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 人外管理局。それは靖国通りからバスで少し走った所にあった。バス停の名前が人外管理局前となっていて、実に分かり易かった。そしてバスから降りる客も、如何にも普通の人間とは違う風貌の者ばかりで、これもまた分かり易いと思った。
「ねえ、あれは何?」
 バス停を降りてまず目に入ったのは、道路の反対側に広がる木々だった。それはピンク色の花を幾つも咲かせ、そのあまりの綺麗さに僕は思わず見入ってしまうほどだった。
「ああ、桜だ。ここは皇居の近くだからな。桜は日本の国花でな、この季節になるとみんな桜を見ながら心を和ませたり、冬の終わりを喜んだりするものさ。法定になる前は菊なんてのもあったんだが、今じゃあ国花と言えば桜一つよ」
 自分は桜を見るのは初めてなのだろうか。僕にはそれが分からなかった。けれど、確かに心を奪われるような綺麗な花だと思う。一つ残念なのが、今日の天気が雨だという事だ。雨の中の桜はどこか悲しげに映る。
 人外管理局には、まだ朝だと言うのに最初の受付から長蛇の列が出来上がっていた。見渡す限りの異族達という光景に驚き、息が詰まりそうになる。一体彼らはどこから来たのだとか、自分と同朋がいるだろうかとか、そんな事を考える余裕は一瞬で消え去ってしまった。
 異族や人外の登録とは何をどうしたら良いのか分からない僕は、書類を取って何かを書き込んだり窓口を幾つも回る住吉の後にひたすらついていくだけだった。何をしているのかと訊ねてみても、ただの履歴書のようなものを何枚も書いているだけで何に使っているのか分からん、と住吉も口を尖らせるだけだった。難しい事というより、ただただ面倒なだけというそんな感じがした。
 ひしめく人込みを掻き分けるように進みながら、次々と窓口に書類を提出していく。提出した書類の代わりに出て来るのはまた書類で、そういったものを何枚も揃えないといけないらしかった。そんな書類が一束出来る頃、僕達は奥の別室へと通された。その部屋の長椅子には何人かの異族が座って待っていて、しきりに更に奥にある三つのドアへ視線を向けては戻していた。何だろうと思っていると真ん中のドアが突然開き、中から大柄で髪の無い頭に角の生えた一つ目の男がぬうっと現れた。如何にも異族であるという風貌である。突然現れた事で驚くあまり、つい彼をしげしげと見つめてしまった。その直後、運悪く彼と視線が合ってしまい思わず住吉の後ろへ隠れてしまう。けれど彼はそんな僕に何とも言わず、むしろ軽い足取りで鼻歌混じりに外へ出て行ってしまった。
「ここでは健康診断と面接だ。別に緊張しなくていいぞ。ちょっと血を採って、後は簡単な質問をされるだけだ」
「血を採るの?」
「大丈夫だって。ちょっとチクッとするだけだ」
 長椅子に住吉と二人で並んで座り自分の順番を待つ。正直な所、僕は酷く緊張していた。面接という事は知らない人と話すという事だし、血を採るという事は針を刺されるという事だからだ。住吉の助言もこればかりはあてにならないと思った。住吉の性格なら人前で怖じけづく事もないだろうし、こんなに太い腕なら針の一本や二本刺さっても何ともなさそうに見えるからだ。
 しばらくして、右手のドアが開き中からやけに嘴の尖った羽の生えた男が出て来た。妙に歯の長い下駄をはいていて、それが歩くたびにカランコロンと音を立てた。
「受付番号102の方、どうぞ」
 そのドアの中から呼ばれ、住吉が椅子から立った。遂に順番が来たと思い、僕も反射的にそれに続いたが、これからする事を考えると足取りは重くなった。
 部屋の中には書類や事典のような厚い本が幾つも積み上がった机、そこには椅子に半がけになった白衣の男性がいた。その隣には下はスラックスだけど上が作業着という妙な格好の男性が立っていて、ボードに挟んだ書類をしきりにめくっている。
 白衣の男性に促され、すぐ側で向き合うような距離の椅子に座らされた。白衣の男性は医者で、簡単な健康診断をするから緊張しなくていいと僕に告げてきた。それでも不安に思った僕は後ろの住吉を探して振り向いたが、作業着の男性と何かをはなしこんでいて僕の方には全く気付いていなかった。
 そういている内に健康診断は始まった。服を脱がされ、冷たい聴診器を胸と背中に当てられ。金属のへらで舌を押され、上を向かされたと思ったらハサミに似た器具で鼻の穴を広げられ。瞼を左右同時に引っ張られ、髪をぐしゃぐしゃと掻き回された。そこでようやく椅子を立たされたと思ったら、すぐ側にあった機械の上に立たされ身長と体重を測った。それからいよいよ採血だった。怖くて目をつぶっていたが、針先が刺さった事すら分からない内に終わってしまった。今の注射針は子供用の痛みが少ないものらしい。それでも針を見ただけで泣き出す子供もいるらしいが、採血をするのは外国から危険な病原体を持って来ていないかを調べるためなので、どうしてもやらなければいけないらしかった。この国に住む以上はこういう人間のような事も必要なのだろうと思ったが、それも束の間で、そんな事より自分の血が普通に人間と同じ色をしている事に驚いていた。
