BACK

 今日で内閣改造から丁度一年になる。そんな事をニュースで聞いた。
 内閣改造というのは、首相が自分の次に偉い大臣達を入れ替える事だと住吉に教えて貰った。どうしてそんな事をするのかと訊ねてみると、住吉は首相がやりたい事を大臣が出来なかったからと答え、ドロシーは下がった内閣の支持率を手っ取り早く回復するためと答えた。僕には一体どっちが正しいのか分からなかったけれど、多分そんな簡単な事ではない、とても大きな事件なのだろうと思った。
 図書館で内閣改造に関係したニュースを調べてみると、内閣改造の前後では大きな事件が二つ起こっていた。
 まず、改造前の事件。人外異形基本法が施行された際にマスコミとの記者会見で、果たして人間ではない者を受け入れて治安は悪化しないのでしょうか、という質問に当時の法務大臣がこう答えた。日本は昔から外国人も受け入れてたから大丈夫でしょう、と。それが在日外国人を侮辱する不適当な発言と非難され、法務大臣は次の日に辞任する事になった。これが内閣改造に踏み切った決定打だったという。
 そして、改造後の事件。当時の防衛大臣が民間登用枠に、初めて異族を登用した事が話題になった。それはカグツチという日本には古くから居る神様で、写真では見た目は住吉より一回り年上の外見をしていて、髪が燃えるように真っ赤だったのが印象的である。その後、マスコミとの記者会見で登用した理由を訊ねられた際の防衛大臣の発言が問題になった。日本は憲法上核兵器を保有する事は難しいが、カグツチ氏は異族でも一個人であるため兵器保有には当らない、しかも彼の力は核兵器とは比べ物にならないから頼もしい限りだ。そういった内容である。当然この発言はあらゆる方面から反発を呼び、大臣は即日更迭、その後現在の防衛大臣にすげかわった。ただ、意外にも発言はともかく人選については賛否両論だったらしく、今でもカグツチ氏は防衛省に在籍しているそうだ。
 政治家は異族に関する事を発言すると、すぐに辞めさせられてしまうらしい。僕にはこの記事の経緯について結末しか理解する事が出来ないけれど、とにかく日本では異族というのは案外デリケートな存在なのだ、そう結論付ける事にした。



 夕方になって住吉にお使いを頼まれた。今夜のおかずはアジのたたきなのだけど、肝心のショウガを切らしてしまっていたからだ。ドロシーはチューブ入りのショウガを買っておけば良いのにと言ったけれど、住吉はあまりそういうのが好きでは無いそうだ。
 住吉からお金を貰って、僕は早速近所の八百屋へと向かった。保護者が必要だからとドロシーも付いて来た。多分、御飯が出来るまで暇だから付いて来たのだと僕は思った。料理中の住吉は、幾らねだっても絶対に構ってはくれないのだ。
 アパートから駅の方向へ歩いてものの数分に商店街はあった。まだ夕食時より少し早いため随分賑わっていて、ちゃんと周囲に気を配っていないとぶつかって弾き飛ばされそうになった。今日は何を買うと決めているから良いけれど、普段の買い物ではとても落ち着いて物色するような事は出来ない。昔から商店街は大型スーパーが出来ると潰れてしまうと言われているのだけれど、案外残っているものだとドロシーが教えてくれた。こういう雑然とした熱気が好きな人が居るからなのだそうだ。ただ何となく思うのが、ざっと見渡す限りで買い物客は異族の方がやや多いように見える。普通の人はあまり好きではないのだろうか。
 いつもの八百屋で目的のショウガを買う。買ったのは両手で持ち上げるほど大きなショウガである。普通スーパーで売っているショウガは小さめにカットした手のひらサイズなのだけれど、この八百屋ではそのままのショウガを売っている。住吉はこの大きなショウガを保存しながら少しずつ切って使うのが好きらしい。
 買い物も終わったので帰ろうとすると、ドロシーが足を止めたまま動かなくなった。見るとドロシーの視線は目の前の肌色を濃くしたような果物の山に注がれている。
「あー、そうか。今ってビワの季節なのよね」
「ビワ?」
「そう、これ」
 ドロシーが見ていた、この濃い肌色の果物。小ぶりで、普通に片手で持てるほどの大きさしかない。卵のような少し細長い形で、頭に茶色いヘタが乗っている。匂いは、周りにある他の果物や野菜と混じってしまっていて良くは分からなかった。
「美味しいの?」
「美味しいわよ、とっても。そう、前にすみちゃんが皮の剥き方教えてくれたっけ」
 そう懐かしそうな表情をするドロシー。教えて貰ったということは、ビワは日本にしかない果物なのだろうと思った。けれど、案外ドロシーは今まで剥かないで食べていたのを住吉に教えられただけかもしれない。むしろ、その方がドロシーらしいとも思う。
「食後のデザートに買ってこ。すみちゃんに、あーんして貰うんだ。おじさん、これ一籠頂戴」
 ドロシーの買い物も終わり、改めてアパートへの帰路へと向かう。人の流れはまだ商店街に向かっているので、逆へ向かう僕達はとても歩き難かった。道路も車線が分かれているのだから、商店街もそうすればいいのにと思う。でも、それだと反対側の店には気軽に行けなくなってしまうか。
