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 新年を迎える。異族の僕にもその清々しさは良く分かり、錯覚ではなくて本当に気分が改まる感じがした。
 だけど、意外な所に落とし穴がある。これはきっと、気を抜いてはいけないという警告なんだろう。



 元旦。一年の一番最初の日を、日本ではそう呼ぶ。そんな事を夢うつつに思いながら、はっと目を覚まして飛び起きた。居間に行くとストーブもテレビも点けたまま、住吉とドロシーがコタツで眠り込んでいた。テーブルの上には、お酒の瓶や缶が沢山並んでいる。僕は昨夜、年越し蕎麦を食べてからすぐ眠くなって寝たんだけれど、二人はそれからずっと飲んでいたようである。
「二人とも、朝だよ」
 パンと手を打ち鳴らして二人を起こす。最初はもぞもぞとむず痒るようにしていたが、やがて大きなあくびと背伸びをしてようやく重そうに起き上がった。
「あー、久々に飲んだな。いつ寝ちまったんだ、俺」
 住吉が眠そうに目を擦りもう一度伸びをする。思い返すと、僕は住吉が寝ている所を見たのは初めてだと思う。いつも住吉は僕よりも早く起きて仕事に出掛けるからだ。やっぱり住吉もお正月くらいは気を抜きたいに違いない。
「んー? 覚えてないの? 昨夜はあんなに」
「子供の前だぞ、ったく。新年早々お前は」
 まずは昨夜に食べ散らかしたものを片付け、お雑煮だけで軽く朝食を取る。お節料理は帰って来てからゆっくりと食べる事になった。食事を済ませた後は服を着替えて早速初詣へ出掛ける。住吉はやはり気乗りのしない表情だったが、ちゃんと一緒には来てくれようだ。
 用意を済ませてアパートの前へ住吉が車を止める。僕はいつものように後部席に座る。ドロシーがいる時は必ずドロシーが助手席に座ろうとするからだ。
「お待たせー」
 しばらく待たされた後にドロシーがようやく降りて来た。宣言通り、振袖という綺麗な着物姿に着替えていた。夏の時に着ていた浴衣は真っ赤な布地だったけれど、今度のは薄いピンクの桜のような色合いだった。
「お、意外とちゃんと着れてるじゃないか」
「当然じゃない。この帯の所なんか、本当に沢山練習したんだから」
「せっかくだから写真撮った方がいいよね」
「クリスちゃん、名案! じゃあ神社の前で撮りましょ。そうだ、デジカメ取って来る」
 そう言ってドロシーは車を飛び出しアパートへ戻って行った。やれやれと言いたそうな表情で溜息をつく住吉、僕も何と無くそれに合わせた。
 都内には幾つか神社はあるものの、テレビコマーシャルで流れているような神社は混雑し過ぎてとても入れないそうだ。毎年一番にお参りをするため徹夜で並んでいる人もいるらしい。僕にはさすがにそこまでの根性も無く、僕達は近くのさほど有名でもない神社へ向かった。
 神社近くの駐車場に車を止めて下りると、調度参拝を終わらせて降りてきた集団の姿を見かけた。家族連れではなく、僕よりも一回りほど年上の仲良しグループという雰囲気だった。顔触れを良く見たけれど、明らかに異族と分かるような顔立ちの人はいなかった。日本以外の異族にはそういう風習は無いのかもしれない。
「じゃあ、お前達だけで行って来い。俺はここで待ってる」
「えー、いいじゃない。一緒に行こうよ、行くだけでも」
「だから、行かねえって。それと、ちゃんと神棚のお札は忘れるなよ」
 ドロシーがしつこく誘うものの、結局住吉は鳥居の前までしか来てくれなかった。やっぱり、形式だけでも同族を拝みに行くのはどうしても嫌なんだと思う。写真だけは何とか撮ったけれど、住吉は写真もあまり好きではないようだった。
 神社は見上げるほどの長い石段を登った先にあって、僕とドロシーはまずひたすら石段を登ることから始めなければいけなかった。僕は普段から出歩いているので、少しくらい長くても転ばないようにさえ気をつけていれば石段は平気だ。一方ドロシーは、普段部屋の中でごろごろしてばかりでお使いもほとんど僕にさせるから、体力は続かないと思っていた。けれど意外にも、ただでさえ歩きづらそうな振袖を着ているのに、ドロシーは僕と同じくらいの速さで登ってきた。きっと大人だから歩幅が広いからだ。そう思う事にする。
 頂上に到着すると、神社の周囲は意外に沢山の人で賑わっていた。神社は拝んでおみくじを引いたら終わりだと思っていたけれど、売店のような所があってそこで買い物をしているようだった。
