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 異族には基本的に家族というものはない。それは、人間とは生まれ方が違うせいだ。
 だけど、人との繋がりはいつも決まった形では無いと思う。少なくとも自分にとっては。
 異族は何もかもを決められて生まれて来るのではなくて、もっと自分でどうにか出来る事があるはずだ。そうでなければきっと、人生が面白くならない。



 テレビで梅雨という単語が出始めて来た。春になったばかりだと思っていたけれど、もう梅雨が近いようである。
 今日もいつものように図書館へ出掛け、昼頃になってうちへと帰る。今はその途中だった。電車を降りて、駅からうちまで続くいつもの道をのんびりと歩く。長袖で調度良い暖かさだけれど、長く歩いていると額に汗が滲んで来る。そこに吹き付ける風が心地良かった。
「ただいまー」
「お帰りー。さあ、御飯にしましょ。手を洗ってらっしゃい」
「ドロシーは口の周りを洗った方がいいよ。チョコ食べてたでしょ」
 そんなよくあるやり取りをしつつ、お昼御飯を一緒に食べる。御飯が済んだ後は食器を片付け、後は夕方までのんびりとする。僕は午前中に借りてきた本を読む事が多く、ドロシーはテレビや雑誌を見ている事が多かった。時折話をしたり、おやつを食べたりもする。ドロシーと過ごす時間は、そういうのんびりとしたものがほとんどだ。ごくたまに、ドロシーの買い物へ夜まで連れ回される事もあるけれど。
「ねえ、クリスちゃん。今日は何の本を読んでるの?」
「子供の科学って本。面白いよ。飛行機の飛ぶ原理とか書いてるんだ」
「うー、聞いているだけで頭が痛くなりそう」
 ドロシーは大体僕の読んでいる本には同じ反応を見せる。明らかに子供向けの表紙と分かっているのに、自分には難しいと眉をひそめるのだ。それは冗談だと思っているけれど、そういう冗談を繰り返す理由が僕には分からなかった。ドロシーには僕との距離感を毎日調整している感じがする。きっとその一環なんだろうと今は勝手に解釈している。
「おーっす、ただいま」
 夕方頃、住吉が仕事から帰ってきた。今日はいつもより少し時間が早い。きっと仕事が速く片付いたからだろう。
「おかえりー、すみちゃん。お帰りなさいのちゅうは? いつもの」
「何がいつものだ。そんなことよりもだ、早速夕飯の買い出しに行って貰うぞ」
 いつものように住吉はじゃれつくドロシーをかわし、夕飯の準備に取り掛かる。買い物は僕とドロシーの担当で、住吉が冷蔵庫の中を見ながら書くメモにあるものを買って来る。本当は一人でも買いに行けるのだけど、決まってドロシーがついてくるのが少し不満である。買い物に行く時に関しては、正直どちらが保護者か分からなくなる時があるからだ。
 今夜の夕食は買い物メモの内容から予想した通り、カツオの竜田揚げと菜の花の辛し和えだった。住吉は漁師だけあって魚料理の種類を沢山知っているから、いつも違う料理が出て来ているように思う。しかも使う魚が市場から持って来たばかりの、新鮮で旬のものだから美味しいのだろう。前に魚の図鑑を読んで見たけれど、魚の種類があまりに多過ぎてとても生態やら旬やらといった事は覚えられなかった事がある。しかも、出世魚と言って大きさによって呼び名の変わる魚の事は書いていなくて、それも住吉に教えて貰った。本だけでは大人には勝てない、そう痛感したものである。
 夕食後はいつも、お風呂が沸くまでの間に食後のお茶を飲みながらのんびりとくつろぐ時間だ。そこではただの談笑だけでなく、これからの予定や何かしらの相談も交わしたりする。一日の中で三人が揃う貴重な時間でもある。
「おっと、そうだ。なあ、クリス。ちょっと話があるんだが」
 そんな切り出しで住吉がテーブルに広げたのは、一冊のパンフレット。よく駅で無料で置いてある情報誌のような大きくて厚みのある冊子だ。手に取って開いてみると、それは学校の入学案内について書かれたものだった。
「ここから電車で一本で行ける所にな、異族を専門で受け入れてる学校があるんだ。その二次募集が来月までやってる。どうだ、興味は無いか?」
 僕のために持ってきた資料らしい。けれど僕は、学校という言葉に少し戸惑った。だから即答出来ず、まずはパンフレットをつぶさに眺め始める。
「異族の小学校みたいな所かしら? 人間だとクリスちゃんぐらいなら算数とかお勉強してる頃だもんね」
