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 どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
 人間は生れつき残酷な事が出来る、だから我々とは似ていても本質は全く違うのだ。そう長老の言った言葉がまたしても頭の中から聞こえてくる。僕のしたことが恵悟を間違わせた、そう思いたかった。そもそも僕は、恵悟を深く掘り下げるように問いただしたくなかったのだ。ただ一言、僕の目をじっと見て、約束は破っていないのだと答えてくれれば、それ以上は何も無いのだ。ここまで拗れた揚句、決定的な言葉まで聞かされたのであれば、もう修復は二度と出来はしない。僕は今にも気を失いそうなほど、深く落胆した。
「僕は……そういう事をしたらとても後悔すると思う。たとえ、どういう事をされた相手であっても」
「じゃあ小太郎に良い事教えてやるよ。僕だってね、最初は色々考えたさ。思い悩んだりもした。でもね、一回目と二回目は天地ほど違うけれど、二回目以降は何度やっても同じにしか感じないんだよ。そしていずれは何とも思わなくなる。第一、僕がしているのは間違った事じゃないんだからね。まあ慣れだよ、慣れ」
 それは僕も同じだと思った。初めて掟を破った時は怖くて仕方なかったけれど、二つ三つと破るのはさほど物怖じしなかった。そればかりか、掟そのものが不自由で悪いものだとすら思い始めた。だけど、僕と恵悟で違うのは、僕はそれでも罪悪感は消えなかった事だ。恵悟のように、慣れと言い切る事は出来ない。
 訊ねれば訊ねるだけ違いが際立ってしまう。胸が痛むから、これ以上は訊ねない方がいいと思った。しかしその反面、どうしても訊いておきたい事があった。僕達は本当に友達だったのか、だ。
 訊ねるのは怖かった。否定されるかもしれないと本気で不安だからだ。このまま触れなければ最悪でも本当に友達だったと勘違いしたままで終われる、だから真相はどちらでも訊ねない方が正解だ。けど、それは僕が友達を疑っている証拠にもなってしまい、たとえ何があっても確かに友達同士だったのだという繋がりが消えてしまう、全く別の怖さがある。
 あの時僕は、何故天狗を探しているのか、はっきりとは訊ねなかった。まさか恵悟は、初めからそのつもりで踏み入ったのだろうか? ならば僕は、恵悟にとって本当に友達だったのだろうか? ただ利用するだけの都合良い存在でしかないのだろうか?
 しばし悩んだ末、僕はその問いを口にする決心を固めた。こんな時だからこそ、あえて訊ねて再確認するべきなのだ。怖いもの見たさにも似ているけれど、このまま黙り通してはならない。
 すると、
「なんか随分色々悩んでるね」
 不意に恵悟がそんな指摘をした。驚いてまごついていると、恵悟はにやりと口許を歪めて更に指摘する。
「人の心を読む術、覚えたんだよ。小太郎はまだ出来ないんだね」
「え……?」
 確かにそんな術はあったけれど、長老とは違い目の前の者しか読めない術だ。そう頭に過ぎらせた途端、
「へえ、長老のは離れていても読めるんだ」
 見事に恵悟は僕の考えていた事を言い当てた。僕は恵悟に対して半ば反射的に警戒心を剥き出しにした。幾ら気が置けない仲と言えとも、頭の中にまで堂々と土足で踏み込まれるのは生理的に嫌なのだ。
 覗かれるのを防ぐのはさほど難しい事ではない。読まれている事を意識しているだけでもう相手からは読まれなくなるのだ。僕はすぐにそれを実施したのだけれど、恵悟は何故かにやりと意地の悪そうな笑みを浮かべるだけで、驚きも疑問も何も反応を見せなかった。そして、
「小太郎、お前が考えてる事に答えてあげようか」
「考えてる事?」
「そう。ずっと訊きたかったんだろ? だから今日は、珍しく僕に食って掛かってくるんだろ? ちゃんと言質を取らないと、大人達に対して釈明が出来ないからさ」
 どうして意識を向けているのに恵悟は僕の考えを読めるのだろうか。そう一時戸惑ものの、冷静になって思い返してみれば、恵悟はずっとここに来た時から僕の考えている事を覗いていたかもしれないのであって、とっくにそれらの疑問は知られていてもおかしくはないのだ。ただ疑問というよりも怖いのが、それを敢えて指摘した上に答えようとする恵悟の考えだ。
「僕はね、本当はずっとあいつらに復讐してやりたかったんだよ。けれど僕は仲間もいなければ喧嘩も弱い。かと言って親に泣きつく事も出来ない。だからいつも想像するだけで、実行出来る手段も見付からないし、機会も作れなかったんだ。そんな時に、ふと面白い本を古書店で見つけたんだよ」
「面白い本?」
「この地域に伝わる昔話を集めた本だよ。何の事も無い、しょうもない本さ。けどね、その中に一つだけ面白い話があったんだ。ある男が山で山菜を採っていると、山の主を名乗る者が現れ、採った物を全部置いていけと言う。男がそれを断ると、今度は知恵比べをし勝った方に従おうと持ち出され、男は勝負を受ける。男は知恵を巡らし見事主を負かした上に、主がはいていた高下駄まで取り上げてしまう。その高下駄ははくだけで一日に千里も走れる不思議だ高下駄で、男はそれをうまく使い幸せに暮らしました、とさ。どう? 何か通じるものがあるよね?」
 何かを僕に言わせたい、そんな表情だった。僕は黙ったまま頷き返す事もしなかった。
「流石に本当かどうかなんて言ったら怪しげな話だし、僕だって真には受けないよ。けどね、切っ掛けになる何かがあるんじゃないかなって思ったんだ。山の主との遭遇は切っ掛け、知恵比べはそれを物に出来るかどうか、不思議な高下駄は手に入れた技術。そんな風に解釈してね。実際の所、武道の一つでも習ってやり返すのが一番手堅いんだろうけど、体の弱い僕にはすぐには踏ん切りがつかなくて。僕にとってこの山に来たのは、その踏ん切りをつけられる何かが見つかるかもしれないと思ったからなんだ」
 そして見つけたのは僕、いや僕がその踏ん切りになったのだろうか。
 そんな事を思い、ふと恵悟が僕の様子を窺うような素振りを見せたので、すぐに頭から言葉を取り払った。それでも恵悟の表情は相変わらず心中の読めない薄笑いのままで、相変わらず僕を不安にさせる。その拭えない不安に、つい、口を滑らせてしまう。
「僕達、友達だよね?」
 出来るだけ恵悟の目を見ながらそう訊ねてしまう。その恵悟は同じ表情のまま、どうとでも取れる仕草を僅かにするだけで答えようとはしなかった。けれど、その代わりに恵悟の心の声が聞こえてくる。僕も心の声を読む術は知っている。あの教本を先に読んだのは僕なのだ。本当は誰にも使うつもりはなかったのに。
 馬鹿言うなよ、いつまでも山遊びなんかしてられるか。
 恵悟の表情はやはり薄笑いのままだった。