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 どんな名目で近付くか。それを考える前に俺は沖田の元へ向かっていた。会場はとても盛り上がっていて、電話が出来た隅とは違い、ちょっとした話し声も酷く聞き取りづらかった。そんな喧騒の中にありながらも、沖田はまるで俺の足音を聞いていたかのように、近付いて来る俺の方をこちらが声をかける前に振り返った。いつの間に気づいていたのか。そう驚きはしたものの、出来るだけそれが伝わらぬように自制する。
「こんばんわ、沖田さん。昼はどうも」
「あら、中尉さん。お仕事は宜しいのですか?」
「まあ、これが仕事を兼ねてますから」
「ビールを飲みながら?」
 そう問われ、俺は左手に持っているカップの事を思い出し、面の中で取り繕うように苦笑いする。
「奥之多町でしか飲めない地ビールもレポートしておこうと思ったんですよ」
「そうですか。取材熱心ですね」
 相変わらず声に抑揚がないせいで感情が掴み難い。今のは文字通りなのか、それとも皮肉なのか。どちらで反応したら良いのか分からず、俺はまたしても見えない面の中で曖昧な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。あそこの屋台で何かどうです? 昼にアイスを御馳走になった事ですし」
「そんな大それたものではありませんよ」
「まあ、そうおっしゃらずに。夜店のレポートのためでも、一人で食べるのはちょっと寂しいんですよ」
「そうですか。でも、何かナンパの手口みたいな言い方ですね」
 さりげなく皮肉られた気もしたが、沖田は付き合ってくれるようだった。とりあえず、これで機会が作れたのだから、ここから更に彼女の素顔と携帯に落とした沖田明里の写真と比較するタイミングを窺うとしよう。
 屋台の夜店に並んでいるのは、ホットドッグに焼きそばにわたあめといった、自分が想像する祭りのそれとさほどの違いは無かった。それに、端から見る分には作り方に特徴があるという訳でもなく、わざわざ食べてまで調べるようなものでない。もっとも、目的はそうではなくて、沖田の正体を確かめるための布石なのだが。
 大半の人がステージ上のクイズ合戦に夢中になっているせいか、屋台ではさほど並ぶことはしなかった。焼きそばやらたこ焼きやら、とにかく思い付いたものを全て購入する。アイス一つの返礼にはいささか過剰だと沖田は一言だけ言ったが、どうせ足止めする事が目的なのだから、それには構わなかった。
 買い込んだ後、どこか空いている席はないかと会場を見渡してみた。会場内には幾つか休憩用のテーブルとベンチのセットがあり、ざっと見て目に付く所は全て埋まっていた。空いている席はどれも会場の隅の方で、ステージが非常に見にくそうだった。みんなイベントが目的でこの会場に集まっているのだから、ステージから離れるほど空きが目立つのは当然だろう。
「隅の方しか空いてませんけど、構いませんか?」
「ええ、クイズもそろそろ終わりそうですから」
 沖田の同意も得られた事で、早速奥まった所の席へ移った。そこは喧騒の外で、普通に話してもお互いの声が聞き取れる程度の静かさだった。声を張らなくてはいけないような所だと、あまり込み入った話も出来ない。位置も都合が良い。
 まずは熱い内に食べるのが一番良い、たこ焼きから手を付ける。専用の鉄板で目の前で焼いた手作りのものだが、取り分け特徴がある訳でもなく、極々当たり前のものだった。しいて挙げるなら、大ダコ入りとうたっていたにも関わらず、実際入っていたのは普通のありきたりな大きさのタコだったぐらいだろうか。
「中尉さんも変わってますね」
「何がです?」
「こんなものぐらい、わざわざレポートしなくともいいでしょうに。連山町では珍しい訳でもないでしょう?」
「取材は現場の雰囲気も大切ですから。みんなと同じものを食べるだけでも、一体感のようなものが湧いてくるんです。一員になりきった方が、良い記事も書けるんですよ」
 沖田も同じようにたこ焼きを食べてはいたが、俺とは違いようやく一つ食べたといったペースだった。熱いのが苦手なのだろうかと思い見ていると、爪楊枝で表面をやたら擦っているせいであまり進んでいないようだった。何をしているのかしばし考えた後、それが青のりを落としているのだとふと閃く。面を付けているのだから、多少歯についても関係ないだろうとは思うが、そういう事は男性と女性とで考え方が違うのだろう。
「こんな田舎の平凡な祭りでも、随分こだわるのですね」
「まあ、それが記者の仕事ですから。憶測でいい加減なものは書けませんよ」
 会話をしながらも、俺は沖田の顔から注意をそらさなかった。食事をするため、沖田はあの痩せ女の面を少し上にずらして口許を晒している。ほくろの位置はどこかと探すものの、今いる場所がステージから離れすぎているせいで光が少なく、あまり良くは見えなかった。時折姿勢を変えて光が当たったりするものの、中々上手くは捉えられない。
「おっと」
 俺はわざと声を出してポケットから携帯を出すと、さも着信があったかのように開いて画面を見た。携帯の画面に先程伊藤から送って貰った沖田明里の写真画像を出す。この写真では、沖田明里の顎にあるほくろの位置ははっきりと分かった。目の前の沖田とこれを何とか照合したいが、どうにもうまく出来ない。やはり、こっそりと確認するのは無理なのだろうか。
「会社からでしょうか?」
「いえ、友人です。大した用事ではないですよ」
 そう笑い携帯を閉じる。流石に本人の前でこれを出すのは際どい、などとおかしな事を過ぎらせつつ、もう少し慎重に会話を続けるべく冷静さを自分に戒める。
「中尉さんは、これまでどんな記事を書いたのですか?」
「自分は生活文化部ですので、こういった地域社会のイベントが主です。近隣だけでなく、必要があれば地方にも飛んで取材しますよ」
「政治や事件などとは関係ないのですね」
「まあ、そういうのは政治部や社会部といった別な部署の担当ですから。いずれ、そっちの方に異動出来ればな、とは思ってます」
「今の仕事では御不満なのですか?」
「元々、志望がそっちだったんですよ。こう世間を揺るがすような事件を取材して、記事を書いて、一流の記者と呼ばれるようなのが目標ですから」
「では、今はまださほど出世はしていないという事なんですね」
「有り体に言えばそうですね」
 それをわざわざ口に出して言うか、と思わず苦笑する。ただ、沖田には別に他意があった訳ではないだろう。今の話の流れから、俺が所属している部署がさほど重要ではない所と感じた上での率直な印象を言ったのかもしれない。もっとも、沖田の表情や心境は相変わらず読めないから、本当に皮肉で言っている可能性も否定は出来ないのだけれど。
「中尉さんがいつかそちらの部署に移られたら、取材も今のようにするのですか?」
「そうですね。いえ、もっと強引になるかもしれません。これまで以上に社会的な影響が大きくなりますから」
「例えば?」
「半端な取材での記事を掲載すると、社の信用問題に繋がります。それに、記事にされた方も―――」
 と、その時だった。自分の話が今、本来なら躊躇うようなとんでもない所へ踏み込んでいる事に気が付いた。流れとは言え、まさに自分がこの奥之多町へ来る直接の理由を口にしかけてしまうなんて。しかも、選りに選って自分を沖田と名乗るような人物の前である。一体自分は何をしている、そう驚きと焦りで自失しそうになる。
「どうかしましたか? 続けて下さい」
 思わず口篭った俺に対し、沖田は淡々とした口調で続きを促して来る。面はまだ上にずらしたままで、口許が覗いていた。その唇は、まるで彫刻のように結ばれたまま少しも動かない。