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 買い物は思っていたよりも早く済み、昼下がりには町を出る事が出来た。今日は買い物の量が多く帰り道は歩きが遅くなる事を含めても、日が沈む頃には家に到着出来るだろう。以前とは違って時間に随分余裕がある。それでも、最初の峠を抜ける頃には太陽も随分傾いて来ていた。次の峠までの悪路では、どうしても歩幅を縮めざるを得ない。急ぎたいのは山々だけれど足をくじいたりしては仕方ないので、ここはいつも通り慎重に歩き、急ぐのは峠に入ってからにしようと思う。
 悪路を進む中、ふと私は今日は行きも帰りも道中にいつもより人が少なかった事を思い出した。時間帯のせいと言うよりも、単純に人通り自体が減った印象である。荷馬車はそれなりには通っていたけれど、それ以外の目的で町へ向かう人が減ったのは、やはり流行り病にかかる事を恐れているからなのだろうか。今度町へ行くのは何時になるかは分からないけれど、また次に行く頃はもっと印象が変わっているかもしれない。何と無く、そんな予感がした。
 やがて悪路も終わり次の峠に差し掛かろうという場所まで来る。しかし、その時だった。私は前方に焚火の明かりが灯っているのを見付け、何事かと目を凝らす。それは調度峠の出入り口の所を、何者かの一団が陣取っている光景だった。
「あれは、もしかして……」
 咄嗟に私は道の脇に移って身を潜めた。そこからもう一度息を殺しながら陣取る一団の様子を窺ってみる。彼らは一見猟師のような山に住む人と似たような格好をしているものの、やけに大きな山刀や槍、そして弓を持っていた。あながち猟に使わなくもない武器だけれど、こんな何の獣も出ない街道にあの大人数でやって来ているのは明らかに不自然である。
 おそらく自分の直感に間違いは無いと思う。あれは猟師ではなく、山賊だ。見つかってはいけない、もしも捕まれば子供はどこかへ売られてしまうのだ。
 どうしてこんな時間から山賊が出るのだろうか。そうは嘆くものの、嘆いた所で山賊がどうにかなる訳でもない。それよりも、如何にして家に帰るか。それが重要である。当然だが、子供の体力であそこを強引に押し通るのは不可能である。目をごまかそうにも、私は変装も何も出来はしない。憲兵さんを連れてくるにしても、今から町まで戻る時間はないし、応じてくれるとも限らない。それに、山賊の方が勝ってしまうこともあるのだ。
 小細工が無意味な以上、後は回り道をするしかない。けれどそのためには、一度峠近くまで戻らなくてはいけないし、そこからうちまでは倍以上の距離を歩く事になる。またその途中に別な山賊が出ないとも限らない。
 何か最短で済む良い手はないだろうか。そう悩むのも束の間、私はふと一つの案を思い付いてしまった。それは、先日通ったあの近道を通る事だ。あの道なら途中に山賊が出る事も無いだろうし、家にも早く着く事が出来る。だけど、山賊は出ない代わりに幽霊が出る。それが一番の悩み所だ。
 回り道をするか、それとも近道をするか。一体どちらにするべきか。そう悩んでいた時だった。
「あっ! おい、あそこにガキがいるぞ!」
 突然、山賊の一団から一人が大声を上げた。私は心臓が止まるかと思うほど驚いて茂みから飛び出し、またそれと同時に焚火を囲んでいた山賊が数人立ち上がってこちらを向くのを目にした。
 まずい、逃げなきゃ。
 私は急いで今来た道を引き返した。後ろから待てと呼び止める荒々しい声と、追い掛けてくる幾つもの足音が聞こえてくる。普段はゆっくり歩いている悪路を全力で駆けるから、すぐに足の裏が痛みで悲鳴を上げた。けれど、立ち止まって労っている暇などない。とにかく今は、せめて転ばないように走り続けられる事を祈りながら逃げるばかりである。
 背後の足音は確実に距離を縮めて来ている。大人と子供の足の差など歴然としたものだが、自分では健闘していると思っていただけにショックは大きい。
 このままではいずれ追いつかれてしまう。私の足で振り切るのはどうやっても無理だ。
 どうにかしなければ。何か良い方法は無いのか。
 何の案も無く焦る私、既に私を射程内に捉えたのか背後の声はからかうようなものになってきている。足も痛みを通り越して痺れ出し、膝がぎゅうぎゅうと軋み始めた。その内、自分では動かせなくなるだろう。心臓もばくばくと大きな音を立てて暴れている。急に走ったせいで呼吸も息がつまりそうなほど苦しい。
 そんな時だった。
 尚も走るしかない私の前方に、ふと一筋の青く細い光の線が伸びているのが見えた。星明かりとも違う、夕暮れだというのに恐ろしくはっきり見える細い光だった。咄嗟に線の元を辿ると、そこには先日のあの近道が見えた。
 あの近道なら藪も多く身を隠しやすいから、もしかするとうまく撒けるかもしれない。道もここよりは遥かに走り易いし、大人には逆に小枝が当たって走りにくいだろう。けれど、あそこには得体の知れない何かが潜んでいる。この光だって、あれが私を誘導しているに違いないのだ。
 すぐ後ろから山賊達の声が聞こえる。捕まるのは時間の問題である。
 もう迷っている場合ではない。一か八か、やってみるしかない。
 私は一息で覚悟を決めると、出来るだけ鋭角に踏み切ってその道へ方向転換をした。