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 ずっと、ある程度は覚悟していたからかも知れない。僕は思っていたより衝撃は受けなかった。けれど、前後不覚になるような混乱は招かなかったのと同時に、ただただ深い悲しさだけが込み上げてきた。結局の所、何もかもが長老の言う通りだったのだ。あまりに悲観的で馬鹿馬鹿しい推論だと鼻で笑っていたけれど、近視的で、本当に馬鹿馬鹿しい考えをしていたのは僕の方だったのだ。
 今なら分かる気がする。何故、祖父が自ら死を選んだのかを。自分で自分を殺さなければならない馬鹿げた理由、それを僕は見つけてしまった。
 やはり、祖父が自らを断ったのは、人間に騙されて術を盗まれてしまったからではない。これほど心を許していた者に、自分が騙されていたという事実を受け入れきれなかったからだ。確かに今、僕は、衝動的にではあるけれど、そうしたいと思っている。この激情が収まるまではきっと、まともな思考は出来そうにないだろう。
 自分の気持ちは今、激しく荒れ狂っているのか、冷たく沈み込んでいるのか、それすらも見定められなかった。これまで自分が経験をした事のないような状態にある事だけ感じるばかりで、後はほとんど言葉にも言い表せられない雑音のような信号が頭の中を駆け巡っている。
「あ、でもあれか。小太郎はともかく、大人達にはばれたんだっけ。まあしょうがないさ、何事も節目があるもんだからね。それよりもさ、もう教本の続きは無いの? 夏休みにはまた来るからさ、それまで貸してよ」
「え? いや、でもそれは」
「大丈夫だって、ちょっとだけだからさ。いいだろ、それくらい」
「だからその、今はもうそういう状況じゃ……」
「そこを何とか、さ。ちょっとだけ、な? 友達だろ」
 どうせ大丈夫だろう、友達だって言っておけば、小太郎は結局何でもする。それさえ言えば信じる単純な奴だ。
 術を通して、またそんな恵悟の声が聞こえて来る。
 恵悟との事の結論は僕が決めなければいけない。長老に言われ、でも先程まで大した事とは思っていなかったそれを、急に強く意識し始める。結論とは決着、そして始末の意味も含む。長老は具体的にどうしろと命じはしなかったけれど、掟に従うのならば盗んだ人間は殺すとも言っていた。それをけじめとして僕に決心させる事を求めているのか、それとももっと別な形を期待しているのか。ただ少なくとも、これ以上の混乱や災禍を人間社会にもたらせないようにする確実な方法を長老は望んでいる。そのために僕がどこまで情を捨てられるのか。きっと、今もそれを長老は眺めているのだろう。
 一度教えた事を取り上げる事は出来ない。そして恵悟はもう僕との約束は守ってはくれない。ならば、一体どうすれば術を使わせないように出来るのか。最初に頭を過ぎったのは長老の言葉とその光景で、思わず身震いをしてしまった。こんな選択を迫られ、こんな辛い思いをしているのは、全て自分のせいだったのだとここにきてようやく理解する。こんな状況を招くのだから掟は存在する。今までの掟を感情で軽視していた自分を恨みたい心境だ。
「なあ、小太郎。なんだよ、まだ怒ってるのかよ。さっきの事」
「え? ああ、いや、別に」
 恵悟に呼ばれ、僕は咄嗟に警戒されてはなるまいと作り笑いをして見せた。だけど、表情と気持ちを切り離す事に慣れていない僕は、今一つ自然な表情が作れなかった。
「何だよ、気持ち悪いな。急に変な顔してさ」
「何でも無いよ。ちょっと来る時に急ぎ過ぎて疲れただけだから」
「ふうん、やっぱ小太郎でも走れば疲れるんだな。今までずっとさ、山の中なら自分の庭のように歩いてたから、それくらいじゃ疲れないんだって思ってた。僕とは違って体力もあるんだろうし」
「特別って訳でも無いよ。単に歩き慣れてるだけだから、同じ距離でも走れば疲れるよ」
 悟られただろうか、と一瞬不安を覚えるものの、恵悟には僕を警戒する素振りは見られなかった。僕は改めて心を読まれぬように気持ちを引き締める。
 まだ恵悟は油断している。僕を軽視している。それは何かをするにはまたとない機会であり、ここを逃してしまえば二度と会えなくなる、僕はたちまち焦り始めた。けれど、行動を起こさなければと思う反面、何をどうしようという考えが未だに決まっていなかった。だから早急にそれを決めなくてはいけない。もう一緒にいるのが当たり前に感じるほど、長い間一緒に遊んできた友達をどうするのか。それを、この僅かな間に、だ。
 恵悟をどうするべきか。無論僕は、友達をどうかしたくはなかった。しかし、どうにかしなくてはいけない状況に陥っている。そうしなければ、世の中が正しくならなくなってしまう。それは恵悟の責任ではなく、掟を破った僕の責任だ。責任を取るのは他でも無い僕しかいない。
「で、今日はどうする? 何か適当に遊ぶ?」
「あ、んと……そうだね」
 今此処で決めなくてはいけない、僕の結論。時間は限られているというのに、僕は未だそれを下せずにいた。