「まあ、異族には義務教育ってのは無いし年齢も曖昧だから、小学校のようにきっちりした所ではないがな。けど、学校には行っておいた方が後々のためにもなるだろうし、損は無いなって俺は思うんだ」
 そう住吉はパンフレットのあちこちを指差しながら僕に解説する。僕も学校には行ってみたいと思う。けれど、なかなか決心がつけられなかった。学校へ通い始めるとこれまでの生活が一変してしまい、それが怖いからだと思う。せっかく自分の生活のリズムが落ち着いたのだから、それをわざわざ変えたいとは自分からは思えないのだ。
「学校ねえ。いいんじゃないの? ほら、お友達だって出来ると思うわ。異族同士だったら割と気兼ねしなくても済むだろうし」
「同世代、って言うのもおかしな話だが、自分と近い人と接する機会があるのは大事な事だ。なに、肩肘張って勉強に打ち込めって事じゃない、遊びに行く感覚で気軽に思ってくれればいいさ」
 住吉やドロシーのように、大人の立場からの意見だと、子供の僕は学校に通った方が良いようだ。きっと一人でいるよりも色々な事を学べるからだと思う。僕もそれは分かっている。だけど、今の生活を変えようという気にはすぐになれない。
「んと、僕は……」
 今のままが良い。そう口にしそうになる。ただ、簡単には言えなかった。住吉は僕に学校に行って欲しくて言っているのだからだ。僕も現状を維持したい反面、学校に行ってみたい気持ちもある。だから、はいともいいえともすぐに答えられなくて迷っていた。
「ま、締め切りまでは日にちはある。慌てて決めなくてもいいさ」
 迷っている僕の頭を住吉がわしわしと掴むように撫でる。僕は何とも言えず黙って頷き、引き続きパンフレットを隅から隅まで眺めた。返答から逃げるようだと僕は自分をそう思った。
「ねえねえ、そこの学校は授業参観はあるの?」
「さあ、あるんじゃないのか。それがどうかしたのか?」
「親なら行ってみたいじゃない。それで、まあ若いお母さんねえって言われたいの」
「また下らん事を」
 はしゃぐドロシーに呆れ顔の住吉。やっぱり深刻には考えていないのだなと、僕は逆に少しだけ安心した。住吉が何でも真面目に考えるのは日本の古い神様だからで、ドロシーがいつも気さくで明るいのは外国の妖怪だからだろうか。形が決められた時に、人柄がそういうものだと思われるようになって、実際そうなったのかもしれない。
 そんな事を考えていて、ふと僕は自分の生まれの事を続けて思い出した。あの神魔日記という漫画の中で形を決められた僕だけど、その僕は学校に通っていなかったのではないだろうか。これまでの代わり映えのしなかった生活も、実は漫画の筋道を無意識の内になぞったものだったのではないのか。住吉が海で仕事をするように、ドロシーがこの部屋に寄宿するように、僕も自分の行動を決められているのではないだろうか。
 そう考えた途端、僕の中にあった迷いが急に晴れてしまった。多分、自分で決めるという事を初めて自覚したからかもしれない。
「ねえ。僕、行ってみようと思う。学校」
 そんな僕の突然の言葉に、住吉とドロシーは同時に僕の方を振り返った。二人とも顔には驚きの色が見え隠れしていた。多分、僕が決心するまでもっと時間がかかると思っていたんだと思う。だからここでの意思表示は意外な出来事だったに違いない。そういう表情をしている。
「お、そうか。行ってみるか。でも大丈夫か?」
「大丈夫って何が?」
「いや、まあ、ほら。知らない人も沢山いる訳だしな。それにまあ、色々と……」
 住吉が珍しく面食らっているらしく、僕の問いに言葉を濁してしまった。自分から言い出した事なのに、やっぱりいざとなったら不安になってきたのかもしれない。前にドロシーが昼間に見ていたドラマで、親はいつまでも子供から離れられないような事を言っていたけれど、きっとその通りの反応なのだろう。
「とにかくだ。よし、じゃあそうと決まったら、早速手続きをしないとな。善は急げだ」
「新入学のお祝いもしなくちゃねー。そうだ、うちのお店でやろうよ。パーッとボトル空けちゃって」
「どこの世界にそんな子供がいる。それにお祝いよりも、鉛筆だのを揃える方が先だ」
「やだ、今時は普通シャーペンでしょ?」
「そういうものを子供の内から使っていると、綺麗な字が書けなくなるんだ」
 僕が学校に行くのを決めた途端、二人はやいのやいのと学校について熱くなり始めた。何だか当人である僕よりも張り切っているような気がする。こういう調子で学校まで付いて来られるとちょっと恥ずかしい。そんな事を思った。