 そんな事を思い、右へ左へと避けながら歩いていたその時だった。
「あら? あれってもしかして街頭演説?」
 急にドロシーが足を止め、手を引かれていた僕はドロシーにぶつかる。ドロシーが向いているのは商店街を抜けた通りの一つ向こう側の通りだった。自分も追って見てみると、確かに何やら十数人ほどの人だかりとやや音の割れた拡声器の声が聞こえる。あの辺りに店は何も無いはずなので、タイムセールとかそういう類では無さそうだった。
「ねえ、ちょっと行ってみましょ」
「え、でも住吉が待ってるのに」
「大丈夫、ちょっとだけだから」
 そう言ってドロシーは、強引に僕の手を引いて群集の所へ向かってしまった。ドロシーの言う、ちょっと、は具体的に何分か分からないので気乗りはしない。けれど、僕は住吉のようにドロシーには強くないので、成すすべも無く従う他ない。
「今日の神国を揺るがす傍若無人な異人共の振る舞い、それは単に政治の脆弱さに他ならない!」
 近づくや否や、拡声器越しに放たれる大声が僕の耳を劈いた。咄嗟に耳を塞ごうとしたけれど、片手はドロシーと繋いでいて、もう片方は買ったショウガの入った買い物袋を持っているため、塞ぐ事の出来ない僕は肩をいからせて我慢した。
 そこには拡声器片手に演説する一人のおじさんの姿があった。それを買い物帰りや帰宅途中のような人達が、随分距離を取って囲んでいる状況である。距離が遠いのは、多分みんなただの興味本位で見ているだけだと思う。その証拠に、僕達が来てからも続々と人は集まってくるのだけれど、それと同じくらいの人が飽きたかのように出て行ってしまっている。
「よろしいか、皆さん。我々、八百万の神は、古来より神国日本に住む神聖な存在である。にも関わらず、近年になって人外異形基本法などというものを作り、国外の魑魅魍魎と同一に括るとは如何なものか。我ら八百万の神の加護無くして、何が神国日本であるのか。この国の政治家は八百万の神を軽視する、真に持って不遜な人間なのであります」
 おじさんは片手では拡声器を構え、もう片方の手では拳を握り締めて振り回し、汗を流しながら声を張り上げている。僕には言っている事が難しくてあまりよくは分からないが、とにかくこのおじさんがとても必死になって訴えかけている事は分かった。それに対して、聴衆はわざわざ集まっている割に随分と冷ややかなように見える。何となくこのおじさんが、痛々しいくらい空回りしている、そんな風に僕には思えた。
「まー、魑魅魍魎だって。良く分からないけど、すんごく馬鹿にされた気分だわ」
 良く分からないのに、ドロシーは口を尖らせて不満そうな表情を浮かべる。けど僕も、このおじさんが異族を悪く言っているのは感じる事が出来た。僕も異族だから、ドロシーのようにどういう経緯で言っているのかは良くは分からなくても、何となく嫌な気分にさせられた。
「ドロシー、帰ろうよ」
「そうね、なんか面白くない。自分だって異族のくせに、外から来たからって差別するのはムカツクわ」
 ドロシーの言葉に、僕は改めておじさんの風貌を確かめて見た。白い口ひげを蓄え、眉もまた同じく白く太い顔。その太い眉のせいですぐは気づかなかったが、おじさんの目は白目の部分がやけに黄色かった。言われてみれば、確かに異族のような風貌である。けれど、元から日本に住んでいたかどうかの違いで異族を更に分ける考え方は、同じ異族でも僕には理解出来なかった。普段あまりドロシーに同意する事は無いけれど、この時は手放しで同意が出来る。僕もドロシーの言う、ムカツクという気分になった。
「ねえドロシー、そろそろ帰ろうよ」
「そうね、お腹が空いちゃったし。ダーリンの所に帰りましょ」
 いつの間にか僕達の後ろにも群集が出来ている。それを掻き分け、早く住吉の待つアパートに戻ろう。そう思った時だった。またしてもドロシーは急に足を止めて、僕はドロシーにぶつかってしまった。
「そういえばさ、あのおじさんって見覚えのある顔よね。ほら、なんて言ったっけ? 今朝、ニュースに出てたじゃない」
「確か、風神、だったと思う」
 そして、ドロシーが以前、割と好きなおじさんだとテレビを見ながら言っていた。多分顔だけで覚えていて、名前はどうでも良かったのだろう。
「そうそう、それそれ。本当に失礼よね。自分だってさ、元はインドから来たんじゃなかったの?」
 何気なく言い放った、ドロシーの一言。僕は、インドとはどこにあるのだろうとおぼろげな世界地図を頭の中に描いていた。しかし、これだけの喧騒の中でも僕達の周囲と、そしてよりによって当の本人には今のドロシーの言葉が聞こえたのだと思う。瞬間、ぴたりと声が消えて喧騒がやんだ。
「さー、帰りましょうねー」
 直後、ドロシーはわざわざみんなに聞こえるような声を出しながら、僕の手を引っ張りこの場から走り出した。僕も遅れたり転んだりしないように、必死で走ってドロシーに続いた。きっと、今の空気はとても良くない状況だと、ドロシーも流石に気づいたのだ。僕も理由までは分からないけれど、あの空気の中に長居をしようという気にはなれない。
 明日からはしばらく、あの商店街の近くには一人では行きたくない。そう僕は胸をどきどきさせながら思った。