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 北の峡谷への入口は二つある。この道は街道を使う以外の唯一町へ続く道で、今の街道が出来る前に使われていた。ほとんどが切り立った崖に面しているため、街道が出来た今はほとんど使われる事は無い。私はこの道を、帰り道に山賊を避ける時だけ使っていた。家までとても遠回りになるけれど、使う人がいない分、山賊も出ては来ないからだ。
 私は少し考えて、次の状況に対応出来るように町側の入口から峡谷へ入った。近道を通って来たから、まだ太陽も中心までは昇っていない。まだ午前中は特に涼しい季節だというのに、やたら額からは汗が吹き出て来た。ライブの船が攻撃されているのだから、少しでも早く辿り着こうと気持ちが焦っているせいだろう。けれど、私に抱えられているライブはいつもと変わらぬ様子で、それが私には何とも暢気に見えてならなかった。焦っても仕方が無いという状況に置かれたら、普通の人間はそれでも焦ってしまう。そこで不要なら焦らない、と出来てしまうのがライブだ。こういう時の割り切り方はとても尋常ではないと思う。
 ようやく峡谷の封鎖地点までやって来ると、そこは以前にも増して物々しい雰囲気だった。憲兵さんの数が倍以上に、その上何か問題でもあるのか、騎馬隊の人が先の方からそこまで何度も往復しているらしかった。やはり今もライブの船が攻撃されている。そう私は確信する。
「あっ! こら、こんな所に来て何をやってるんだ! 此処は領主様の命令で封鎖中と触れが出ているはずだろ!」
 私を見つけるなり怒鳴る憲兵さん。ぴりぴりしていて口調にも余裕が感じられ無い。
「あの、その、ごめんなさい。でも、どうしてもこの先に行かないといけなくて」
「駄目駄目、そんなの許可出来ないよ。ただでさえ今日は向こうで危ない作業しているんだから」
 そう憲兵さんが威圧的に踏み寄った直後、峡谷の先ほ方で、どおんという耳が痛くなるような大きな音が聞こえて来た。
「聞いたか? 巻き込まれたら大怪我じゃ済まないんだぞ。さあ、悪い事は言わないから早く帰るんだ」
 食い下がろうとする私の背を憲兵さんは無理矢理押して引き返させようとする。何とか抵抗をしてみようとするものの、所詮子供の力では大人にかなうはずもなく、ずるずると押し戻されて行く。
『黒色火薬の圧縮爆弾ですか。もう実用化されているとは意外ですね。あと一、二世紀は発明までかかると思っていたのですが』
 ふとライブが私の状況などお構いなしに、そんな事を呟いた。
「ん? 今、何か言ったか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
「確かに聞いたんだがな。誰か別にここいらに隠れているのか?」
「誰もいませんよ、誰も」
「大体にして何を抱えてるんだ。金庫か? 子供が良く持ち上げられるものだが」
 良く考えて見れば、ライブはその船の持ち主なのだから、それを攻撃している人に引き合わせるのはかなりの混乱を生むような行為だ。そもそもライブの姿格好自体が、あまり一般に受け入れられるようなものではないのだから。
 これ以上憲兵さんに詮索される前にと、私は慌てて一礼しその場から走り去った。しばらく山道を駆け登って行ったが、後ろを振り返っても憲兵さんの追い掛けてくる姿は無かった。やはり、子供一人にかまけていられるほど暇ではないのだろう。
 周囲が静まり人の目が無くなると、私は足を止めて一度深呼吸した。まださほど疲れては無くすぐに歩き出せるのだけれど、これからどうしていいのか分からず、不安でライブをきつく抱きしめたまま立ち尽くした。
『正面から行くのは難しいようですね』
「前より厳しいみたい。だから、こっそり入り込むのは無理だと思う」
『それに、通信モジュールはまだ正常に機能していませんからね。仮に封鎖を突破して辿り着いた所で、攻撃を止めさせる事も船を動かす事も出来ません。我々が現段階で赴いた所で無駄足なのです』
