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 その日はライブを森の中へ残して帰って来た。ちょっぴり後ろめたいけれど、下手にうちに持って帰って義母達に見つかっては困るからだ。それに、ライブも周囲の観測がしたいとかで外の方が良いらしい。森の中じゃ何も見えないと思ったけれど、ライブには暗くても見える目と、少し離れた所の事が分かるセンサーというものがあるらしい。空気の状態を見るとも言っていた。空気なんて目には見えないのにどうやって見るのか不思議に思ったけれど、きっとライブには見る事が出来るのだろう。
 帰って来た私は井戸水を汲んで手足を洗い、真っ暗ないつもの寝床へ入る。それから朝の余りのパンをかじり、汲んだ水を少し飲んで横になった。一人で居る事は慣れたから何とも感じないのだけれど、今日はふと森の中にいるライブの事が頭を過ぎった。ライブは不思議な喋る鉄の箱で、良くは分からないけれど多分人間ではないのだと思う。だから、一人で夜に外へいても淋しかったり心細くなったりはしないのかもしれない。むしろ、心細さを感じているのは今の自分である。夜寝る前の時間の話相手が欲しいのだろう。以前は、それはお父さんがしてくれていたから。
 翌朝、またいつものように母屋の勝手口で固くなったパンを投げ渡され、私はそれを半分だけ食べてから出掛けた。昨日と同じ道を辿り森の中へと入って行く。しばらく歩いていると、
『おはようございます、アイラ』
 と、どこからともなくライブの方から話し掛けてきた。
「おはよう、ライブ。どこにいるの?」
『昨日と同じ場所ですよ。そこから東北東へ向かって数歩です』
 星の出ていない時間に、こんな鬱蒼とした森の中では方角など分からない。私は何と無くの記憶と勘を頼りに歩き、ライブの姿を見付けた。ライブは自分で動く事は出来ないから、確かに昨日と全く同じ場所にいる。
「ねえ、ライブは今みたいにどうやって話すの? 前もそうだったけど、随分離れてたのにまるですぐ傍で話してるみたいに聞こえたけど」
『共振の原理です。それぞれの音波では何も聞こえませんが、音波同士が交わると音として認識出来るのです。その交わる地点を相手と重ねる事でこうなります』
「そ、そうなんだ……。私にはちょっと難しいかな」
 理屈は良く分からないけれど、ライブは耳元で聞こえるように話す事が出来るらしい。ただ、これは昼間でも少しびっくりするから、あまりやっては欲しくない。
「昨日の部品はどう? 治った?」
『20%程の修復に成功しました。しかし、これ以上は時間がかかりそうです』
「そっか……。残念だね」
『本当に最低限の機能だけは回復しましたから、そう悲観するほどでもありません。後は、代替え環境の構築を何とかしましょう』
 結局、ライブの壊れた部品はほとんど治っていないようである。最低限とは言っているけれど、必要なまでには至っていないと思う。だから代替えが必要なのだ。
「私もちゃんと最後まで手伝うよ。今日は何をしたらいい?」
『これから私は代替え機能の設計図の製作に入ります。時折、必要な部品について調達が可能か訊ねますので、それに答えて下さい』
「必要な部品ね、分かった」
『では、私をその岩の前方へ移動させて下さい。そこの平面上の岩です』
「ここでいいの?」
『もう少し後方に。はい、ありがとうございます』
 位置を移動させたライブは、平べったい岩の前でかりかりと小さな音を立て始めた。その直後、突然ライブから細く青い光が飛び出し、平べったい岩を打った。そのまま青い光は目にも止まらぬ速さで岩肌の上を縦横無尽に走り、あっという間に恐ろしく細かな図面をそこに描き出した。色々な図形や記号が複雑に組み合わさったそれは何を作るための設計図なのか、私には青い光がパッと飛び出してぐるぐる動いた事だけしか分からない。
『これは解説用の略図です。アイラにはこれをベースにして質問等を行います。出来るだけ正確な情報が必要なので、質問が理解し難い場合は確認をお願いします』
「う、うん。分かった……」
 ただでさえ今の出来事に圧倒されたと言うのに、今度はこの如何にも難しそうな図面を理解しなければならないなんて。本当に自分に出来るのか、と私はくじけそうになった。けれど、ライブは自分で動けないのだし困っているのだから、私が頑張らなければいけないと、何とか気持ちを奮い立たせる。
