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 夏祭りというイベントが近所であった。僕は住吉とドロシーと一緒にそのお祭りへ行った。普段は、子供は夜は出歩いてはいけないと住吉からは言われているけれど、今日ばかりは特別だ。
 夕飯を食べないで出かけた代わりに、夜店で色々なものを買って食べた。焼きソバとかたこ焼きはスーパーでも売っているけれど、イカ焼きやトウモロコシの丸焼きは生まれて初めて見たものだし、食べるのも初めてだ。特別味が美味しいという訳ではないけれど、何かこう気持ちがワクワクする感じだった。きっと、普段味わえない事と、この祭りの雰囲気自体がそうさせるのだと思う。
 お祭りでは最後に花火を見た。赤とか黄色とか色々な色が夜空に広がる光景はとても綺麗だった。でも、次回までこれを見られないと思うと少し寂しい気もした。もっと夏祭りを沢山やって欲しい。次のお祭りはいつなのか、今からもう待ち遠しい。



 ドロシーは、仕事のある日はいつも夕方くらいに出かけていく。けれど今日は仕事の休みを取っているみたいで、朝からずっとうちに居た。やることはいつもと同じで、ダラダラとテレビを見ながらお菓子を食べ、時折僕にちょっかいを出して来る。だから僕は図書館へ住吉が帰って来る昼過ぎまで避難していた。
 住吉と帰って来ると、ダラダラしていたドロシーは途端に元気になった。これもいつもの事だし、ドロシーの標的が住吉に移るから、僕は安心していられる。
「これ、新しく買ったのよ。どう?」
 昼食を食べ終わると、ドロシーは持って来た荷物を隣の部屋へ引っ張り込み、服を着替えてくるりと回りながら出て来た。ドロシーが見せるのは真っ赤な生地に白い花柄の浴衣。今日のお祭りに合わせると前々から言っていたものだ。
「凄い綺麗。なんか格好いい」
「でしょ、でしょ? ねえ、すみちゃんは?」
「まあ、いいんじゃないか? 思ったより無難で安心した」
 住吉は軽く眺めただけでそんな感想を述べた。相変わらず素っ気ないなあと思うけれど、それでもドロシーは嬉しそうに笑って住吉にじゃれついたりした。
「ホントは去年のが良かったんだけどねー」
「あんな破廉恥なものを着ている奴と歩けるか」
「だから新調したのよ。今年はちゃんと一緒に歩こうね。ほら、すみちゃんのも用意したのよ。お揃いの色柄」
「それは流石に勘弁しろ」
 ドロシーが鞄から同じ赤の浴衣を取り出して住吉へ重ね合わせる。ドロシーの浴衣と同じ色柄で生地もきっと同じだと思う。住吉はそんなものは着れないときっぱり突き返すが、ドロシーはいつものようにめげずにしつこく繰り返し迫る。それでも住吉が頑なな態度を取り続けドロシーもようやく諦めると、今度は鞄からまた同じ色柄の浴衣を取り出した。今度は丈が随分と短かった。それが僕の分だとは、ドロシーに体に合わせられてようやく気が付いた。
「せっかく親子三人でお揃いのを用意したのにねー。パパは冷たいねー」
 僕は住吉と違って有無を言わさずに着替えさせられた。ドロシーが着ている分には格好いいけれど、僕は自分が同じ色柄を着ても到底見栄えはしないと思っていた。だから本当は着たくなかったけれど、ドロシーの強引さには勝てなかった。やがて着替えを終えて姿見の前に立ってみたが、やはり今一つ格好いいとは思えない姿だった。僕は男で赤が似合わないからだろう。
「うん、こんな所かしらね。クリスちゃん、すっごく可愛いわよ」
 そこは可愛いではなく、格好いい、ではないのだろうか。姿見で見た自分の出来栄えには予想通りの感想しかないけれど、そもそもドロシーからして見ている方向性が違うのがいかんともしがたい。
「ねえ、前のドロシーってどんな浴衣だったの?」
「ん? ミニスカでノースリーブ。流行ってたのにねー」
 どうやら、また布地の少ない格好だったらしい。それで住吉は気を悪くしたのだろう。容易にその光景が想像できる。
 夕方になり支度を終えた僕達三人は、祭の開始を告げる花火の音の直後に出掛けた。ドロシーと僕は同じ色柄の浴衣で、住吉は元々持っている藍色の浴衣だ。僕達に比べると随分地味だと思う。
 会場はいつもの商店街から幼稚園の広場にかけてが全てそうだった。まだ日が落ち切っていないけれど、会場は祭らしい飾り付けも済ませていて、沢山の照明が眩しく輝いていた。既に開いている夜店や、そこを行き交う人の姿も少なくなく、早くも賑わい出している様子だった。
 ドロシーは、人混みに巻き込まれてはぐれたらいけないからと住吉の腕にべったりと引っ付く。僕も同じ理由で反対側の手を繋いだ。ドロシーは引っ付きながらも、あれやこれやと指を指しながら住吉に訊ね、終始はしゃぎっぱなしだった。僕も訊きたい事はあったけれど、先にドロシーにはしゃがれるとなかなか自分ではしゃぐ事は出来なかった。
「ドロシーは夜になると元気だね」
「当然じゃない。夢魔は夜行性だもの」
「こいつは単に落ち着きがないだけだ」
「ふーん、すみちゃんたら連れないんだ」
