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 その晩も前日と同じくらいの時間に宿から出発した。
 町の通りは昨夜と同様に沢山の行灯が灯り、あらゆる照明を消して薄暗いはずの町中を何とも情緒的に照らし出している。そこを様々な面を付けた人々が行き交う、本当にそれだけとしか言い様のない、何度見ても不思議で奇妙な祭りである。東京は夜でも光に溢れているが、それは足元までくっきり照らす眩しいものだ。それに比べて行灯の光は、眩しすぎず暗すぎない、夏場だというのに温かみすら感じるほど心地よい。日本人の心情に訴えかける文化だからなのだろうと思う。
 ぶらぶらと通りを歩いていると、とある民家の軒先で盤を囲む二人組の姿が目に入った。枝豆とビールを口にしながら、じっと盤面の石を互いに睨み合っている。長年打ち合った碁敵のようであるが、死人祭りの由来から考えると、打っている相手が既に故人であるかもしれない。そんな想像すると、単なるありふれた対局では無いように見えてくる。生死を越えた延長戦を毎年御盆の時期にやっているとか、死んだ後もこうして対局する約束をしているとか。考えれば考えるほど、面白い構図として見えてくる。だけど、そのネタはレコーダに吹き込んだだけで、それ以上はどうにも入り込めなかった。取材のつもりなら、ここでさりげなく加わって話を聞いてみるべきなのだ。その意欲が湧かないのは、記事に仕上げる気力がないせいではない。自分が取材と称する行為が、まるで二人の時間を汚すような懸念が生じたからだ。
 特に目的もなく出てきたせいか、ろくに取材らしい取材にもならず、そもそも珍しい物を見ても気分が向かないため、気が付けばただただ無為にふらついてばかりになった。そこで俺は気持ちを切り替えて、今夜はただ祭りに参加して楽しむだけ楽しむ事にした。そういう中でこそ見えてくる一面もある、と言えば聞こえが良いが、単なる手詰まりの言い訳に他ならない。もっとも、例え取材に行き詰って原稿が仕上がらなくとも困る人間はいない。ただ俺が、目標を達成出来なかった罪悪感を抱くだけである。
 取り敢えず宛の無い俺は、開会式を行った駐車場の広場へ足を運んでみる事にした。広場は昨夜と同様に沢山の人々と屋台で賑わっていた。広場奥のステージ上では、テーブルを置いて体格の良い男が二人、腕相撲をしている。力自慢大会か何かのイベントなのだろう。彼らも能面を付けて顔を隠しているが、その傍らにはピンクのうさぎの着ぐるみを来た人が道化をしていて、こちらは流石に面は付けていなかった。顔を隠すという役目だけを考えれば着ぐるみでも良いのだろうが、まさかあの下で面など付けていたりはしないだろうか。そんな想像をしていると、まさにそれと同じ事を話す親子連れが側を通り掛かり、やはりみんな同じ事を考えるのだと思った。
 デスクワークの多い自分には、いささか腕相撲というイベントはハードルが高い。もう少し低ければ参加する気にもなれただろうが、今日の所は見物客に徹する事にする。俺は昨日は寄らなかった出店を一軒ずつ回ってみる事にした。
 店は食べ物が中心で、ラインナップも屋台と言えば誰もが連想するもので無難に構成されている。その中でも、やたらと小学生くらいの子供がひしめいている一画があり、そこでは一回百円のクジ引きが行われていた。子供達が熱狂しているのは、どうやら商品に人気のゲーム機があるからのようである。この辺りは如何にも現代っ子らしいと思ったが、相当注ぎ込んでも掠りもしないらしく大分剣呑な空気になっている。お祭りのクジ引きなど初めから当たるものではない余興みたいなものだが、どうやら店と子供とで思惑に温度差が随分あったようである。
