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 物置の外から聞こえてきた演説のような声も無くなり、時間が随分経過した。しんと静まり返った物置はまこちゃんと僕の呼吸だけが聞こえる。まこちゃんはようやく泣き止んでくれたけれど、いつものように僕へ話しかけてくれたりせず、じっと座ってうつむいている。
 早くパパさんが来てくれないだろうか、こんなまこちゃんは見ていられない。そんな事を思いながら、僕はまこちゃんにくっついたり物置の中を歩き回ったりしていた。
 しばらくそうしている内、ふと僕は窓のからぴかぴかと点滅する光が差し込んでいる事に気がついた。光は窓の向かい側の壁を点滅を繰り返しながら照らしている。何の光だろうと耳を澄ましていると、外の様子が普段と違う事に気がついた。パパさんの家の外はあまり車通りのない道路である。それなのに、パパさんの車とは違う車の音が幾つも集まっている。こんな事は今まで一度も無かった事だ。
 僕はうつむいているまこちゃんを小突き、点滅している壁を下からがりがりと引っ掻き跳ねた。それを何度か繰り返している内にまこちゃんは僕が何が気になっているのか気付いたようで、立ち上がって壁を見、そして窓の方を向きながら外の音に耳を済ませた。
「大丈夫、パトカーのランプの光だから警戒しなくていいよ。パトランプって言うの。きっとパパが助けに来てくれたんだよ。警察の人が大勢で来たんだ。悪い人を逮捕するために」
 なるほど、パパさんは警察の偉い人だから、沢山の警察を連れてやって来たのか。まこちゃんの言葉に、外に集まる車の数に納得がいった。これでまこちゃんも無事に助かるはずである。
「ちょっと外見てみようか。もしかしたらパパがいるかもしれないから」
 そう言ってまこちゃんは、物置の隅に置いてあった椅子へ駆け寄ると、上に積み上がっていた荷物を下ろし、採光窓の下へ引き摺っていった。椅子に上がり採光窓へ手を伸ばそうとする。けれどまこちゃんの身長では窓枠まで少し足りない。せめて手がかけられれば、体を持ち上げる事が出来るのだけれど。
 まこちゃんはどうにかして丈を稼ごうと、他に何か良い足場はないかと物置の中を物色する。けれど、どれも椅子の上に置くには不安定で覚束ない。折りたたみ式の梯子もあったけれど、これは鉄で出来ているからまこちゃんが持ち上げるにはあまりに重過ぎる。
 窓から外を覗く作戦は無理か。そう思っていると、
「ねえ、今度はあかしまが見てみてよ」
 唐突にまこちゃんがそんな事を僕へ振ってきた。
 僕の方がどう考えても窓までの距離があるし、まこちゃんが持ち上げるにしても僕の方が椅子より重い。そもそも僕が見ても良く分からないのに。しかしまこちゃんはお構いなしに僕と入れ替わりに椅子の上へ上げようとする。仕方なく僕は、取り敢えずでもやってみようと椅子の上に上がり、壁に手をかけて窓枠の所までよじ登れないか試みる。物置の壁は硬い石で出来ていて引っ掛ける所は無いが、細かな凸凹はあるのでそれを何とか利用してみる。そうしていると、僕のお尻を後ろからまこちゃんが押し上げてくれた。まこちゃんにも体重を支えて貰って、どうにか手が窓枠にかかり、身を持ち上げる事で外の様子がガラス越しに少しだけ見えた。
 まず目に飛び込んで来たのは、自分が想像していた以上の人だかりだった。車も擦れ違えないような道を、見た事もない数の人が埋め尽くしている。物置の位置から考えると、この家の玄関の辺りだろうか、そこを囲むように人が集まっている。みんな眩しいライトやマイク、大きな荷物を肩に抱えていたりしていて、着ている服も警察官とは明らかに違っている。肝心の警察は人だかりの隅の方で小さくなっていた。パトカーも一台しかなく、そのランプがたまたま此処へ差し込んでいるようだった。
「あっ……もう駄目。下ろすよあかしま」
 後ろからまこちゃんの苦しそうな声が聞こえて来たので、ここで僕は窓枠から床へ飛び降りた。
「ねえ、パトカーいっぱいいた? って言っても、あかしまには分からないかな」
 そう言いながら、僕の頭をぽんぽんと撫でる。そんなまこちゃんに僕は、外の様子は言わない方が良いと思った。多分、集まっているのは警察じゃないからだ。あれはむしろ、ママさんが昼間にテレビで見ている番組に出て来ている人達に似ている。マスコミと呼ばれる人達だ。
 まさか警察よりも、関係の無い人達の方が沢山来るなんて。僕は少なからず失望感を覚えた。まさかパパさんは、本当にまこちゃんを助けに来ないつもりなのか。そんな疑いすら沸き起こってくる。
 その時だった。突然パトカーのサイレンが遠くの方からこちらへ向かってくるのが聞こえてきた。それも一つ二つではない。ざっと聞いても幾つあるのか聞き分けられないほどだ。
「あっ! きっとパパだよ!」
 この音にまこちゃんもパッと表情が明るくなった。これだけ沢山の警察が来たからもう大丈夫だと、安心感が出てきたのだろう。
 どうやら、今度こそ本当に警察が来たようである。この中にパパさんもきっといるはずだ。