 何と無く住吉の言いたい事は分かる気がする。特に住吉は派手な事も苦手だし普段からもの静かだから、ドロシーの平素もそんな風に感じるのだろう。だけど二人とも毎年のお祭りは楽しみにしているというのが不思議である。どんな性格の人にも、たとえ異族でも、そういう感覚は共通しているのだろう。
「ねえ、すみちゃん。先に何か食べない?」
「そうだな、これから混み出すだろうし。先に腹ごしらえしておくか」
「私は焼きそば。ほら、あそこの海鮮塩焼きって書いてるの」
「ほう、結構具が多いな。クリスは何が食いたい?」
「僕はあのソースカツがいい。でも、ちょっと量が多いかな?」
 商店街は夜店の他に、自由に座って休憩に使うスペースが幾つか用意されている。僕達はそれぞれ食べたいものを買って、そこに座って夕食にした。三人で一緒に食べる事は何度もあるけれど、こういう普段とは全く違う雰囲気で食べるのは特別な感じがあって、僕はずっと周りを意味も無くキョロキョロしていた。わくわくする気持ちが高まり過ぎるとそういう行動を取ってしまうんだと思う。だけど、ちゃんと前を向いて食べろと住吉に叱られてしまった。
「あ、そこでビール売ってる。すみちゃんも飲もうよ。私、買ってくるから」
「そうだな、一本くらいは構わんか」
「じゃあ三人分ね」
「おい、クリスのは余計だ」
「いやん、可愛い冗談じゃない。クリスちゃんはオレンジジュースね」
 いつもの調子で一通りのやり取りをして、ドロシーは軽いステップで飲み物を買いに行った。僕はサイダーの方が良かったけれど、確認もしないで行ってしまったから仕方ないと諦めた。今夜はお祭りだし、また喉が渇いた時にねだれば案外買ってくれるかもしれない。そんな事を企む。
 やがてドロシーがビールとジュースの他、フランクフルトやフライドポテトを抱えながら戻ってきた。見つけたら食べたくなって発作的に買ったらしい。でも住吉は、ビールのつまみが欲しかったと案外にこやかだった。普段はあまりこういったジャンクフードの類は食べない人だから、意外な反応に僕は少し驚いた。
 しばらく休憩スペースに居ながら談笑していると、人通りも徐々に増え始めてきた。町内放送では、午後九時から花火大会が始まるとアナウンスしている。それ以外にも、広場の方では福引大会やカラオケ大会も行う予定があり、花火まではそっちに行ってみたいと思う。
「ところでさ、すみちゃん。このお祭りってどういう由来なの?」
 ふとドロシーがお酒で気だるくなった口調でそんな事を訊ねる。
「さあな。見た所、先祖供養というよりは単に騒ぎたいだけだな」
「ただ騒ぐためだけなんだ。ふうん、私そういうの結構好き」
「経済活動ってのもあるんだろうが、一番の目的は地域の結束固めと景気付けだな。とにかくみんなで楽しく騒げば、気持ちも繋がるし暗い気分も払拭される。どこの国も祭りなんてのはそんなもんさ」
「そうだけど、日本はそういうの一年中やってない? 楽しければいいけどねー」
 そんなドロシーの言葉に僕は、今日のような日がこの先まだまだ控えているのだと思い、図らずも飛び上がりたいような嬉しい気持ちになってしまった。確かアパートの居間には町内会で貰ったカレンダーがあって、そこには祭りなどの行事が書かれていた。うちに帰ったら、次は何日後になるのかチェックしておこう。僕はそれを忘れないように深く心に刻んだ。
 テーブルの上を確認すると、買ってきたものは粗方食べ終わっていた。先程の放送で言っていた福引大会がもう間も無く始まる時間である。そろそろ会場に行こう、残りのビールは早く飲んでしまって、そう催促しようと思ったその時だった。
「あっ……」
 何気なく向けた視線の先、いつの間にか来た時の倍以上の人が行き交っている商店街の一角に、僕ははっきりと見覚えのある顔を見つけてしまった。それは、いつか図書館帰りに遭遇した、あの変なおじさんだ。
 僕は思わず席から立ち上がると、反対側の住吉の影になる席へ移った。まさか近所に住んでいるのだろうか。僕は見つからないよう、おじさんの動向を盗み見ながら住吉を盾に隠れる。しばらくしておじさんは、誰かに呼ばれたのか振り向きながら返事をしてその方向へ駆けて行った。それでようやく僕は、何とか窮地を脱したと一息ついた。
「なんだ、どうかしたか?」
「ううん、何でもないよ」
「あー、分かった。わたあめ食べたいんでしょ? ねえ、すみちゃん。クリスちゃんに買ってあげてよ」
「食べたいのはお前だろ。お菓子は後だ、後」
 二人はそんな調子で、僕とあのおじさんの事には気づいていない様子だった。しかし、僕は今更ふと気が付いた。ここで隠れたりしないで、むしろ住吉とドロシーにあのおじさんを教えてあげて、ちゃんと何かしら対処して貰った方が今後の自分には都合が良かったのではないか。あのおじさんが近所に住んでいるのなら、うっかり遭遇する確率は高いのだから。
 隠れようとするあまり、肝心な事に気が付かないでしまった。僕は、ちょっと自分が浮かれ過ぎだと反省する。