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 朝食が終わると住吉は台所で洗い物を始めた。しかしドロシーは一人テレビをつけて見ている。手伝おうというつもりは無いらしい。住吉も何も言わない所を見ると、このうちでは当たり前のことらしい。僕だけでも手伝おうと思い台所へと行ったが、シンクにまで手が届かず、結局住吉に言われるがままドロシーと並んでテレビを見る事になった。
 ドロシーが見ていたのは朝のニュース番組だった。参院選の特集がずっと続いているらしい。ただ、昨日は選挙演説中にハプニングがあって、そればかりを繰り返していた。渋谷での演説中、突然現れたその人はマイクを引ったくって選挙カーから皆を追い出すと、参政権を日本古来の神にだけ拡大しろ、という要求をしたらしい。だがその演説も十秒もしない内に警察に止められてしまい、また何事も無かったかのように選挙演説が再開されたそうだ。この事件について、コメンテーターはみんな慣れたような様子で呆れ口調の軽い批判だけした。どうやらこの乱入者は、割と頻繁にこんなことを繰り返しているらしい。ただ、日本では非常に馴染みのある神のため起訴には慎重なのだそうだ。
「私、このおじさん好きなのよねー。きっと人生楽しいんだろうなあ」
 そうドロシーは、テレビに映る事件のリプレイを見ながら語った。
「どうして楽しいと思うの?」
「自分の行動に疑問がないからよ。悩みのない人生って幸せじゃない?」
 けれど、ドロシーの言う事は僕にはよく分からなかった。悩みとか人生とか、そういうものがまだ実感出来ていないせいもある。けれど、テレビに映ったあの人の必死の形相からは、あまり幸せという言葉は連想し難かった。
「お茶煎れるぞ。飲むか?」
 やがて洗い物を済ませた住吉が、電気ポットを持って来ながらそう訊ねる。するとドロシーは手を挙げて、飲む飲むとアピールする。僕もそうしなければと思い、同じように手を挙げてアピールする。それを見た住吉は苦笑いした。
 日本のお茶は緑色をしている。ふと一目見た感じでは、何か雑草の茹で汁ではないかと思ってしまいたくなる。けれど、何となく僕はこれがちゃんとした飲み物だと知っていた。多分、思い出せない過去の一部ではないかと思う。
「あーおいしい。本当、これで見た目さえ良かったら最高なんだけどねえ。昔の日本人って何考えてこんなの飲んだのかしら?」
「さてな。茶葉は海には無いから分からん」
「ところで、すみちゃん。今日は漁に出なくていいの?」
「昨日の内に休みを取った。それに、この天気じゃ沖は時化だ。たいしたものは捕れん」
「じゃあ、今日は一日私とラブラブしようね」
「誰がいつそんな事をした。今日はクリスを人外管理局に連れて行かなきゃならん。後は大家にも挨拶をせんとな。あまり長引かせると、入管に取っ捕まっちまう」
 それに対してドロシーは、大変ねえ、と間延びした口調で答えるだけで、視線はまたテレビに向いていた。あまり難しい事は考えない気質なんだと思う。住吉の半分諦めたような表情も何となく理解出来る気がした。
「あ、そうだ。この際、養子にしちゃえばいいのよ」
 直後、唐突にそんな事を主張するドロシー。テレビには育児の雑誌の宣伝が映っている。だがそれを確認するまでもなく、住吉の眉は中心に向かってきゅっと寄った。
「独身で養子が取れるか」
「じゃあ結婚すればいいのよ。ねえ、クリスちゃん。ママとお母さん、どっちがいい?」
「下らん事を言ってんな。子供は本気にするぞ」
「やん、私は本気なのに」
 じろっと睨む住吉、するとドロシーは両腕を胸の前に寄せて、いやいやと首を振った。凄くわざとらしい仕種だと僕は思った。この二人はいつもこんな事をしているのだろうか。住吉の呆れた表情がその内顔に張り付くのではないか。そんな気がする。
 それからしばらくそんな雑談を続けていると、唐突にドロシーがそろそろうちに帰ると言い出し、あっという間に出て行ってしまった。住吉に訊ねると、いつもあのように急にやって来ては急に帰ってしまうのだそうだ。あまり人の都合は考えないのだろう。それを許容する住吉は懐が深いと思う。
 ドロシーが帰ってから間もなく、僕達も出掛ける事になった。まだタグのついている、買ったばかりの服を開けてそれに着替える。上着を着ると今まであまり気にしていなかった背中の羽が、後ろから押さえ付けられるような違和感がした。
 住吉に連れられて外へと出る。外はまだ雨が降り続いていた。風も少しあり、階段から見える街路樹が左右に揺れている。僕は濡れないようにぴったりと住吉にくっ付いて歩いた。住吉のさす傘は大きく、それで十分だった。
 目的地には電車とバスを乗り継いで行くのだという。都内だが新設の建物のため、駅からは離れているのだそうだ。駅はアパートとから歩いて十五分ほど。ちょっと距離が長いが、体の大きな住吉には大した距離には感じないのだろう。
「あの、ところで人外管理局って?」
「人間以外の連中を管理する役所さ。今の日本は色んな国から人外が雪崩れ込んで来てるからな。そういうのを管理するんだ。しかし、どういう訳か俺のような日本に元々居たのまで登録せにゃならん。ま、郷には従うがね」
 人間とそれ以外とで、一くくりにして管理しているという事なのだろう。もっと細かく分けてもいいのではないか。そう僕は思う。細かな区別があれば、もしかすると自分に似た人の事を教えて貰える気がするからだ。
「どうだ、周りの風景は見覚えあったりするか? 東京っぽいなあとかよ」
「ううん、分からない。でも、物珍しい感じはしない気がする」
「そうか。じゃあやっぱお前は、日本に住んでた事があるんだろうな。管理局に行けば過去の記録も照会して貰えるから、すぐに身元は分かるだろうさ」
 心配するなとばかりに、住吉は大きな手で僕の頭をわしわしと撫でる。温かくて力強そうな手だった。自分の手と見比べると、なるほど何故自分はこうも心細い気持ちなのか良く分かる、そう思った。
 でも、住吉の言う事に納得する半面、僕は少し変だとも思った。僕のような小さな子供が、過去に長く日本に住んでいたなんて、それは不自然じゃないだろうか? それとも、僕は人外だから歳の感覚は人間とは違うのだろうか。