「ねえ、ライブ。これは一体何をする部品なの?」
『これはサブミリ波による簡易的な通信モジュールです』
「サブミリ波?」
『電波の一種です。電波とは、力場による空間の振動、と言えば伝わるでしょうか』
「空気が揺れること?」
『概念的にはそれで結構です。その振動のパターンにより、遠地に信号を送る事で意志の疎通が図れる訳です』
 それはつまり、離れた所にいる相手と話が出来るという事なのだろうか。けれど、私には今一つそれがどんなものなのか理解出来なかった。遠くの人へ用事があれば、直接赴かなくとも手紙を使えば事足りる。それに、良く分からない道具を相手も使いこなせなければならないから、むしろ普通に話した方が手っ取り早いような気がする。無論、ライブはそんな事のために使うのではないのだろうけれど。
「ライブは誰かとお話するためにこれを作るの? ライブが生まれた星の誰かとか」
『救難信号という目的ではありません。これにはとある理由があり、必要であるため製作せざるを得ないのです』
「理由? どんな事?」
『私のデータが正しければ、今この付近一帯に疾病が蔓延しているはずです』
「もしかして流行り病の事でしょ。そうだよ、町の方に行ったらもうみんな口を布で覆ってるもの」
『細菌についての知識はさほど無いようですね。まだ免疫学も確立されていないのでしょう』
 細菌とはカビなどのばい菌と普段呼んでいるものの事だろう。けれど、免疫という言葉には聞き覚えは無い。流行り病もそのばい菌か何かが悪さをしている事は知っているし、それで市場ではみんなが消毒用に酒精を買い求めている。でも、それ以上の事があるのだろうか、というライブの話ぶりに私は小首を傾げた。
『今後の予定もありますから、今の内にアイラには概要を説明しておきたいと思います』
「え、何? 突然」
 そうしている私にライブは一方的に話を始めた。
『私の目的は、この一帯に蔓延している疫病の浄化にあります。この疫病は極めて感染力が強く、現状の医学水準において治療は不可能、また自然治癒も不可能です。私の計算によれば、あと一ヶ月ほどで成人の八割が危篤、もしくは死亡すると想定されます。この事態にまで陥れば、町として機能はしなくなるでしょう。また、近隣への感染拡大も懸念されます。そうなれば、最終的な被害の規模は非常に深刻なものになるでしょう』
「え、ちょっと待ってよ。いつもの流行り病だから、そのうち無くなって忘れるって、みんな言ってたよ?」
『その、みんな、とは統計的にはどのような分母でしょうか? 私はあくまで過去のデータに基づいた計算ですが、実情が好転するほどの要素は含めていません。あるのであれば教えて下さい』
 いつもの口調で理路整然と答えられ、私は言葉に詰まった。流行り病なんていつの間にか無くなっているものだから、今回もそうなるだろうというはっきりとした根拠は無いのだ。けれど、今までずっとそうだったのは本当なのだから、的外れな事は言っていないと思う。むしろ、ライブの言う事の方が突拍子も無いように聞こえる。
「だけど、幾ら何でも一ヶ月でみんな死んじゃうだなんて。さすがにそれは無いと思うよ。今までどこでもそんな流行り病が起こったなんて聞いた事が無いし」
『ならば、これが最初のケースになりますね』
「そんな意地悪なこと言う。だったら何を言ってもそれで済んじゃうじゃない」
『いいですか、アイラ。私はどちらが正しいかと決定するつもりはありません。あくまで危険性を無くしたいだけなのです。それについて、アイラの協力は必要不可欠なのです』
「ただの、いつも通りの流行り病だったら、それはそれで良いってこと?」
『そうです。私もそうであるよう願っていますが、残念ながら私のデータではそうはいかないのです。だから、結果はどうあれ、念には念を入れておきたい』
「万が一って事なら分かるけどさ……」
 大それている。けれどその割に、妙に具体的なのが引っ掛かる。嘘をついているようには思えないけれど、それは単にライブの淡泊な口調がそう聞こえているだけかもしれない。もしくは、誰かに騙されているだけなのだろう。一体ライブは、どこの誰からこんな突拍子もない事を聞いたのだろうか。ライブは喋り方が理屈っぽいから人の言う事などあまり信用しないように思えるけれど、案外そうではないのかもしれない。