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 まったく、どうかしている。死んだ人間が本当に蘇るなど、あってたまるか。思わずそれを口にしかけたのは、あまりに沖田の口調が真剣そのものだったからだ。もしかすると、今この奥之多町には本当に故人が集まってきているかもしれない。理性ではそんな事など起こり得るはずはないと分かっているのだけれど、それを信じてしまいそうになる凄味が沖田にはあった。
「守れなかったとは、どういう意味での事でしょうか?」
「先程もお話しましたが、私達の母は幼い頃に亡くなっています。その今際の際に、訴えるように語りました。家族みんなで助け合って仲良くしてね、と。それから私は、母の言葉に従って出来る限りの事をしました。家庭の事や家業の事、町内での事もそうです。家族が円満に暮らせるには何をすれば良いのか、それを思い付く限り実行したのです。そして、家族はみんなその通り幸せに暮らしていました。あの事が起こるまでは」
 沖田は面越しにじろりと俺を睨み付ける。実際の目は面に隠れて見えないけれど、強く意図して睨んでいる事はひしひしと伝わってくる。それはまるで、俺がその張本人である事を確信しているかのような仕草だ。
 彼女が、沖田家の事だけでなく俺が奥之多町へ来る事も含めて、これだけ正確に知る方法はないだろうか。思わずそう考えずにはいられなかった。彼女が亡くなった沖田明里であるはずはない。単に俺に対して恨みを持っている誰かが、なりすましてからかっていると考えるのが自然だ。けれど、蘇我という人間がこの奥之多町へ来る事はどのようにして知ったのだろうか。まさか、デスクは彼女とグルで、あらかじめ知らせておいたとでも言うのだろうか。でもそんな事をする理由がデスクには無いはず。少なくとも、俺には思い付かない。
「あの、沖田さん。俺は……」
 そう何かを言いかけるものの、うまく言葉に出来ず口ごもってしまう。今更何が言えるだろうか、そんな躊躇いがあった。彼女は本人であるはずがない。けれど、僅かでも心が揺らぐとそれを認めてしまいそうになる。
「中尉さん、冷めてしまいますよ」
 悩む俺に、沖田は打って変わって平素の口調で俺の止まっている箸を指摘してきた。俺をなぶるつもりなのか、それともただ言いたかっただけなのか。沖田の真意というものは、相変わらずさっぱり分からない。全て承知の上でからかっていると言うのなら、まだ話は分かる。けれど、沖田が時折無言で向けて来る強い感情は、決して遊び半分のそれでは無い。明確に、俺に対して向けられているものだ。
「ところで、明日で祭りは終わりですけれど。取材の方は如何ですか?」
「まあ、大体は固まって草稿を書いている所ですよ。良い記事になると思います。もっとも、通るかどうかは分かりませんけれど」
「審査があるのですか。無事通ると良いですね」
「ええ。せっかく苦労して仕上げたのに日の目を見ないなんて、ちょっと悲しいですからね」
 そう無難に受け答えつつも、俺は沖田の話は半分も聞いていなかった。彼女の正体が一体何者なのか、何を考えても結局はそれで頭が一杯になるからだ。苛立ち紛れに残りのビールを一気に飲む。けれど、まるで酔えている感覚が無かった。むしろ、そういう逃避をすればするほど、不安で足元が覚束なくなるように思える。
「お酒、お好きなのですか」
「いえ、特別そうでもありません。それに、最近は気晴らしでしか飲まなくなりましたから」
「何か良くない事でも?」
「まあ、色々です」
 それは、自分の配属が思うようにならなかったり、ようやく世に納得出来る記事を出したと思ったらあんな事件が起きてしまったり、そのせいで飛ばされた田舎町でからかわれたり、そういった理由だ。そう言ってやりたいと思いはしつつも、実際に行動には移せない。そもそも苛立つ原因は、根本的に自分自身の力不足によるものだと自覚しているからだ。
「一つ、お訊ねしてもよろしいですか?」
「何でしょう?」
「中尉さんには、亡くなっているけれどもう一度会いたい方はいますか?」
「亡くなった方ですか」
 それは俺に、沖田明里の名前を言わせたいのだろうか。ここまで分かっていながら、敢えて。
 まだ俺の事をからかいたいのか。流石に露骨な切り出し方だと思い、一転し急に腹が立った。こちらを責める理由もさほどはっきりしていないが、ならばそもそも俺自身に沖田へ遠慮や戸惑いを覚える謂れは無いのだ。どこの誰かは知らないし、たとえ幽霊だろうと死人だろうと関係はない。そう勇み、俺は少し強めの口調で答えた。
「居ませんよ」
「えっ、そうなのですか?」
「意外ですか?」
「そう答える方は珍しいですから」
「薄情な言い方ですけどね、そういう方にはもう何を言われるのか想像出来ちゃうんですよ。それに、謝った所で溜飲を下げる以外に何も変わりませんから。それならいっそ、エネルギーは全て今後の自分の成長へ向けるべきだと思っています。二度と過ちを繰り返さないために」
「自分のために、無かった事にするのですか」
「した所で無くなりませんよ。ただ、今更謝罪しても白々しいだけですから。それが聞きたいのなら、幾らでも並べますけどね」
「職を辞する、という謝罪もあると思いますよ。一番納得されるのではありませんか?」
「そうかもしれませんね。けれど、会社はそれを許さないでしょう。何せ、会社は過ちだったと認めていないんですから」
「会社が認めなければ良いのですか」
「良いも何も、一社員の意見など握り潰されるだけ、という事です」
 このやりとりで、やはり沖田は俺の素性を詳しく知っている事を確信する。そして、ここまで開き直った発言に対し惚けた振りもしない所を見ると、沖田の目的は俺をからかう事ではなく、俺から謝罪の言葉を引き出したいと考えるのが妥当だろうか。
 では、何故そんな事をするのか? 答えは決まっている。俺があの事件に対し、社会的な制裁も受けていない事が納得出来ないからだ。沖田明里の父とは違う復讐と言ってもいいだろう。沖田と名乗るこの彼女が、沖田家とどんな関係なのかは分からない。しかし、他人でありながらここまで手の込んだ事をする以上、相当な恨みを抱いているだろう。それを晴らすには、生半な事では無理である。
 俺は、今自分で言ったばかりの、形だけの白々しい謝罪をするべきなのだろうか? けれど、沖田の態度に腹が立っていた俺には今更しおらしく戻る事など出来なかった。