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 この奥之多町に国道バイパスが通っているのを知ったのは、町中でたまたま目にした古い案内図の看板を目にした時の事だった。大通りを終端まで進まず途中で細い道へ折れるとバイパスへ抜けると描かれていて、試しに歩いてみると実際その通りだった。広い二車線道路で、歩道も両側へ取られている。おそらくこの町で初めて見た、近代らしいものではないだろうか。
 バイパスは町中よりもずっと交通量が多く、度々トラック等の大型車が粉塵を上げて通っていた。バイパス沿いにも行灯は一定の間隔で置かれていて、奥之多町の特色はしっかりと現れていた。高い建物が無いため見通しが良いから、夜になると行灯の明かりが離着陸の誘導灯のように見える事だろう。
 そのバイパスをしばらく歩いていると、道路沿いに一軒の大きめな食堂を見つけた。おそらく、このバイパスを通る車を客にしているのだろう、東京では考えられないほど広い駐車場が隣接してあった。時間は昼を過ぎたばかりで丁度腹も減っている事もあって、昼食をここで取ることにした。入ってみた店内は見た目よりやや手狭だったが、広い座敷が奥にあって、一風変わった印象を受けた。座敷では足を伸ばしている客もおり、これは長距離を移動する人への配慮なのだろう。
 やたら野菜の多い野菜炒めを食べながら、ふとテーブル脇の壁に貼られていた奥之多町の観光案内が目に止まった。こんな田舎でも観るものはあるのかと思いながら道を追っていると、このバイパスが八幡神社の前を通っている事に気がついた。前に行った時は別の脇道だったようで、それでバイパスに気がつかなかったのだろう。
 食事を終え、食後のコーヒーを飲みながらしばらく思案に暮れてみた後、やはり午後はあの八幡神社を訪ねてみる事にした。蕎麦屋の彼には申し訳ないのだが、あの沖田を名乗る女性の正体をはっきりさせなければ胸のもやが取れず何ともならないのである。
 食堂を後にし歩道を一人歩きながら、今度は沖田と名乗る彼女について如何に切り出すかを思案した。
 死人祭りの期間中は、面で顔を隠している者については個人を特定するような詮索はしてはならない。法律で決まっている訳でもないがそれが祭りの伝統で、立場上大人しくしていなければならない俺にとってはそんな些細な揉め事の種も無視する訳にはいかない。となると、彼女について何者かを真っ向から訊く事は出来ず、また関係者と思われる人を訊ねる事も難しいだろう。予想では沖田家の親類の誰かで、その筋を洗っていけば自然と正体には辿り着くはずである。しかし、もしも大原氏が言う通りその正体が全くの赤の他人であれば特定は困難だろう。また、正体が親類であろうと他人であろうと、昨夜の別れ際の言動は疑問として残る。
 沖田と名乗る痩せ女面の正体は誰か、何故俺が左目を怪我している事を知っているのか、明確にするのはこの二点だ。それを達成するのに、記者の武器とも言える足を使っての地道な聞き込み調査は使うことが出来ない。そうなると、何気ない世間話を装って近づき、会話の中にかまをかけたりなどをして固めるしかないのだが、俺自身にそんな高度な話術は無い。そうでなくとも印象はあまり良くはないのだろうが。
 思案の答えも見つからないまま、やがて歩道沿いに小高い山と麓に立つ赤い鳥居が見えてきた。一度来ているためか、うっすらと景色には見覚えがある。以前は土地勘も無いまま偶然辿り着いたという感じだったから、どのように歩いて着いたかは良くは分からない。それよりも、今後は今日来たルートを辿れば早いだろう。
 どのような作戦にするかも決まっていなかったが、取り敢えず鳥居を潜り石段を登り始めた。登っている内に良い作戦を思いつくかも知れないが、下手に策を弄しても更に印象を悪くするだけかもしれないから、かえってこのまま素直に話をした方がいい、そう結論づけて思案を止めた。
 石段は綺麗に切り出したような歩きやすい石ではなく、山から拾ってきた手頃な大きさの石を軽く角を取っただけで積みあげたような、非常に登り難い物だった。若い俺でも登り辛さを感じるのだから、ここを参拝する老人はかなり苦労する事だろう。だが、ごみは一つも落ちてはおらず雑草も綺麗に刈られているから、手入れはちゃんと行き届いている。他に神社が近くになさそうだから、それなりに普段から手入れはしているのだろう。
 思っていたよりも数の少なかった石段を登り終えると、ようやく見覚えのある境内が見えてきた。本殿と続いているらしき拝殿と、小さな脇殿と社務所。そして、買った弁当を食べるのに使っていた木板のベンチもそのままである。
 確か神社の裏に住んでいると彼女は言っていたから、そこに回れば玄関も見えてくるだろう。けれど、不法侵入か何かと間違われないか、それがやや不安ではあった。参拝へ来るのに許可も通達も無いだろうが、今何より気をつけなければならないのは騒ぎを起こす事である。出来るだけ付け入られる隙は作りたくない。
 試しに本殿の方へ回ってみると、丁度拝殿と本殿を繋ぐ廊下の途中に住居らしい平屋が続きで建っていた。玄関も極一般的な物がそこにあり、どうにも神社と現代風の建物ではミスマッチだと思った。
 玄関には表札が掲げてあり、そこにははっきりと沖田の文字が記されている。他に同じ名字の世帯があるかどうかはさておき、件の沖田家の住居と思っても違いないだろう。
 訪問目的を考えたが、蕎麦屋でも咄嗟に口にしたのと同じ改めて礼を延べに来た事にし、呼び鈴のボタンを押す。すぐに玄関の扉越しに何かのメロディが流れて中に知らせたようだったが、それからしばらく待っても中から人の出て来る気配は無かった。もう一度鳴らしてみてもそれは変わらず、どうやら留守の所に訪ねて来たようだった。
 留守なら仕方ない。ここで待っている訳にも行かず、今日の所は出直す事にした。これからどうしようかと考えながら踵を返し、再び拝殿の方へ戻る。
「あっ」
 そこで、俺は目の前にした光景に思わず足を止めてしまった。
 石段を上がってすぐの所にある、参拝客の休憩用のベンチ。来た時は誰もいなかったのだが、そこにいつの間にか一人の女声が腰掛けてこちらを向いていた。そして彼女の面は、あの不気味な面、痩せ女だった。