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 今日は気になる記事を見つけた。それで日記の代わりに、調べた事を書く事にする。
 今から十年も前の、調度今日。日本に、政府が確認する限りで一番最初の異族の亡命者が来た。
 見た目は二十代後半から三十代前半の男性、黒髪を綺麗に撫で付け白いスーツに胸ポケットには真っ赤なチーフを入れた身なり。物腰も口調も丁寧で、実に品の良さそうな男性だったという。
 彼を最初に見つけたのは、北海道の港町に住む男性。海の上を人が歩いていると慌てた口調で警察に通報したのだという。最初は悪ふざけと取られたが、あまりに繰り返すためやむなく付近の警官が現場へ向かったところ、件の白スーツの男性がいたのだそうだ。その日は雨で通報者も警官もずぶ濡れになっていたが、何故かその白スーツの男だけは傘もさしていないのに全く濡れていなかったらしい。
 彼は身分証を一切持ってはおらず、自分の名前や国籍についても全て黙秘。そして、身柄を預かった入管管理局が一番頭を悩まされたのも彼の身元の特定だった。警視庁四課や公安、果ては海外各国の機関に協力を要請してまで大々的な捜査を行ったが、結局は彼の身元は特定出来なかった。国として出来得る限りの手段を尽くしたにも関わらず、彼についての情報が一切得られなかったのである。だから、彼はこの世には存在するはずのない人間と結論付けるしかなかった。
 そんな政府すら匙を投げてしまったような状況になって、ようやく彼は自分の身分と目的を明かしたらしいがそれは一般には非公開、代わりに報道されたのが、人間ではない者が亡命してきた、というセンセーショナルな事件だった。
 彼の身柄は現在政府が保護しているそうだが、実際はどうなのか不明だという。そして彼が明らかにした自分の正体は、代々の総理大臣にしか引き継がれないそうだ。最初の異族の亡命者は、それほどの有名人だけれどとても謎めいている人物だ。



「おう、ここに居たか」
 夢中になって画面を擦りながら日記帳に書き込んでいた僕は、ドアを開けてそう声をかけられるまで全く気が付かなかった。驚いて背後を振り返ると、ドアの外に立っていたのは住吉だった。
「随分一生懸命に勉強してたんだな」
「今日はもう仕事は終わり?」
「ああ、早番でな。そろそろ終わりにして帰るぞ。続きはまた明日にしろ」
 時計を見ると既にお昼を大幅に過ぎていた。思い出したように僕も空腹を覚える。
「うん、今片付ける。ねえ、お腹空いた」
「そういや昼飯まだだったな。よし、じゃあ途中で何か食いに行くか。今日は肌寒いし、ラーメンなんかどうだ?」
「ラーメン? あれって並ばないと食べれないやつでしょ? テレビでやってた。僕はそんなに待てないよ」
「ああ、そんなのは極一部だって。東京にゃあ、わざわざ並ばなくたって食べれるうまい店が幾らでもある。あんなのはただの話題作りさ」
 並んでわざわざ苦労させる事で喜ぶ人がいるらしい。僕には難しい話だ。
 図書館を出て、そこからは住吉の車に乗って行った。日本では、きちんと技能試験に合格すれば異族でも車の免許が持てるそうだ。ただし持てるのは普通免許までで、大型のものや重機は許可が下りないそうだ。船も同じで、船を運転するための免許と無線を使うための免許を勉強して持っているが、小型の船は運転出来ても大型のものは試験を受けさせて貰えない。けれど、段階的に緩和するという事になっているので、住吉はいつでも試験が受けられるように勉強をしている。もっと大きな船を運転する免許が欲しいそうだ。僕よりもずっと目的がはっきりした勉強なので、少し羨ましく思う。
「今日は何を調べてたんだ?」
「日本で一番最初に亡命してきた異族のこと。もしかしたら僕に関係があるかなって」
「ああ、あれか。たまにテレビでやってるぞ。胡散臭い証言者と評論家がああだこうだ言ってる」
「真面目な話だよ」
「悪い悪い。だが、そういう話はドロシーが好きなんだ。だから気をつけろよ。小一時間は聞かされるからな」
 実際に見た訳ではないけれど、何と無く頷ける話だった。ドロシーはいつもテレビで芸能人かこういう嘘か本当か分からない話ばかりに夢中になっている。僕はあまり興味は無いけれど、それだけに巻き込まれた時は大変そうだと思う。
「ちなみにドロシーはどんなことを言ってたの?」
「そうだなあ。実は亡命したのは神様だったとか、実は異族ではなくて宇宙人だったとか、実は政府がとんでもない不祥事を起こしていて、それの目くらましにでっちあげたものだとか」
 住吉は苦笑いしながらハンドルをぽんと叩く。どうやらどれも住吉にとっては呆れるような内容ばかりだったようだ。僕にはそれだけでは嘘なのか本当なのか判断は付けられないけれど、住吉にはわざわざ調べるまでもなく分かるレベルなのだろう。世の中に精通するというのはこういう事だ。
「ああ、そうそう。ついこの間なんか新説が出てたぞ」
「新説?」
「実は正体はあのサタンなんだと。南蛮の宗教で一番悪い奴だな。だから下手な扱いが出来ないんだとさ。しょうもない、そんな悪い奴って分かってたら、とっとと追い出すに決まってるだろうに。政府が黙っていても、俺達八百万は黙っちゃいないからな。熱田なんか特に短気だから、悪者がいるとなれば一人でも政府に喧嘩売るかもしれん」
「サタンってそんなに騒ぐくらい悪い人なの?」
「詳しくは知らんが、悪魔の親玉みたいな奴じゃなかったか? 日本にはそういうのはいないんだが、要するに宗教上の敵みたいなもんだ。そうそう、それでな。確か元々は天使だったはずだ。なんやかんやで裏切って敵になったんだと」
 元天使。自分にも羽が生えているからだろうか、何と無く繋がりのある人のように思えた。けれど僕はそういう恨まれるような事をしたいとは思わないから、仮に繋がりがあっても嬉しくは無い。
 しかし、もしもこの噂が本当なら、一番偉い悪魔が何の目的で日本に来たのだろうか少し気になる。悪い目的で来たのなら、こんなに世間はのんびりとはしていないはずだし、その後に人外基本法なんてものも出来るはずがない。それに、そんな有名な異族が悪意を持ってやって来たのなら、記事を調べればすぐに政府の対応が見つかるはずである。今日はそういったものは一切見つからなかったから、きっと大した事は起きていなかったのだろう。だから最初の亡命者は本当にそんな悪い人なのか、少し疑問である。
 ふとその時僕は、どうして住吉がドロシーの話を一笑に付したのか理由が分かった気がした。こうしてちょっと考えてみれば、どれも現状にそぐわなかったり不自然さが浮き彫りになる。それこそ、でっちあげと結ぶ理由になる。きっと住吉はそこまで分かった上で有り得ないと言ったのだろう。すぐにそこまで分かるなんて、やっぱり住吉は大人だし頭が良い、頼りになる人だ。そう僕は思った。