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 宿から一歩足を踏み出すと、何とも幻想的な風景が広がった。夏のまだ薄暗い空の下、町のいたる所で行灯の柔らかい明かりが灯っている。行灯の光源は電球なのだけれど、和紙を通しているためか、自分が普段浴びているものとは全く異なった雰囲気を醸している。
 どの順番に歩いて回るか決めていた事も忘れ、俺は行灯の明かりに誘われるがまま町中へ繰り出した。随所に置かれている行灯は、昼間見た時とはがらりと印象が変わり、不思議な奥ゆかしさを感じさせる。それが伝統的な日本画ならまだしも、明らかに小学生が描いたと思われる人気キャラクターのそれですら、歴史の奥深さや伝統の格調を感じさせる。単なる、和紙と水彩絵の具と電球の組み合わせで、これほどの文化性を表現出来るものなのかと、ただただ驚くばかりだった。俺は見た物を事細かに録音マイクに喋って記録していくのだけれど、風景に見とれてうっかり言葉を忘れてしまう事も間々にあった。
 町の通りは昼間とは打って変わって大勢の人通りで賑わっていた。昼間の間は一体どこにこれだけの人が居たのだろうかと驚きつつ、おそらく奥之多町以外からも人は集まっているのだろうと考える。これだけ見応えのあるものならば、近隣は元より、多少遠くとも足を延ばす価値はある。合わせて、そんな空間を練り歩く人々が皆、一様に能面で顔を隠している光景も実に特異である。見る人にとっては異様としか思えないし自分も最初はそう思っていたけれど、今こうして組み合わせてみると、この非日常さが如何にも伝統的な祭を演出しているのだと思えるようになった。
 開会式会場は、宿からほど近い町中の一画にあった。そこは昼間の散策でも通った、どこかの駐車場らしきアスファルトで舗装された広場だった。広場には既に埋め尽くすほどの人が集まっていた。背格好からして、老若男女多彩な年代層が集まっているように思える。能面のせいで良くは分からないけれど、少なくとも祭りの先行きを不安にさせるような偏りは無いと断言出来る。
 奥に仮設された壇上では、司会者役らしきひょっとこ面の男がマイクで場繋ぎらしい漫談をしている。素人芸ではあるものの、テンポの良さが笑いを誘うものだった。けれど、どうにも地元の者にしか分からない話題が多く、俺は笑うタイミングが掴めなかった。どうせこの場に居る皆は能面を付けて表情など分からないのだから、俺は何となく笑っているようなそうでないような素振りを装った。
 もう少し壇上のやり取りが見易い場所を探して移動していると、やがて会場の空気が変わり拍手が沸き起こった。壇上を見ると、司会者のひょっとこが初老の男を招いていた。初老の男は町長だと紹介されたが、何故かよりによって初老の男は鬼の面を付けていた。どうしてそんな厳つい面をつけているのかと思っていたが、壇上で挨拶をする声は好々爺よろしく優しげなものだった。鬼の面は何か地元では通じる由来でもあるのか、はたまた素顔が鬼の面と大差ない強面なのか。
 さほど長くもない町長の挨拶が終わると、会場に集まった人々がぞろぞろとあちこちへ流れていく。どうやら開会式はこれだけで終わりという事らしい。
 皆はどうするのかとしばらく眺めていると、別段どうという訳でもなく、場内の売店で食事や遊興を始めたり、通りへ出て行灯を見回りに行ったりと、さほど特別な事をする様子は見られなかった。大原氏も言っていたが、この祭りはお盆で帰って来た故人が生前のように楽しむためのものだから、特別何か変わったことをする必要は無くてただ面をつけて楽しむだけで良いのだろう。神様を祀り敬う事が大半の祭りの主旨だけれど、この町での祭りは死者を弔う意味合いが強い。神道よりも仏教に近いのか、土着信仰の一種かだ。
 壇上では子供向けのじゃんけん大会の説明が始まっている。司会のひょっとこの下付近には子供達が数十名ほど群がり、しきりに何か食いついている。どうやら大会の賞品には話題のゲーム機が出ているらしく、その真偽とどうすれば手に入るのかの確認に躍起になっているようだった。
 ひとまず、この会場の役割は大方終えてしまったようである。次は最終日の閉会式だろうか。それまではこのように、イベントや屋台などのために使われるのだろう。それも無ければ、子供達の溜まり場になるかも知れない。
 この後はどうしたものかとしばし思案していると、屋台から焦げたタレの香りが漂ってきている事に気が付いた。会場の端で軒を連ねる屋台の一画からである。屋台の焼き鳥の匂いにも惹かれる物がある。あれをビールで流し込んだら最高にうまいだろう。しかし、今は取材で来ているのだからと自分を固く戒めて我慢する。
 取り敢えず町中の様子を見て回る事にしよう。行灯もそうだけれど、それ以外の町民がどう過ごしているのかが知りたい。俺は町中へ繰り出す事にした。