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「おい、そっちもっと幅寄せろ! 足んねえぞ!」
「廃材まだか! もう無くなっちまうぞ!」
 町の市場の近くの大通りと東西を結ぶ大通り、その二本が交差する広場は何時に無く喧騒で溢れ返っていた。あんなに閑散としていた町のどこにこれだけの人が居たのだろうか。流行り病が始まる前よりも行き交う人が多いのではないかとさえ思う。
 皆は領主様達の指示により、それぞれの作業に一生懸命打ち込んでいる。流行り病を治すための薬を大量に合成するというお触れに、これだけの人が集まって参加したのだ。悪い噂ばかり聞いていたけれど、領主様はまだこれぐらいの人望があるのだと思う。
 広場の中心には、赤レンガが囲むように私の背丈程も積み上げられて並んでいた。その間に渡り橋が通され、上から覗き込むための見晴台もすぐ脇で作られている。中は石がびっしりと敷き詰められ、大きな釜状になっているらしい。そこへユグが作った白い彫刻を砕いて放り込み、廃材を燃やして焼いているそうだ。そうやって作られる物が、薬の合成に必要になるとライブは言っているのだけれど、石か砂かそんなもので薬が出来るのだろうかと知識の無い私には疑問符が浮かぶ。
「おおい、石炭来たぞ!」
「よし、そこに並べろ。こら、ぼやぼやするな! ちゃんと仕切り通りに整理しろ!」
 一際大きな声で歩き回りながら場を仕切っているのは、皆よりも年上で白髪の老人だった。それはあのボドワンの弟だそうで、仕事柄のせいかボドワンよりも更に一回り体格が大きく見える。厳めしい顔はそっくりだ。
 広場の方は大人の人達と荷馬車が沢山行き交っているため、子供の私には居場所も無いし、何よりちょっとでも他所見をすれば弾き飛ばされそうで危険である。私はまだ喧騒の穏やかな市場の方へ移動した。
 市場も正面口から荷馬車が盛んに行き来していて、次々と荷物が運び込まれていた。それらは全て、何かしらの薬か調合前の薬草である。よく山を歩く私でも見覚えの無い草が沢山あって、如何にも何か効能のありそうだと思った。これらを組み合わせる事で流行り病を治す薬が出来るそうだけど、きっとその理屈については聞いても私では分からないだろう。
 中へ入ると、普段は事務員が数名いるだけの事務所に、領主様と、多分薬師と思われる人達が集まっていた。その中心にはライブがいて、あの青い光で写す動く絵を見せながら薬について話し合っているようだった。広場に用意してある大きな釜と、白や黒の石の破片の他、まだ集まっていない金属の話などが挙がっている。それと調合した薬草を結合させるという話だけれど、誰もいまひとつ理解出来ていない様子だった。でも、理解出来なくとも何とか付いていこうという雰囲気でもある。
 ここも子供は入り込み難い感じである。私は市場を後にする。
 その直後、
「ちょっと、あんた! 暇ならこっち手伝って!」
 突然見知らぬ中年の女性に呼び止められる。彼女は両手両脇に色々な野菜を抱えていた。
「食事の準備で人手が足りないのよ。女の子なら少しぐらい出来るでしょ?」
「は、はい。大丈夫です」
「じゃあこっち来て。まったく、荷台は薬やら何やら運ぶためだからって貸してくれないし。食べ物は誰も見向きもしないんだから。食べなきゃ力なんて出ないのにね、もう」
「そ、そうですよね」
 初対面でいきなり大きな声で愚痴をこぼされ、私は野菜を受け取りながら取り合えず論調を合わせた。悪そうな人ではないけれど、思った事がそのまま口に出る性格のようである。
 作業に従事している人達の食事を用意する、腕力も薬の知識も無い私に出来そうな仕事である。色々不安や疑問もあるけれど、私もみんなと同じように自分の仕事を頑張ろう。今はそれしかない。野菜を運びながらそう思った。
 それから食事の準備や休憩場所の確保などに奔走している内に、あっという間に日が沈んでしまった。夜はいつも真っ暗なものだけれど、広場と市場は沢山の明かりが点されて昼間のように明るかった。薬を作るためにやらなければいけない作業は多く、休みながらでも夜を徹してやらなければとても間に合わないほどなのだと言う。また、流行り病のせいで予想以上に人手が減っている事と今年は薬草農家の不作で、まだまだ油断の出来ない状況である。
 私は市場近くの食堂で火の番をしながら合間に休んでいた。夜中でも作業をしている人が休憩に来るし食事もしていくから、席には必ず誰かしらが居る。みんな疲れてはいるが悲壮感が無いので、私も疲れているし眠かったけれど、まだまだ頑張れる気になっていた。
 自分の仕事というものを改めて振り返ってみる。お父さんが生きていた頃は、家の掃除や朝食の準備は私の役割だった。けれど、以後の家族との接点は時折言い渡される買い物だけである。だから、自分が誰かのために何をしているかがはっきりしているのはとても心地良かった。その実感だけでも幸せだと思う。
 空が少しずつ白み始めて来た頃、私は食堂の隅の席で頬杖をつきながらうとうととしていた。真夜中はまだ平気だったのだけれど、朝方が近づくに連れて眠気が強くなってきたせいだ。一睡もしないで朝を迎えるのは生まれて始めての事だが、想像以上に眠気と戦うのは辛い。