 さっき言いかけてたのはそれの事だったのか。攻撃されているのならすぐに止めなくてはと慌てて駆け付けたけれど、結局何も出来る事は無いようである。しかし、このまま黙ってじっとライブの修理が終わるのを待つしかないのだろうか。どうにかして、ライブの船は流行り病とは無関係で、むしろ治す力がある事を分かって貰えないか。どうにかして、みんなに信じて貰えないか。
『状況は想定よりも悪いですね。あれだけの火力があれば、私の母船を谷底へ落とす事も可能でしょう』
「もしも落ちたらどうなるの?」
『落ち方にもよりますが、万が一にも中破以上の破損は有り得ません。ただ問題なのは、衝撃により自閉モードへ移行した場合、再起動には人の手によるチェックが必要になる事です。落下地点があまりに深ければ人力では非常に困難になります』
「じゃあ、もしかすると流行り病を治せなくなっちゃうかもしれないの?」
『そういう事です』
 だったら、あんなにあっさり退かないで、もっと食い下がって事情を説明すれば良かったのではないだろうか。けれど、仮にそうした所で結局みんなを納得させられなければ、ライブの言う通りになって終わりだ。
 今、とても厳しい窮地に立たされている。町が存続出来ないほどの勢いで人が死ぬ流行り病、それを治す唯一の手段が無くされようとしているのだ。しかも防ぐような良い手段が何も無い。
 このままでは、確実にみんな病気で死んでしまう。何か出来ないのだろうか。私では何も良い方法が思い付かない。
 立ち尽くしたまま困り果てていると、おもむろにライブが話し掛けて来た。
『アイラ、領主の所へ向かいましょう』
「えっ、領主様の?」
『そうです。もはや正攻法しか手段は残っていないでしょう。領主と直接面会し、一旦止めて貰うように説得するのです。領主の住居は知っていますか?』
「町のすぐ近くだし、大きなお屋敷だから分かるけど……でも無理だよ。私なんかがいきなり行ったって、追い返されるに決まってるもの」
『私を示せば多少の説得のしようがあるでしょう。張ったりでも駆使すれば不可能では無いはずです。憲兵の封鎖を突破し作業員を力ずくでねじふせるよりはずっと現実的です』
「そうかもしれないけれど……」
 私にとって領主様は、直接顔を見る事もかなわないような、全く別世界の人である。領主様が公の前に姿を表すだけでも一つの事件なのだ。生まれの違いとか家柄の違いとか、自分との差を並べていったらきりがない。そんな所へいきなり訪問してもどうなるかは簡単に想像が出来る。領主と一平民では天地の差があるのだから。けれど、
「もし領主様と面会が出来たとしても、ライブは説得出来るの?」
『分かりません。ですが、他に選択肢はありません。誠意を尽くせば分かってくれると願うだけです。越権行為ではありますが、緊急措置として自分の素性も全て打ち明けるつもりです』
「ライブが違う星から来たっていう事?」
『それに限った事だけではありません。何もかもです。アイラにも隠していた事も、全て』
「それって……」
 前にライブが私へ突き放すように放った言葉。アイラは私の素性を知るべきではありません。それが頭を過ぎった。ライブはこの流行り病を治すためにここへ来たのではなく、これはそのついでなのである。しかし、本当の目的は以来訊いていない。
「ライブがここに来た本当の目的の事?」
『それもあります』
「それも?」
『そうです。重要なのは、そもそものきっかけです。それこそが一番の説得力を持たせると私は考えています』
 ライブの素性は、私の知っている事以上に説得力がある?
 未だライブの意図する事が私には分からなかった。何でも正直に話せば相手も分かってくれる、という当たり前の話のように聞こえるけれど、ライブの口調はそれだけではないように思う。ライブの根拠は一体何なのか、私の不安は膨れ上がる。
『アイラ。今の経緯を踏まえた上でお話します』
「何を?」
『私の素性です。そして、領主との面会に備えて下さい。権力者との面会なら、それなりの気構えが必要でしょうから』
「ちょっと待って。それってライブが前に、私は知らない方が良いって言ってた事じゃ……」
『そうです。けれど、アイラには私の行動を証言して貰わなければなりません。ですから、私達の間に隠し事があってはならないのです』