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 日本人はいつも食べることばかりだと思う。日本に来てからというもの、周囲からは何かしら食べ物の話題が途切れる事が無いからだ。テレビでは勿論、買い物に行けば常に新商品の宣伝だし、ドロシーが持って来る週刊誌にも食べ物屋の特集ばかりが載っている。
 確かに僕も美味しい食べ物は好きだし、流行にも乗る。住吉だってそうだ。普段はドロシーの話なんて半分にしか聞かないのに、美味しい食べ物の話だけはちゃんと聞くし興味があればすぐに行動する。
 みんな、年中食べ通しで飽きたりしないのだろうか、そう時折疑問に思う。多分、日本人は食い意地が張っているんだと思う。それに、日本出身じゃない異族だってその流れに乗っているから、きっと長く住んでいると感化されるのだろう。
 日本から離れられない異族は、日本が宗教対立が無いから住み易いだけでなくて、食い意地の悪さが写ったせいもあるのではないか。
 自分の事も含め、そんな感じがする。



 何とかの秋、そういう言い回しがテレビで良く出て来るようになった。芸術とか読書とかスポーツとか、何でもかんでも秋に結び付けている。その由来を住吉に訊いてみると、秋は暑くも無ければ寒くもないので何をするにも丁度良い季節だからそう言われるようになったそうだ。
「ねえ、クリスちゃん。黄金千貫って知ってる?」
 いつものように朝からテレビの前でだらだらと寝転がるドロシーがそんな事を訊ねて来た。テレビでは、食欲の秋、というテーマの特集が流れている。取り分けこの食食というのが群を抜いてあちこちで繰り返される。この季節になるとみんなは普段よりもお腹が空くらしい。冬眠前の熊も今の時期は沢山食べるそうだけど、何となく似ているような気がする。
「昔の人がね、金を積み上げてでも食べたいくらい美味しいサツマイモなんだって。一度食べてみたいわね」
「お腹空いたの?」
「違うわよ。もう、失礼しちゃう。食べてみたいって言っただけじゃない」
「だって、朝からケーキとか焼肉とかラーメンとか、そういうのばっかりだもん」
「あれは違うの。だって全部なかなか食べられない名店のものだもの。そこら辺で簡単に食べられるものには興味は無いの」
 こういうのを多分、詭弁というのだと思う。うまい例えがずっと見つからなくて困っていたけど、丁度良い凡例が出て来た。
「第一、もうそろそろお昼じゃない。お腹だって空くでしょ?」
「あ、本当だ。僕、お腹空いた」
「ふーんだ、意地悪なクリスちゃんには何も作ってあげないんだから」
「僕、ドロシーが料理を作ってるとこ見たことないよ」
「あら、私はねこれでもお湯ぐらい沸かせるのよ」
「僕はその上、お茶が淹れられるけど」
 段々不毛な争いになってきた。暗黙の内に僕達はこのやり取りを打ち切った。
 今日は図書館が休館日だった事もあるけれど、実際は朝ドロシーに捕まらなければ出掛けるつもりだったのだ。住吉も仕事だから、一人で留守番はつまらないと、そういう理由である。僕が予定していたのは、国立博物館の縄文展の無料開放だ。一人がつまらないならドロシーも一緒に連れていこうとしたけれど、埴輪に興味は無いと一蹴されてしまった。随分勝手な理屈だけれど、大体いつもこんなもので、僕も住吉のように慣れてきてしまった。
「おう、二人ともいるな」
 まんじりとした空気の中、不意に住吉が帰って来た。仕事が終わったようである。
「すみちゃーん、お腹空いたー」
「丁度良かった。これから寿司食いに行くぞ」
「え、お寿司?」
 するとドロシーが、びっくりするほど機敏に飛び上がった。
「実はな、知り合いの寿司屋に団体客の予約が入っていたんだが、急遽キャンセルになってしまってな。それでネタを腐らすくらいなら、タダで食わせてやるって話なんだ」
「やーん、私イクラが好きなの。ちゃんとあるよね?」
「あるある。幾らでもあるから」
「やだ、すみちゃんたらオヤジギャグ」
「そんなつもりで言ったんじゃない。ほら、クリスも早く来い」
 お昼御飯が思わぬ御馳走になったと、僕もドロシーと同様に喜ばずにはいられなかった。早速僕達は住吉の車でタダで食べさせてくれるという寿司屋へと向かう。
 生魚を食べる国というのは珍しくて、多分日本ぐらいしか無いそうだ。その代表とも言えるのが寿司である。外国でも通じる日本語の一つらしい。
