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 暦では今日から冬になる。いよいよ冷え込みも本格的になり始めるから、朝起きるのが日に日に辛くなりそうだ。
 冬と聞くと真っ先にイメージするのは雪、だけど東京ではほとんど雪は降らないそうだ。仮に降ってもすぐ溶けて無くなるし、うっかり積もるほどの雪が降ると電車が止まったり交通事故が多発したりと大騒ぎになるらしい。そういう意味では、雪はあまり降らない方が平穏だ。
 冬になって雪が降ったら雪遊びがしたい。子供なら誰でもそう考えるだろうし、僕もそう思う。けれど、一つ僕は気が付いた。冬、イコール雪。このイメージは、一体いつどこで結びついたのだろうか?
 冬になると世界中で雪が降る訳じゃ無い。だからこれは、冬に雪が降る所に住む人のイメージになる。僕の無くなった記憶も、きっとそういう地域にあったから、冬と雪がすぐに結び付いたんだと思う。
 とは言っても、冬に雪が降る国は沢山ある。その中のどれかが僕の生まれた国だとしても、到底絞り込むまでにはいかないだろう。
 僕の記憶の手掛かりは、まだまだ見付かりそうにない。



 今日からコタツを使うため、昨日の内にマットとコタツ布団を出して、朝にスイッチを入れてみた。コタツの中はすぐ温かくなり、手足が柔らかくなるほど温まった。これから僕は朝起きた時に布団からどれだけ素早くコタツに移動出来るかが勝負だと思う。
 午前中はいつものように図書館へ出掛けた。今日も去年のニュースをさらってみたけれど、あまり手掛かりになりそうなものは見つからなかった。やっぱり子供のやり方では駄目なのかもしれないと落胆するけれど、専門の業者に頼むと沢山お金がかかりそうだから、何とか頑張って自力で見つけるしかない。闇雲に調べるより、ちゃんとした調べ方を勉強するのが先なのかもしれない。
 お昼頃になって、軽く眺めた書架に冬の図鑑を見つけたので気分転換に借りて帰った。僕は日本の冬は知らないから、軽く予習するのに調度良いと思う。
 アパートに着くと、ドロシーがコタツで寝転びながらテレビを見ていた。朝出掛ける時と全く同じ姿勢だった。
「おかえりー。外寒かったでしょ?」
「上着を着ていれば、まだそれほどじゃないよ」
「嘘だー。私、今朝来る時は凄く寒かったわよ?」
「それは短いスカートはいてるからじゃないの?」
 上着をハンガーにかけて、鞄から借りてきた冬の図鑑を引っ張り出し自分もコタツに入る。二人でも少し狭いと思うのは、ドロシーが体ごと入っているせいだ。住吉がいないと多分ずっとこうだろう。僕は隅の角の方で冷たくなった爪先を温める。
 冬の図鑑の目次をざっと見てみると、風景から植物、動物と続き、最後に生活の事が載っているようだった。日本の冬とはこういうものだと大まかに紹介するような内容である。図鑑という感じでは無い気もしたけれど、自分の知りたい事ではある。
「あー、また出てる」
 しばらく冬の風景写真を見ていると、おもむろにドロシーがそんな声を上げた。
「何かしたの?」
「ほら、風神が出てる。国相手に裁判起こすみたい」
 指差す先のテレビを見てみる。時折テレビや新聞にも出ていて、以前は実際に商店街の近くで見た顔だ。相変わらず、怒鳴るような口調と顔色を真っ赤にした形相はそのままである。
「裁判って国を相手にも出来るの?」
「出来るんじゃない? 会社にも出来るんだから。国って言っても、組織の一つと考えたら同じでしょ」
 そもそも裁判というものが刑事ドラマの範囲でしか知らない僕には想像もつかない事である。昔のニュースをさらうとそんな事例も見付かるかもしれないけれど、きっと理解は出来ないだろう。
「どんな裁判なの?」
「んー、また例の、日本の神の権威を復権せよ! ってやつ。異族という呼び名は名誉毀損に当たるからだって」
「じゃあ何て呼んだらいいんだろう。住吉のことも関係するんでしょう?」