「起きろ。風邪を引くぞ」
 どこまで起きているのか分からなくなっていた頃、突然肩にぽんと重い手を置かれた。慌てて私は飛び起きて、後ろを振り返る。そこにいたのは、領主様とボドワン、それからライブだった。
「疲れているようだが、大丈夫か?」
「いえ、大丈夫です。少し眠りましたから」
「そうか。では、何でもいいから食べる物を持って来てくれ」
 私はすぐに厨房へ向かい、残っているシチューを温めた。厨房の隅や床では、昨夜から一緒に食事の準備をしていた人達が疲れ果てて寝転がっている。それをうっかり踏ん付けないように注意しながら、温めたシチューとパン、それから一つ残っていた林檎を持って行った。
 領主様もボドワンもずっと食事をしていなかったらしく、行儀もまるで無い勢いで食事を始めた。男の大人の人は私からすれば疲れ知らずに見えるほど体力があるのだけれど、流石に今回は体力を使い果たしているようである。
「ふう、ようやく一心地付いた感じだな。ボドワン、今の状況はどうなっていた?」
「釜の方はほぼ出来ています。後は夜明けまで焼き続ければ完成でしょう。ライブ殿には後で一度確認して貰いますか」
「薬草の方はどうなっている?」
『こちらの想定よりも材料が少量で済みそうです。今のところオンスケジュールですが、やはり作業者の疲労の度合いが大きいようです。作業ミスの危険性を考えれば、多少は後ろ倒しにしても確実性を重視すべきでしょう』
「作業が止まってしまわないだけでも、順調には違いないか」
 やはりみんなの頑張りが結果として返って来ているのだろう。神様はちゃんと見ていて下さる、と思ったけれど、それを口にするとライブが否定するだろうから、私は口には出さなかった。
『アイラ、あなたも疲労の度合いが大きいようです。多少睡眠を取るべきです』
「まだ大丈夫だよ。それに、みんな頑張ってる時に寝てられないもん」
『ですが、体力配分は考えておいて下さい。無力化剤の合成後も、各世帯の配布や汚染地域への散布で人手が必要になりますから。余剰な人員はありません』
「うん、分かった。気をつける」
 薬が出来ても、それで終わりという訳ではない。今度は薬を配って回る事が必要になる。動ける人の数は限られているのだから、その後の事も今から考えておかないといけないだろう。
「そう、アイラと言ったな」
 不意に、私の名前をそうと確認するように領主様が問い返した。
 考えてみれば、昨日初めて領主様と謁見した時は、もっとずっと離れた所に座っていた。それが今は、食堂の木のテーブル一つである。今更気が付いたこの距離間に思わず慌てる。
「歳は幾つだ?」
「十歳になります」
「なんと、まだ子供だな。それがこうも大人に負けぬよう働くのか。頼もしいと言うべきか、不憫と言うべきか」
 そう領主様は私の事で非常に複雑な表情をされる。私は何だか申し訳無い気持ちになった。
「家族はいないと言っていたが、今までずっと一人で暮らしていたのか?」
「いえ、その……継母と義理の姉がいました。でも父が亡くなってからずっと折り合いが悪くて、それでこの間私を置いて出て行ってしまいました。それきりです」
「そうだったのか。なら、本来は流行り病どころではないのだな。義理とは言え、さぞ恨んでおるだろう?」
「最初はそうだったかも知れません。でも、ライブと流行り病の事で頭が一杯でいつの間にか忘れていました」
「自分の事より、周囲の方が大事か。大したものだ、本当に」
 領主様は苦笑いを浮かべながら、私の剥いた林檎を一つかじった。その言い方はまるで、ユグの言いなりになっていた以前の自分自身を皮肉っているようにも見えた。多分、今となっては後悔ばかり残ったのだろう。
「実は、私の妻が臨月でな。もう間もなく子が生まれるのだ」
「え、そうなのですか? それはおめでとうございます」
「うむ。だから私は、そういう親にはならぬよう気をつけねばならんな。何より大事なのは責任感と行動力と決断力と……ああ、考えれば考えるほどきりが無くなるがな」
 そう悩む領主様は、期待と不安が入り交じった複雑な表情をしていた。けれど、今からこうしてあれこれ悩んでいるのだから、きっと良い父親になれるだろうと私は思った。私のお父さんも、こんな風に心配性の気があったからだ。
「それでアイラ、お前はこの後はどうするつもりだ? 頼れる親戚や知人などはおらぬのか? 子供一人で生きるのは大変であろう」
「考えていませんでした。取り合えず、家の整理でもしようかと思っている所です」
「なら、私の屋敷へ下働きに来ぬか? この流行り病のせいで、使用人が大勢暇を取り人手が足りなくて困っておるのだ。ただでさえ子が生まれて人手がかかりそうだと言うのに」
「わ、私がですか?」
「うむ。まあ考えておいてくれ給え」
 即断の出来ない私は、取り合えず曖昧な返事を返した。
 領主様の御屋敷で働くなんて、今まで考えてもみなかった事だ。私はもう自分で食べていくしかないのだから、そういう事を考えておかなければいけないのかもしれない。こういう少ない機会は大事にするべきなのだろう。ただ、あの家を空けてしまう事には幾らから戸惑いが残る。
 でも、今大事なのは、この流行り病の問題をちゃんと解決する事だ。結論を出すのはそれからにしようと思う。