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 奥之多町に来て四日目という事もあって、すっかり町中を歩くのも慣れてきた。あまり見通しの良くない夜の町でも、ある程度は自分が今どこを歩いているのか把握出来る。郊外の方へ出てしまうと本当に真っ暗になるのでまた勝手が違うが、少なくとも町中を歩く分にはもう道に迷う事はないだろう。
 様々な行灯に照らされた通りを、これと言って目的もなくぶらぶらと練り歩く。これまでと同じく、町の人々は別段特別な何かをするでもなく、ただ面で顔を隠しただけでそれぞれ過ごしている。時折、子供達のやたら元気なはしゃぎ声が聞こえたり、町中で夕涼みに興じていたりするのを見掛けるが、それ以外はむしろ平素と変わり無いと言っても良いくらいだ。確かに異質の祭りではあるが、過激で見た目のインパクトがある祭りは他に幾らでもある。この死人祭りをそれらと同じくらい印象付ける記事にするには、今一つ要素が足りないだろう。この独特の雰囲気は、写真や文章だけでは伝わり難いと思う。何か宣伝要素を考えなくてはいけないだろう。
 一頻り歩き回った後、開会式が行われた広場の様子を伺ってみた。昨日と同じく屋台がずらりと並び、会場内には面を付けた人達が大勢集まっていた。今日は何やらクイズの大会が催されているようで、大半はそれの応援か観覧のようだった。どのぐらいの難易度なのかと問題を聞いてみたが、どうやら地元に因んだジャンルのみらしく、俺にはさっぱり分からないものばかりだった。それでも割りと老若男女問わず答えられていて、地元に対する親近感が随分東京とは違うのだなと感じた。
 夜店でビールを一つ買い、飲みながらしばらく大会の行方を観戦する。最後まで競っているのは、高校生ぐらいの子と若い男性で、互いに一進一退の攻防を繰り広げている。問題の内容などまるで分からないが、この競っている雰囲気を味わうだけでもかなり面白い。
 そろそろ決着がつくだろうか。そんな事を思っていると、突然電話が鳴り出した。伊藤からである。俺は喧騒を離れて、広場の隅の方へ一人で移動し電話へ出た。
「お、意外と早かったな」
『早かったな、じゃねえよ。ったく』
 電話口の伊藤の苦味走った口調に釣られ、俺も苦笑いする。確かに、無茶を振った当人が言うような台詞ではなかった。
「で、資料はあったか? まあ、見つかったから連絡してきたんだろうけど」
『そうだけどな。って言うかお前、一体そこで何やってんだ? 何でこんなものが必要なんだよ。正直、洒落じゃ済まないぞこれ』
「ちょっとな。訳ありで」
『人に危ない橋を渡らせておいて、ちょっとなで済ます気かよ』
「色々複雑なんだよ。まだ決着も付いてないし。そっち戻ったら話すから、それで勘弁してくれ」
『これは高く付くからな。忘れるなよ』
 伊藤の口調にはいつもほどの冗談めいたものが感じられなかった。おそらく、あの資料を俺に渡す事は本当に危ない事なのだろう。異なる部署間や私的な理由で、取材情報や資料を授受する事は当然禁止されている。その上今回は、あの事件を踏まえて当事者である俺に沖田明里の資料という組み合わせなのだから、誰でもきな臭さは感じるだろう。組み合わせも時期も、非常にまずい事である。それあえて行ってくれた伊藤には、深く感謝をするべきだろう。
「ありがとう、恩に着るよ」
『まったく、そっちで何をやってるのか知らないが、自分の立場はわきまえてくれよ。ようやくこっちは落ち着いてきた所なんだから』
「流石に、同業者の不祥事はしつこく付け回さないか」
『何かしら談合でもあったんだろ。とにかく、くれぐれも自重は忘れるなよ。今はましになったってだけで、状況なんてすぐに変わるんだ。それと、前にも言ったが、被害者の事はあまり調べるなよ。向こうもそうだし、お前にも良くない事になるぞ』
「分かってる。本当に助かったよ」
 最後までやたら説教臭い繰り言を聞かされて電話を終える。伊藤は普段こうしつこく言ってくるようなタイプではないだけに、置かれている現状は自分で想像しているよりももっと際どい物だと自覚して動いた方が良いと改めて思った。
 伊藤の口から会社の様子を聞かされ、ふとしばらく会社の方へ顔を出していない郷愁的な気分になってきた。たかだか四日の出張だが、元々それぐらいの出張自体が縁遠かったから、尚更そう感じるのだろう。俺が玄関前で切りつけられた事件が沈静化してくれるのはありがたい事だが、犯人である沖田明里の父親にしてみれば一つも面白くないだろう。いずれ機会を窺って、この件も踏まえた話をしてみたいのだが、果たしてそんな時期が来るのやら。今はまだ想像もつかない。
 電話が終わり、俺は早速携帯を開いて会社用のメールをチェックしてみた。伊藤からのメールはつい先程の時間で送られていた。添付ファイルのサイズは小さく、わざわざテキストへ落としてくれたようだった。おそらく、会社のネットワーク上で完全な一時資料を流すのは流石に躊躇われたのだろう。ファイルを、本当は禁止されているのだが、私的なアドレス宛に転送し、携帯には添付ファイルだけ落としてメールを削除する。これで一応の証拠は消せたけれど、専門家からすれば鼻で笑われる認識だろう。後は事態を大きくしないで、担当者にメールを細かにチェックされない事を願うばかりだ。
 メールの処分も済み、携帯に保存した添付ファイルを確認する。添付されていたのは、テキストファイルが一つと、画像ファイルが三枚、形式を変換したためオリジナルよりもサイズを落としている。送信に時間がかかるのを嫌がっただけかもしれないが、それなら書庫にしてパスワードを付けた方がより安全ではと思う。伊藤が大分慌てながら用意してくれたであろう事が窺える。
 画像ファイルは携帯カメラで撮ったものよりもサイズが大きく、携帯のビューアで開くのに大分時間がかかった。だが、本来ならパソコンで見るようなサイズの画像が、どこでも携帯で見られるようになったのは便利なものである。あまりこの手のことは詳しくはないが、もしも今後出張が増えるとしたら是非とも覚えておきたいものだ。
 そろそろローディングも終わるか。そう思った時だった。
 おそらくステージ上でのクイズ対決が気になったのだろう、ふとおもむろに顔を上げて視線を壇上へと向ける。まさに丁度その時、不意に俺の視界の中にゆらりと現れたもの。それは、昼間も会ったばかりである沖田の姿だった。
 彼女でもやはりこんな騒がしい所へやって来るのだろうか。そんな当たり前の事を思いながら、俺は自分が手にしている物を強く意識して息を飲んだ。
 もしも、可能ならば。やり方によっては今ここで、彼女の正体が何者なのか、はたまた本当に沖田明里ではないのか、それを画像と比較して明らかに出来るのではないだろうか。