「なんかね、前々から邦神って言葉を流行らせようとしてたから、それで統一しろって事なんでしょ。邦人に対して邦神、うまいこと言うわねー」
 そう感心しているような素振りのドロシーだけれど、実際はそれほど興味は無さそうである。異族という呼ばれ方に何も思っていないのと、そういう呼び名の変わり方で何が変わるのかがはっきりしていないからだろう。
 僕とドロシーは外国から来た異族だけど、住吉は元々日本に居る異族だ。帰って来たらどう答えるか試しに訊いてみる事にしよう。
「ねークリスちゃん。お茶頂戴」
「たまには自分で入れたら?」
「んーその内覚える」
 そう言って一行に覚えようとしないのだ。渋々僕は急須にお茶葉とお湯を張ってお茶を入れた。
「はい、出来たよ」
「サンキュー、いつもありがとうねえ」
 ドロシーはもぞもぞとコタツの中で動き体を起こす。そのドロシーの手には一冊の本があった。どうやらテレビを見ながら読んでいたらしい。ドロシーも雑誌以外の本も読むんだな、と驚いたけれど、良く見るとそれはマンガ本だった。更に良く良くコタツの周りを見てみると、何冊もマンガ本が乱雑に散らばっていた。
「どうしたの、このマンガ?」
「通販で買ったの。中古が安くてね。たまには読書もいいし」
「それなら一緒に図書館に行こうよ」
「やだ。だってクリスちゃんたらいつも難しい本ばっかり読んでるんだもん」
 大人の言う台詞だろうか。そう僕は溜息をつき、散らばった本をきちんとまとめて積み重ねる。
「でも、日本ってマンガばっかりよね。どこでも売ってるじゃない。本屋だけじゃなくて、コンビニでも駅でも」
「大人になっても読む人が多いからじゃないかなあ」
「確かに面白いもんね。あ、そうだ。思い出した」
 不意に声を上げたドロシーは、せっかくまとめたばかりの本の山を崩し何か探し始める。事情はともかく、どうせ片付けないんだろうなと思うと、僕は溜息が漏れてしまった。
「ねえ、これ見て。これ」
 やがてドロシーが一冊のマンガを開いて僕に見せる。確かに中古らしく、本の背や四隅が日焼けしていた。
「知ってる? このマンガの作者って、ここの区の出身らしいよ」
「有名人なの?」
「さあ? もう古いものみたいだし、一箱幾らで売られてるんなら、大したものじゃないんじゃないの」
 そんなマイナーな人を教えられても僕は困る。またいつもの思い付きなんだろうな、と僕は苦笑いする。
 予想通りドロシーは散らかした本はそのままにして、僕が入れたお茶を飲みながらマンガを読み続ける。読んでいるのはその作者の描いたものだ。大したものじゃないと言った割に、随分熱心に読んでいる。たまにはその熱意を別な事に使って欲しい。そう願いながら散らかした本をもう一度片付ける。
「あら?」
 ふとドロシーは疑問符を浮かべると、急に僕の隣ににじり寄って来て捕まえる。それから僕の顔と今読んでいたマンガの表紙とを見比べた。
「なんか、クリスちゃんに似てない?」
 そう言われ、僕もその表紙を見てみる。描かれているのは、赤い髪に赤い目の青年。背中には真っ赤な翼が生えている。随分毒々しい色使いだと思った。
「似てないよ。僕こんなけばくない」
「そうかなあ。もうちょっと背丈縮めて色素変えたらそっくりよ?」
「そこまで変えたら別人だよ」
「んー、じゃあ別なキャラかしら」
 ぺらぺらとページをめくり僕と似ているキャラを探し始めるドロシー。それを横から見てみると、登場人物のほとんどは僕には同じ顔にしか見えなかった。その中のどれかに似ていると言われても、僕はきっと腑に落ちないに違いない。
 やがてドロシーは探すのを諦めたらしく、本を閉じて放り捨ててしまった。
「マンガも読み飽きたし、気分転換にコンビニでも行きましょ。何か別なの読みたいから。クリスちゃんにもお菓子買ってあげる」
 飽きたと言い、まだ読むのか。
 そう思いつつ、僕は二つ返事で答えた。