白紙に恵悟が持っていたものとはまた違う形のカメラ、そして題名には片仮名でルポルタアジュと書かれていた。片仮名は少しは読めるものの、その意味はほとんど分からない。ただ冊子の体裁が明らかに御先祖様の蔵書とは違っているため、里の誰かが書いたような書物では無い事が分かった。
「人間の書物……?」
 最初の印象はまさにそれだった。里の者は片仮名を日常で使う事はまず無い。それを書物の表紙に使っているという事は、これは人間の町から持って来たものである可能性が高い。ただ、人間の書物を里へ持ち込む事は掟では禁じられている。それが一体何故、我が家の蔵にあるのか。しかも書物はさほど古びてはいないから、最近持ち込まれた物のように思う。そうなると、真っ先に思い当たるのは父である。父は買い出しへ出掛けられる許しを長老から得ているから、買って持ち込む事は可能なのだ。だが、あの父が掟を破るとは考えにくい。いや、そもそも何のために人間の書物など危険を冒してまで手に入れる必要があるのか。興味本位だけでは到底割に合わない事にしか僕には思えない。
 一体この書物が何だというのだろうか。僕は積み上げられている中から一番の書物を手に取って開いてみる。最初に目次らしき頁があり、良く分からない文字や記号が幾つも踊っていた。だがその中に、明らかに後から引かれたらしい赤い線があるのが目に留まった。これを引いたのは父なのだろうか。そう思いながら、線を引いている箇所が示す頁へと移る。
「不可解事件特集、追跡三回メ……」
 その頁でまず目に付いたのは、でかでかと印刷された主題らしき文字だった。文字の語感からして、何か理屈では説明出来ない事を調べて記事にしそれが三度行われたのだと、僕は解釈した。そこでふと気になり、別の書物の目次を開いて確かめてみると、やはり同じ主題の所に赤線が引かれている。そして書物の題名も同じくルポルタアジュ。どうやら父は、この書物で連載されている記事を集めているようだった。
 一体何がそれほどまでに父の興味を引いたのか。ともかく僕は最初の書物から、その記事を読み始める事にした。