 僕もドロシーと同じで寿司が大好きである。やっぱり一番好きなのはマグロで、その次がイカだ。それに、最初はサビ抜きで食べていたけれど、段々と普通のを食べるようになった。特に脂の多いトロやサーモンを食べる時はワサビが無いと後味がしつこいと思うくらいだ。それぐらいに僕は寿司に慣れてきているのだ。
 目的の寿司屋は住吉が働いている新築地のすぐ側にあった。和風のたたずまいで、入口には時代劇に出て来そうな紫色の暖簾がかかっている。けれど、本日休業という掛札が戸にかかっていた。
 店内に入ると、昼時の割に客は疎らだった。休業と表にあったのだから、多分お店の人が住吉と同様に声をかけた人達なのだろう。
「おっす、大将いるか?」
「よう、来たか。待ってたぜ」
 そう言いながらすぐに奥から出て来た人に僕は少し驚いた。その人は頭が三つ、腕が六つもあったからだ。三面六臂、阿修羅という仏教の神様だ。
「これがお前んとこの坊やか」
「ああ、そうだ。クリス、このおじさんは俺の知り合いでな。よくネタを卸してる。怖いのは顔だけだから安心しろ」
「顔はお互い様だろが、全く」
 三つの頭から同時に出て来る声は、僅かに音程が異なっている。なんとなく誰と話しているのか分からなくなるような、変な気分だった。
「初めまして、クリステルです」
「おう、これはご丁寧に。おじさんは阿修羅のおじさんとでも呼んでくれ」
 そう気さくに笑う大将だったけれど、やはり元々の顔の造形が険しいので、申し訳ないけれどちょっと怖かった。人柄は良さそうでも、やはり見た目のインパクトが強い人だ。
 僕達はカウンター席に並んで座り、まずは大将にお任せで何皿か握って貰う事になった。大将は、ネタを切って、酢飯と握り、皿に盛りつける工程を、一人であっという間にこなしていった。目の回るような早業に、僕は思わず見入ってしまう。自分も日頃の生活でやる仕事をこんな風にやれないものか。今度からはこれを意識してやってみようと思う。
「はいよ、本日のお勧めの五貫握りだだ」
「わー流石に手が六本もあると早いわねえ」
「まあ、神様も食い扶持稼がないといけない時代だからな。しかしなんだな、人の三倍も働いてるのに給料は人並みってのはせちがらいと思わねえか?」
「さあ? それより、日本酒頂戴」
 昼間からお酒を飲むドロシーはいつもの事で、住吉は熱いお茶、僕は冷たい麦茶を貰う。麦茶で軽く口の中を湿らせ、早速箸を割った。まずは少し赤みの差した白身の握りから食べてみる。程好い歯ざわりと魚の脂が美味しくて、うっかり長く味わわずに飲み込んでしまった。住吉に訊いてみたら、この魚はヒラマサというそうだ。この名前はちゃんと覚えていてまた注文しようと思う。
「それより住吉よ、お前さんは坊やのことどうするつもりなんだ?」
「親がいないなら、このまま俺が育てるが? 別に金には困ってない」
「そうじゃなくてよ、男手一つじゃ大変だろうって話だ。お袋も恋しい年頃だろうしよう。いい人はいないのか?」
 その言葉に、すかさず隣のドロシーが手を上げる。
「そうでしょ? こんなに尽くす女がいるのに。でもすみちゃんって連れないのよ」
 それを見るおじさんの表情はやや曇っていた。
「……ちょっと情操教育には良くねえかな?」
「何よそれー、失礼しちゃう」
「大丈夫、クリスは良く出来た子だ。悪い所は真似しない」
 子供は父母両方が居た方が安心して育てられる、そういう話なんだと思う。僕は子供だから父親がどうとか母親はこうとか、そういう具体的な像は分からない。だけど住吉が父親になるのならそれが一番だ。住吉は怒ると怖いけれど、いつも優しいから、ずっと一緒に住んでいたい。世間で言うところの理想的な父親と比較は出来ないけれど、僕は住吉がいい。ただ、ドロシーの母親はどうなんだろうかと疑問に思う。ドロシーは嫌いではないし一緒にいると楽しいけれど、だらしがないし自分の都合で周りを振り回すし、あまり見習いたいと思う所が無い。それでも母親というものが絶対に必要なのだろうかと問われると、僕は返答に困ってしまう。ドロシーとは、母親ではなくて今の友達感覚の方がいいと思う。
「こうなったら、このお店のお酒全部飲んでやるんだから。どうせタダなんだし。お代わり頂戴」
「おっと、一応言っておくが、酒は別料金だぜ」
「ぶー、ケチー」
「悪いが金は稼がないと食っていけねえもんでな」