 少し小腹が空いた俺は、屋台で何か軽く食べることにした。昼間御馳走になった食事は油物の無い田舎料理だっただけに、正反対の油が詰まったこってりした物が食べたい気分になっている。取り敢えずはフランクフルトと、マヨネーズをたっぷりかけた焼きそば辺りだろうか。その隣では氷水を張った大きなタライに缶ビールが沈んでおり、組み合わせとしては最高だろう。いっそ、食べ物の記事でも書いておこうか。そんな事を冗談半分に考える。
 まだ宵の口のためか、どの屋台も列に並び始めたばかりで大分長くなっている。とは言っても、特に急いでいる訳でもない俺は、ステージ上の腕相撲大会を眺めながらのんびり順番を待つ事にした。
 ソースの焦げる香りが香ばしい。鉄板から油が跳ねる音には思わず聞き入ってしまう。自分でも意外なほど腹が空いていたのだろうか、列に並んでいる間はステージの上の勝敗よりもそんな列の先の事の方が気になってならなかった。いい大人があまり物欲しそうな顔をするのもどうかと思ったが、今は能面を付けているため表には分からない。他人に分かられなければ案外羞恥心というものは薄くなるものである。
 後五分も待てば自分の番になるだろうか。しきりに列の先とステージとの間で視線を行ったり来たりさせていた時だった。
 何気なく動かした視界の隅、そこには広場の出入口で見覚えのある人物が通り掛かっているのが映った。白地に赤い花模様をあしらった浴衣を着た若い女性であるが、何よりも特徴的なのは顔に付けている不気味な面だ。そう、確か彼女はその面を痩女と言っていた。おどろおどろしいその面だけで、彼女と断定するには充分である。
 彼女はこちらに気付かず、そのまま広場の前を通り過ぎて行った。追い掛ければまだ間に合う。すぐさま俺は列を離れて彼女の後を追った。広場を出た通りのすぐ先に彼女の後ろ姿があった。俺は駆け寄りながら声を掛ける。
「あの、ちょっと、すみません」
「何か」
 既にこちらの気配に気付いていたのだろうか、足を止めて振り返った彼女は初めから突き放すような口調で返答する。
「昨夜はありがとうございました。と言って、自分のこと分かりますか?」
「中尉の方ですか。分かりますよ」
「あまり付けない面でしたよね。お互い」
 そう面の内側で照れ笑いしてみるが彼女の態度は固いままで、同じく面を付けている彼女の表情が実に冷たいもののように感じた。印象の悪い相手に呼び止められて不快なのだろうか。だから止めておこうと思ってはいたはずなのだけれど、俺はつい物の弾みでその言語を口にしてしまった。
「昨夜のお礼と言っては何ですけど、食事などどうです?」
「構いませんが」
「え?」
「構いませんよ。ところで、この町のお店は御存知なのですか?」
 意外な返答に、つい訊き返してしまう。最初の態度がきつかっただけに、あっさりと承諾した事にいささか戸惑う。けれど、せっかくの承諾なのだからと話を進める事にする。
「ああ、そう言えばあまり詳しくなかったです」
「では私が決めても良いでしょうか。知り合いのお店ですけれど」
「ええ、それにしましょう」
 店は彼女が案内してくれる事になった。随分協力的だとまた戸惑いを覚える。前回はたまたま虫の居所が悪かっただけで、本来は俺に対してさほど印象が悪い訳ではないのだろうか。
 ともかく、ここで印象を悪くしないように気をつけなければならない。連れ立って歩きながらそう思った。
「ところで、お互いどう呼んだら良いでしょうね。祭りの期間中は正体を明かさない決まりだと聞いているんですけれど」
「でしたら、あなたは中尉さんで宜しいでしょう。私も痩女で結構ですよ」
「面の名前ですか。でも、女性を呼ぶには少々心苦しい呼び名なんですけれど」
「私は名前でも構いませんよ。やってはいけないのは、相手の正体を詮索し特定する事なので」
「はあ、なるほど……」
「ですから、私の事は沖田と呼んで下さい」