BACK

 まさか恵悟との写真をすっかり忘れてたしまっていたなんて。
 自分の間抜け加減を後悔するよりもまず、この状況をどう弁解すればいいのか、それだけで頭が一杯になった。少なくとも、恵悟との事を隠し通すのは無理、僕が掟を破っている事はごまかしようがない。長老にどこまで知られているのか、それを窺うことが最初だ。そう思っていたのだが、
「この人間の童は、村上恵悟。都会から学校を休んで麓町に来て住んでいる。そうだな?」
「は、はい……」
「お前はこの村上恵悟に、我らの教本を貸し与えた。この写真はその時のものだな?」
「はい、そうです……」
「今言った事の他にはあるか? わしに言っておかねばならない事は」
 その問いに、僕は即答を躊躇った。長老は遠回しに破った掟はもう無いかと訊いている。しかしそれは、知っていて僕を試しているのか、それとも本当に知らないのか、窺い知れなくて答え難い。隠すにしても明らかにするにしても、程度が見極めがつかないのだ。
「小太郎、お前……っ!」
 その時だった。これまで終始黙り込んでいた父は突然立ち上がると、横から僕に向かって猛然と掴みかかってきた。
「お前は……、お前は何ということを……!」
 顔を真っ赤にし詰め寄る父を、僕は驚きで半ば呆然としながら見上げた。こんなにも感情を荒げた父をかつて見た事はなく、同時に自分の仕出かした事の大きさを突然と実感してしまった。それは何よりも大きな後悔で、真っ白な頭の中が途端に真っ暗になるような気分だった。
「この馬鹿息子が! この期に及んでまだ隠し立てするつもりか!」
「そ、そんな、僕は何も」
「まだ言うか!」
 直後、父が僕の頬を打った。父親に殴られるのは生まれて始めての事で、自分に起こった出来事が俄かに理解出来なかった。
「いいか、良く聞け! 長老はな、初めからお前がしてきた事は全て御存知なんだよ!」
「全てって」
「長老の目はな、我らとは違う、何でも見通す千里眼なんだ。この山での事は何でも見通されているんだよ。お前だけじゃない、俺も誰も彼も長老は常に見張っておられる」
 すると、長老が父の言葉を遮るかのように、たんっ、と手元を軽く叩いた。
「幾ら何でも、いつも誰も彼もと見張る事は出来ぬぞ。わしが見るのは、気にかかった者だけじゃ」
 すみません、と言いたげな恐縮した様子で僕から手を離し一礼する父。しかし相変わらずどちらの表情も和やかさとは無縁の厳しいままだった。
「小太郎、父さんはな長老よりも前からずっとお前の様子がおかしいことは気付いていたんだよ。お前は、自分ではうまく隠し通していたつもりなのかもしれないけどな」
「……僕は何も余計な事は言わなかったはずだよ」
「言ったさ。覚えているか? 父さんがお前に、敬語の使い方を口煩く言ったのを。そしたらお前は、友達同士で敬語なんか使わない、そう答えた。お前は里の誰とも一緒に遊んでいないにも関わらずだ」
 そんな事を僕は本当に言っただろうか。本当に言っていなければ、すぐさま反論したと思う。けれど、確証も出来ない事だから何とも言えなかった。それに、友達が出来て遊ぶのに夢中になっていた僕なら、そんな事を言っていてもおかしくはない。
「もう良いな、小五郎」
 父は長老の問いにこくりと頷くと、すごすごと僕より更に一歩後へ引き下がり、そのまま黙り込んだ。もう話す事はないのだろう、何となくそう思える様子だった。
「小太郎よ、今わしが最も案じているのは、お前が掟を破っているのかどうかではない。むしろ、そんなものはどうでも良い事なのじゃ」
「どうでも良いって……それじゃあ、僕は何をすれば良いのでしょうか?」
「まずは村上恵悟の人と形を詳しく話せ。それによって、真意を見極める」
「まずは、って……まさか」
 長老は恵悟に何かするつもりではないのだろうか。
 すると長老は僕の心を読んでいるかのように、その不安と疑問に答えた。
「村上恵悟が悪意のある者であれば、断ずる。これ以上、人間の町に要らぬ混乱を起こさぬようにな」
 断ずる。その曖昧だけれど恐ろしいものしか連想出来ない言葉に、たちまちに自分の血の気が引くのが分かった。
「しかし! しかし、恵悟はただ自分の身を守るためだけに術を使っているだけです!」
「本当にそうか? 小太郎、お主はそれを村上恵悟に訊ねたのか?」
「いえ、それはまだ……。でも恵悟はそうだと僕に約束しました。僕は、恵悟を信じています」
「とうにその約束は破られたのではないのか? お主とて薄々気付いているはずじゃ。自分が村上恵悟に騙されていることを」
 そんな事は絶対に無い、そう自分に言い聞かせながらここ最近の恵悟のことを思い返してみると、どうしても恵悟の嫌な言葉ばかり出て来てしまう。あれはただの冗談で、恵悟の本心ではない。そう言い聞かせれば言い聞かせるほど、僕の中での疑いがより濃くなっていく。
「小太郎や。お主は、村上恵悟を友達と本当に思うておるか?」
「はい、僕にとってたった一人の友達です」
「だが、もしも村上恵悟がそう思うてなければ、如何にする?」
「如何にと言われましても……」
 想像もしていなかった事だ。この先、何かで喧嘩したりして恵悟と絶交する事はあるかもしれないと考えた事はある。だけど、これまで友達と思って接していながら、それとは裏腹にそうとは考えていないなんて、僕には理解が出来ない。
「村上恵悟には訊ねたか?」
「いえ、そんな事はとても。しかし僕は」
「信じている、そう言いたいのであろう。だがな、わしは今、こう考えておる」
 長老は一つ溜息をついた。色々な気持ちの入り交じった、複雑な溜息だと思った。
「村上恵悟は、初めからこの山に天狗を探しに来て、あわよくば我らの力を自分の物にしようと企んでいた。調度そこにお主が出くわしてしまった。歳が近く話も合わせ易いなら、うまく機嫌を取っておけば何かと利用出来るはず。お主はそうやって、まんまと利用されただけじゃ」