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 この町の祭りは非常に奇妙な形態を取っている。祭りと銘を打っておきながら神が主役という訳でなく、特別な事もせずにただ決められた期間を楽しく過ごす事を目的としている。初日の今日感じた事の集約がそれである。この町の人は、祭りの間だけ死者が生きているかのように振る舞う。故人を偲ぶ訳でもなく、祖先を尊ぶ訳でもない。まるで自分達と同じ生活圏に住んでいる事になっているのだ。祭りとして成立しているのか、そもそもこれは祭りのつもりで始めたのか。この奇妙さを取り上げていくと疑問は切りがない。ともかく今夜は、明日予定している資料漁りの基になる材料を少しでも多く集めておきたい所だ。
 夜の町内は、昼間に散策した時とは印象ががらりと一変している。想像以上に深い夜の暗さと、それを照らす数えきれないほどの行灯が作り出す光景は、わざわざ東京から丸一日かけてでも見る価値があるものだ。昼間の過疎地然とした風景からは想像もつかない衝撃だ。そして、能面を被り過ごす町の人々も忘れてはならないだろう。
 俺はそんな記事の文面を考えながら、祭りの真っ最中である町中をひたすら右へ左へと無作為に散策した。祭りという割に、人手こそ多いものの沸き上がるような独特の熱気は感じられない。行き交う人は俺と同じ様に、行灯を見てはただ町中練り歩くだけ。後は町中で明かりを囲んで談笑に耽ったり酒を酌み交わしたりと、能面以外は普段と何ら変わらないのではないのかとすら思えてくる。何処かに普通に連想するような、熱気に満ちたこれぞ祭りらしいという要素がないかと思って探してはみたけれど、やはりこういった日常に限り無く近い形態がこの町にとっての祭りであると再認するだけに終わった。出来る限り広く歩き回ったつもりだけれど、凡庸なものは何一つ見つからなかった。もっとも、だからこそ奥之多町の祭りが奇祭と呼ばれているのかもしれない。
 ふと腕の時計を見ると、いつの間にか八時を大きく回っていた。今夜はこれ以上何も得られそうにないから、そろそろ宿へ戻る事にしよう。そう思った時だった。踵を返し辺りを見回すと、そこはまるで見覚えのない場所だった。単に土地勘が無いだけだ、と思うものの、辺りからはあれだけ町中にあったはずの行灯の姿が無くなり、それどころか建物すらもまばらになっている。正直な所、俄には認めたくなかった。しかし、明かりのある建物や人の行き交いまでが途絶えてしまっていると、否が応にもそれを認めざる得ない。どうやら俺は、道に迷ってしまったらしい。
 さて、どうしたら良いものだろうか。これが東京であれば、どこかしら駅やバス停、タクシーが見つかるから、全く知らない土地でも何とかなる。けれど、この町にはそういった便利な交通網は無い。極離れた所に、日に数本のローカル線が通っているのみである。
 こんな所で一人途方暮れていても何も始まらない。とにかく町中へ近づくため、遠くに僅かに見える行灯の明かりを頼りに歩く事にした。明かりの方へ向かって行けば、その内見知った場所に出られるはずである。後は人伝になんとか宿には辿り着けるだろう。そんな目論見があっての決定である。しかし、実際はそう簡単に運ばなかった。何とかなるだろうと気軽に考えて夜道を歩き始めたものの、幾ら歩いても細い道路に分岐していくばかりで一向に見覚えのある場所に出ないのである。それでも行灯はちらほらと道端で見かけるようになったので、少しは町の中心に近づいているのだろうが、未だ人通りも無く明かりのついた民家も無い。これは自分が田舎を舐めてかかっていたとしか言えないだろう。まさか自分が、同じ日本でこれほど容易に迷ってしまうとは、夢にも思わなかった。何故過疎地ほど車が重要になってくるのか、身を持って実感させられた気分だ。
 これはいよいよまずい事になったか。そう判断した俺は、おもむろにポケットをまさぐり携帯を取り出した。宿へ電話をし大原氏に事情を説明すれば、何とか電話越しに誘導して貰えるだろう。大の大人が少々情けないが、このまま一晩中見知らぬ道を歩き続けるのは避けたい。
 携帯を開き、バックライトが思わぬほどの強い光を放ってきて、一旦たじろぐ。目が、このあまりに深い宵闇に慣れ過ぎてしまったようである。眩みが治るまで目をこすりながら歩き、やがて視界が戻って来ると、丁度T字路に差し掛かっていた。信号は青を灯しているが、辺りに車の気配は無い。信号が変わるまで待つこともないのだが、先に電話をしておこうと改めて宿の番号を携帯に打ち込もうとした時だった。
「あの」
 周囲は完全に暗闇で、人の気配は全く無かったはず。にも関わらず、俺は唐突に背後から声をかけられた。
 驚きで両肩がびくりと跳ね上がり、出掛かった声を危うい所で飲み込む。しかし頭は混乱しているせいか、すぐに後ろを振り返り、その方向に向かって携帯のバックライトをかざすという行動を無意識に取った。
「うわっ!?」
 そこで、更に想定外のものを見て、俺は更に驚愕した。今度は声を飲み込む事が出来ず、それを目にした直後にはもう悲鳴とも取れそうな声を上げてしまっていた。
 振り返った先で目にした物。それは、とても人間とは思えぬ不気味な顔をした青白い女が、こちらを恨めし気に見つめながら直立する姿だった。
「すみません、驚かせるつもりは無かったのですが」
 女は俺が声を上げた事に申し訳無く思ったらしく、静かな声でそう謝罪する。そこでようやく俺は、その女の顔は幽霊や妖怪の類ではなくて、この町に来て散々見慣れていたはずの能面の一つである事に気が付いた。
「あ、ああ、いや。こちらこそ大声を出してしまって。ちょっと驚いたものですから。こんな所に人がいるとは思わなくて」
「一応、ここは民家も多い所ですよ。祭りの期間だけは、外へ明かりを漏らさないようにしているだけで」
「あ、そうなんですか。いや、なるほど。道理で」
 人気が無いと言った自分に対してまるで反論するかのような彼女の言葉に、情けない声を出した直後という事もあって萎縮してしまった。彼女は憮然としたまま俺の方を見ている、ように見える。不気味な能面で顔を隠しているせいか、本人は自然体で構えているだけかも知れないけれど、普段よりも強くこちらの主観で見てしまう。
「ここはあまり見るような物はありませんよ」
「いや、ちょっと道に迷ったんですよ」
「もしかして、酔っているのですか?」
「そうかもしれません。まだ、東京にいるような感覚で散策してましたし」
 そう頭を掻きながら照れ笑い。しかし、彼女は微動だにせず俺を眺めるだけだった。彼女は別段何とも思っていないとは思うのだけれど、どうにもその素っ気無さと能面のおかげで、不審な者を見ているような視線を向けられている気がしてならない。能面を付ける事はこちらの素性も知られなくて好都合だとぐらいしか思っていなかったから、このような相手の心境の読めなさには困惑するばかりである。
「宜しければ町中まで案内しますが。私の方は用事が終わりましたから」
「あっ、それは大変助かります。よろしくお願いします」
「では、こちらです」
 彼女はやはり素っ気ない態度で俺を促すと先を歩き始めた。その後ろを遅れずに付いていく。地元の人にただ道案内を頼んだだけなのだけれど、何となくこの構図は情けないものだなと思えてならなかった。