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 怒られる訳でも突っぱねられる訳でも無く、悲しまれている。予想していなかった長老の言葉に、僕はいささか困惑してしまった。
 確かに普段よりもずっと強い口調で言い迫ったから、思わぬほど傷付けてしまったかもしれない。けれど、子供が多少怒鳴っただけで大人が泣くはずはない。それは逆の立場だ。
 どうして長老はそんな辛そうな顔をするのか。僕にはまるで訳が分からなかった。
「自分では気付いておらぬか? 自分の変わり様は」
「前と違って、あまり素直に言う事を聞かなくなったとは思います」
「そういう事ではないよ。そんなもの、歳を取れば皆が経験する事じゃ」
 大人の言う事を聞かなくなった事でないのなら、一体何が変わったというのだろうか。疑問に思いつつも、小首を傾げて思案するほど寛容ではない。そんな事よりも僕は、どうして長老が恵悟にあんな事をしたのか、その理由をはっきりとした言葉で聞きたかった。
「不満か? のらりくらりとかわされているようで」
「それもありますけど……まだ話して戴けない理由があるのですか?」
「そうではないさ、そうではのう」
 だったら何だと言うのだ。僕は思わず苛立ちを表に出しそうになる。そもそも、こんな言葉遊びをするのは無駄だと思うのだ。そんな悠長は話ならば、何も隠れてこそこそ忍び込むような真似はしない。せめてそれぐらいは察して欲しいと思う。わざわざ庭に出て僕を待ち構えていたのだから。
「小太郎や、お主が一番信用出来るのは誰じゃ?」
「信用、ですか?」
「そうじゃ。自分の全てを任せても良いと思えるような者の事じゃ」
 それならば、僕は自分の両親を信用している。父と母なら絶対に僕を裏切るような事をしない。あと、惣兄ちゃんも当て嵌まるだろう。基本的に同じ一族で疑わしいような者はいない。それに、真っ向からは言えないけれど、恵悟の事も未だ信用しているような気がする。
 それが何だというのだろう、誰だってほぼ同じ事を答えるような質問である。僕はますます長老にかわされているのではとうたぐった。
「小太郎や、良く聞きなさい。村上恵悟は事故に遭ったんじゃ」
「事故……ですか?」
 唐突に切り出され、僕はぽかんと口を開ける。疑う以前に、かわすのを止めたかと思えばなんて馬鹿馬鹿しい事を言い出すのだと、腹立たしさを覚えた。
「一人で足場の悪い崖を歩いて、そこから落ちてしまった。それをわしと小五郎が見つけて、人間の町まで運んでやった。後は知っているのであろう? 町の者に見つけられ病院へと運ばれた。意識もまだ戻っていないそうじゃのう」
「そんな、まさか。あの日は一緒に別れたし、麓へ下りる道には危険な場所なんか無いはずです」
「村上恵悟は自分で戻って来よったのよ。あの川上の滝の上の崖にな。一人で歩きたい理由でもあったのではないか?」
 恵悟が崖から足を滑らせ、それを慌てて自分が助けた事を思い出す。恵悟は僕に出来るなら自分にも出来ると強がっていて、その結果そういう事になってしまった。もしもそれを恥ずかしいとか悔しいとか思っていたのなら、次の日には僕を見返してやろうと誓っていたのなら、知らぬ間にそんな行動に出ていたとしてもおかしくはない。
 しかし、
「本当にそうだとして、それなら何故僕に黙っていたのですか?」
 長老は答えない。やはり嘘だと僕は即断した。黙っている理由は疚しい部分があるからに外ならない。父がわざとらしく人間の事を批難して聞かせたのも、この事から僕の目をそらさせようとしたに違いない。結局の所、二人は僕の事を騙そうとしただけなのだ。それらしい嘘を幾つも並べてまで。
「本当は違うんでしょう? 長老がしたんでしょう? それとも父ですか? 理由は十分ですよね、恵悟は一族の術であんなことをしたから」
「十分ではないよ。そもそもあの事件と村上恵悟が繋がりがあるかどうかなど定かではない」
「だって本人がそうと言ってたじゃないですか。それに、家の蔵に集めたあった人間の雑誌だって、そのためではないのですか?」
「確かに調査のため集めさせはした。しかし、結論としてあれは村上恵悟とは関係の無いものじゃ。お前の気を引くために出まかせを言ったのかもしれぬぞ。村上恵悟は見えっ張りな性格ではなかったか? 年下のお前を下に見てはおらんかったか?」
 確かにそれは僕も実感している事である。しかも恵悟は大小問わず僕に嘘をつく。けれどそれ以上に、僕達は本音で話し合う仲だったのだ。いつからおかしくなってしまったのかは思い出せないけれど、恵悟が都会での事を話した内容は全て本音で、嘘偽りは絶対に無い。
「恵悟は嘘をついただけで何もしてなくて、事故で大怪我をしたという事にしたい。僕にはそうとしか聞こえません」
「そうか……」
 長老が深く溜息をついた。またしてもそこから、あの何とも言えなくなる悲しい色が滲み出てきた。けれど僕にはそれが当てつけのように思えて、より苛立ちを強くするだけだった。
「お主が変わってしまったと言ったが、わしが言いたいのはこういう事よ。お主は、すっかり誰彼も信じなくなってしもうた」
「周りが僕を騙そうとするのだから、仕方がありません」
「わしは、お主を騙そうとして騙した事など一度たりともない。いや、わしら天狗の一族は、少数民族だからこそ、互いに信じおうて暮らして来たではないか。疑いの目を最初に持ち込んだのは小太郎、お主の方じゃ。お主は、誰かを騙そうとして騙した事は無いなどと断言出来るのか?」
 痛い所を突かれた。そう思うのも束の間、確かに僕は掟を破っていた事を隠すために嘘をついたり騙したりしてきた。だけど、長老が本当に誰を騙していないという事など調べようがなく、少なくとも僕には説得力を感じなかった。それに、恵悟が大怪我をした事を黙っていたのは騙した訳ではないのだから問題はない、と言っているようにも聞こえてならない。
 本当に僕だけが悪いのだろうか。僕が悪くなったせいで、周りに迷惑をかけたと言いたいのだろうか。僕が人を信じなくなったという長老の言葉は、軽視出来ない重みはある。だけど、素直にその通りだと受け入れる事は出来ない。僕が人を疑うようになったのが悪いのだと、まるで僕一人だけが悪人扱いされるような結論に納得しろという方が無理な話である。