「クリスちゃん、彼女が出来たらちゃんとママにも紹介するのよ」
「そういうのはまだ早い」
 最後の方は二人だけで盛り上がって何がなんだか分からなくなってしまったが、とにかく僕が学校へ通う事は決まった。住吉が慌てて口走ったように、知らない環境とか知らない人がいる事には不安もあるけれど、きっと何とかなると、そういう自信があった。これはドロシーの性格に影響されているからだろう。
「あら?」
 そんな僕達の団欒を遮るように、唐突に鳴り響いた電子音。それはテレビから発せられたもので、地震や選挙速報があった時に鳴らされる音だった。思わず僕達は会話を止めてテレビの方を振り向く。
『ここで臨時ニュースです』
 普段なら画面の上にテロップが入るのだけれど、たまたま番組と番組の間にあるニュース番組だったせいだろうか、テレビに映っているアナウンサーに横から原稿が手渡しで回されて来た。その慌しさが、いかにも突発的なニュースだと僕は思った。
『えー、今日午後七時頃、国会議事堂前で武装した国籍不明の集団が現れ、警官隊に拘束された模様です。えっと……はい、どうやら現場の映像が出るようです』
 そう言い終えるや否や、画面が切り替わった。映し出されたのは、別なテレビ番組で見た事のある国会議事堂のような場所だった。とっくに日も落ちているが、周囲に照明があるのでさほど暗さは感じない。画面は酷く揺れてピントが合ったり外れたりする。一般人がハンディカメラで撮影したものなのだろう。
 必死にカメラが追う先では、盾を構えた物々しい雰囲気の警官隊の姿があった。そして良く見ると、その中心で警官隊に囲まれもみくちゃにされている数名の姿があった。怒号が激しく飛び交い、完全に一触即発から次の段階に移っている様相である。
「何だ、あの格好?」
「最近の市民団体は衣装が派手ねえ」
 住吉とドロシーが、警官隊に囲まれている人達を見てそう首を傾げた。確かに二人の言う通り、その人達は明らかに周囲から浮いた格好だった。真っ赤なマントや全身をすっぽり覆うような上着、明らかに衣服ではない鎧のようなものを身に着けた屈強そうな人もいる。初見では思わず首を傾げるか眉を潜めるか、とにかくそうとしか評しようのない姿形である。
『取調べによりますとこのグループのリーダーは、自分は勇者の息子で永田町には魔物が棲む城があると聞いてやって来た、世界平和のためだ、と供述している模様です。警察では現在、広域テロの可能性も視野に入れて厳戒態勢を取っております。また詳しい事が分かり次第、お伝えいたします。皆様も夜間の外出はくれぐれもお控え下さい』
 画面の裏側でアナウンサーが淡々と原稿を読み上げる。それに合わせて警官隊の映像の下側にも要点だけまとめたテロップが重ねられた。新手のテロ組織か何かが現れた、そんな印象を受けるニュースである。
「ねえ、すみちゃん。あれってさ、もしかして」
 ドロシーが最後まで言うまでもなく、僕も住吉もそれを察し、そしてどちらからともなく溜息をついた。僕もそれに続きたい気分だった。まさか、という思いはまだあるけれど、今見た映像をざっとさらう限り、奇妙な恰好と噛み合わない会話も併せ、そういう予感が嫌でも頭を過ぎるのだ。
「まさか、新しい異族じゃないだろうな……? だとすると、こりゃえらい騒ぎになるぞ」
 怪訝な顔でぽつりと呟く住吉。するとドロシーはいつもの軽い調子でそれに答えた。
「まあそうだとしても、何とかなるんじゃないの? 日本人って割とそういうところ、ファジーにやってるじゃない」
 そうドロシーは笑い、住吉は呆れ半分と苦笑い半分の奇妙な表情を浮かべた。
「何とかなるって、大丈夫かなあ?」
「クリスちゃんだって何とかなってるでしょ?」
 そうドロシーに指摘され、僕はああいうのと同じジャンルなのかと口を尖らせる。
 今後も僕と同じ出身の異族が生まれてこないとも限らない。十年以上も前に何の前触れもなく異族が亡命をして来て、瞬く間に日本は異族の亡命者で溢れ返った。それと同じように、何かの切っ掛けで、そう例えば僕が生まれた事で、次々と新しい異族が生まれる事もあるかもしれないのだ。限定的な文化から生まれてきた異族は、今後別な問題を起こすかもしれないし、起こさないかもしれない。だけど、確かにドロシーの言う通り、この国は意外と何とかやっていけるような気がする。それは根拠の無い憶測ではない。僕が実際この一年を振り返っての感想だ。