「ねえドロシー、あそこで何売ってるの? お札とか弓矢とか、そういう開運グッズよ。部屋に飾ってると、悪い事が無くなって良い事が集まるようになるの」
「記憶が戻るようなグッズもあるかな?」
「健康のお守りはあったはずだから買ってあげる。私は恋愛成就かしら。あとすみちゃんの頼まれ物も買わないと」
 目的の物も買い、早速神社の前で参拝をする。ドロシーにお参りの仕方を教えて貰い、覚束ないなりに何とか参拝を終えた。小銭を入れて吊された鈴を鳴らし二礼二柏一礼、うまく出来たかどうかは分からないけれど、お願い事だけは忘れなかった。
 最後におみくじを引いてみる。ドロシーは大吉、僕は末吉だった。末とは、やがて良くなるという意味らしい。僕はすぐに良くなりたいのだけれど、悪くなるよりはマシかと自分を納得させる。
 初詣も終わり駐車場まで戻って来ると、住吉は車の外でペットボトルのお茶を飲んでいた。寒いから車の中で待っていれば良いのにと思ったけれど、一緒に行かなかった負い目で待っていたのだと僕は解釈する。
「お待たせ、すみちゃん。頼まれたの、買って来たわよ」
「おう、お疲れさん」
 ドロシーはいつものようにニコニコしながら買ってきた物を住吉へ渡す。すると住吉は、珍しく照れたように頭をかきながらそれを受け取った。何だろう、何があったんだろうか。不思議に思いながら僕は小首を傾げつつ車に乗った。
「じゃあ、次はうちに帰っておせちとお雑煮でお酒飲もう。昨夜の続きよ。まだ開けてない純米大吟醸があるの」
「それもいいが、ちょっとその前に寄る所がある」
「ん? 御惣菜でも買うの? お酒はまだまだあるけど」
「違う。自治会長さんとこに新年の挨拶だ」
 自治会長の家はアパートから程近い所に建つ一軒家だった。お正月という事もあって人通りも少なく、ちょっとだけならと通りの隅に車を停めて向かう。
「会長さん、御免下さい。住吉です」
 すぐに中から人の気配がして玄関のドアが開いた。住吉よりは小柄な体格で、住吉の後ろに立っている僕には全く姿は見えなかった。
「おお、住吉さん。明けましておめでとう。ドロシーさんもお久しぶりです」
「明けましておめでとうございます。どうぞ、今年も宜しくお願いします」
「いやいや、こちらこそ。年の瀬はみんなで楽しくやれましたか?」
「まあ、相変わらず騒がしい感じです」
 大人同士の会話は退屈である。
 僕は住吉の後ろでする事も無く、とりあえずキョロキョロと辺りを見回した。都内に一軒家を持つ事はなかなか難しい事らしい。とにかくお金がかかり、その割に土地の値段が目まぐるしく上下するから、家の価値自体が先々どうなるか分からないのだ。それなのに、確かに会長さんという人は一人で暮らしている。それはちょっと寂しくて可哀相だと思う。
「そうだ、まだ会長さんとは会ったこと無かったな。去年ちょっとした事情で子供を引き取ったんです。ほら、クリス」
 その時、急に僕は住吉に引っ張り出され、よろけながら前に立つ。目の前にいるのは一人のおじさんで、どことなく寂しげな表情だった。その視線と僕は真っ向からぶつかってしまう。
 えっ。
 直後、僕は声を上げそうになるほど驚いた。目の前にあるこの会長さんの顔に見覚えがあったからだ。
「ほら、挨拶だ」
「ク、クリステルです……」
 僕は思わず一歩後退り、半身に構えるように住吉の足に掴まった。そんな僕に住吉とドロシーが不思議そうな視線を送るのがひしひしと感じる。けれど僕はそのまま動かなかった。
「ちょっと人見知りする子で。すみませんね。日本にも色々あって来たもんで」
「いやいや、構いませんよ。そうだ、せっかくだからお年玉をあげよう」
「いや、そんな申し訳ない」
「いいんですよ、私にはあげる子供はおりませんし」
 ちょっと待っていて下さい、とおじさんは家の中へと戻って行った。姿が見えなくなっても僕は決して警戒は解かなかった。多分、うちに戻るまでは安心は出来ないと思う。
「おいおい、どうかしたか?」
「ううん、何でもない」
 そう答えると、住吉はいつもドロシーに対してする溜息をついた。呆れと諦めの入り交じった溜息である。
 あのおじさんと初めて会ってからも、時々見かける事はあった。だから近所に住んでいるという事までは想像していて、図書館へ出掛ける時も必ず周りに気をつけながら歩いていた。けれど、それがまさかこんな形で真っ向から顔を合わせる事になるなんて。
 どうしてこんな事が起こってしまったのだろう。それも新年早々に。そう思いながらしばらく僕は住吉にくっついていた。