「はい、お疲れ様。次はそちらで面接を受けて下さい」
 ようやく医者に解放された僕は、ふらふらになった心境で住吉と作業着の男性の元へ歩いた。作業着の男性は管理局の担当局員で、血液の検査結果が出るまで面接をするそうだった。
 部屋の隅にある丸テーブルを三人で囲むように座る。局員は目の前にパソコンを構えていた。テーブルの真ん中にはキャンディを盛ったカゴがあって、僕は思わずそれを凝視してしまった。すぐにそれは局員に見つかり、どうぞと笑顔で進められてしまった。僕は早速オレンジ色の包装に手を伸ばしたが、ありがとうが先だ、と住吉に怒られてしまった。
「さて、クリステル君。君はどちらから日本へいらっしゃったのかな?」
「え、その……分かりません」
「分からない? 一時的な記憶の混乱でしょうか。それにしても日本語がお上手なようですね」
「ああ、すんませんね。こいつは俺が海岸で拾ったんですわ。覚えて無いのはその時のショックでしょう」
「なるほど、そういう事情がありましたか。では、国籍は不明という事で。となると、日本へ来た経緯も分からないという事ですか」
 局員はパソコンに向かってぱちぱちと何かを打ち込む。僕についての情報なのだろうと思った。
「保護者はこちらの住吉さんでよろしいですね。住居も御一緒で間違いありませんか?」
「大丈夫です。こいつの面倒は俺がみるつもりなんで」
「御職業は漁師とありますが、新築地に御勤めですか?」
「そうです。組合の方に電話すれば確認取れますよ」
 再び局員はパソコンに向かってぱちぱちと何かを打ち込む。今度は住吉についての情報なのだろうと思った。
「まあ、特に問題はなさそうですね。保護者の方が定職に就いておりますので、生活保護費は支給されませんので御了承下さい。それではこちらの書類に、御本人と保護者と連名で印鑑か拇印をお願いします。内容を簡単に説明させて頂きますと、公共の福祉に反せず日本の法律に従うといった同意書です。たとえ種族的な事情があっての行為も、法律に従って刑罰が課せられる場合がある事に御注意下さい。同意書の内容につきましては、九十日以内なら不服申し立ても行えます。まずは内容の御確認をお願いします」
 局員が出したのは、びっしりと文字の並んだ書類だった。当然僕は何が何だか分からないため、読むのは全て住吉に頼るしかなかった。しかし住吉も軽く眺めただけで眉を潜め、どうせ二回目だから大丈夫だとあっさり拇印を捺してしまった。僕も急かされ、朱肉に親指をくっつけて同じように捺した。
「こちらでは以上になります。まだ採血の結果は出ていないのですが、それまで何か御質問はありますか?」
「それなんだが、ちなみにこいつのデータって今よりも前に登録されてたりしてないんですかね? 名簿とかってのに」
「それは個人情報保護の規律に抵触するので、ちょっとお答えし難いんです。ただ、システムの仕様からいきまして、同一人物の二重登録は出来ませんよ。あくまで更新扱いになりますからね」
「じゃあ、こいつは日本に昔に来た形跡が無いって事に?」
「そうなりますね。まあ、日本語は自国で覚えたのでしょう。日本文化ブームなどがある国を調べると、案外身元がはっきりするかもしれませんよ。最近そういった方々が多いんですよ。侍になるにはどこで試験をしたらいいのか、とか」
 僕は日本が好きなあまり、自分で言葉を勉強し箸の使い方とかそういう文化を勉強したという事なのだろうか。けれど、何となく素直には受け止め難かった。もしそういう理由で来たのなら、たとえ記憶が無くとももっと周りの景色などに感動するはずだからだ。
 そう疑問に思っていると、不意に医者が一枚の書類を持ってこちらにやって来た。
「検査結果が出ました。どうやら特に異常はありませんね。それでは在留許可証を交付いたしましょう」
 三度局員がパソコンにぱちぱちと打ち込む。今度は短かった。合格、というような事を打っただけなんだろうと思った。
 これで僕は正式に日本へ居られる事になった。けれど、どうも釈然としない所がある。僕についての情報がほとんど不明のままなのに、保護者がいるというだけで許可が下りるのはずさんではないだろうか。こんなに簡単に素性の知れない者を受け入れるなんて、日本という国は随分奇妙だと思う。危機感が無いのか、それとも想像が及ばないほど懐が広いのか、そのどちらかになる。
「それでは十一番窓口で受付番号を呼ばれますので、それまで近くでお待ち下さい。発行まで大体三十分程ですから」
 そう笑顔で見送る局員に僕はおそるおそる控えめな一礼をし部屋を後にする。入れ替わりに入って行ったのは、二本足で歩く犬のような人だった。あの人もどこかの国から流れてきたのだろうか。そんな事を考えると、日本は異族を保護するために簡単に受け入れているのかもしれないと思った。