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 夕刻よりも早い、まだ日の高い内に町へと出掛けた。これはまるで大原氏に対し顔を合わせづらいと言っているようなものなのだが、実際合わせづらいのは事実だし、どうせ出掛ける予定だったのだから多少繰り上げても大して違いは無い。その辺りの気後れはあったものの、それも明日までの我慢として割り切る事にした。
 町はまだ明るく行灯にも明かりは灯っていない。人通りもいつもよりも少なく感じる。最終日ならばもっと盛り上がるものだと思っていたが、この町では厳かに締め括るようである。元々、祭りというには期間も長く爆発的な盛り上がりがある訳ではなかったから、これが妥当な所なのだろう。地方で、お盆の時期に盆棚を飾るのに近い感覚だ。
 軽く町の中心部だけを散策した後、広場の方へ向かった。連日なにかしらのイベントが催され、唯一賑々しかったここは、今日も既に面を付けた者が何名か集まっていた。軒を連ねる屋台は夜の仕込みを始めている者もいるし、舞台の方では小物の設置やマイクのテストが行われている。また、小学生らしい子供達が、そんな大人達の仕事ぶりを興味深そうに眺めたり、時には手を伸ばして邪険に追い払われていた。この町では昔からこんな事を繰り返しているのだろうか。カメラの一つも持って来ておいて、写真に収めておきたかったと思う。
 俺は準備の邪魔にならないように、また隅の休憩スペースに腰を下ろし終わるのを待つことにした。会場を見渡すと、俺のような手持ち無沙汰の大人は他にはいなかった。普通は式が始まるまで待ってから出掛けるのだろう。隅の方へいるのであまり目立たないだろうが、自分が酷く浮いているように思えてならなかった。それに、俺はただでさえ顔に大きな怪我をしている。死人祭りが面を被るものでなければ、まず間違いなくもっと悪目立ちしていたに違いない。
 ベンチで祭りの準備作業を眺めつつ、ひたすら日が傾くのを待った。その姿はどうしても宿に居づらくなったと言っているようにしか思えず、不覚にも叱られて家を追い出されてへそを曲げている子供を連想してしまった。そういう訳で居るのではないが、周囲からそう思われている脅迫感が消えず、自分の姿勢一つも気にかかりとても落ち着けなかった。そこで、ここにいる理由を作ろうと考えた俺は、ようやく準備も終えかけた屋台の方へ足を伸ばした。
 屋台のラインナップは最初から最後まで変わらず、結局この滞在期間中にひと通り食べてしまった。目当てにしていた焼き鳥はようやく炭に火を入れ始めた所で、まだ焼き始める段階ではない。ここの焼き鳥は珍しく生肉を焼いているため非常に旨く、帰る前にもう一度食べたいと思っていたが、食べるにはもう少し待たないといけないようである。
「すみません、ビールを一つ貰えますか? あと、何か食べる物でも。焼き鳥はまだですよね?」
「ああ、まだ始まるには早いからね。でも、腹減ってるっていうなら少し焼いてもいいよ」
「お願いします。じゃあそれまで、そこのお菓子も下さい」
 ビールと袋菓子を買い、屋台のすぐ近くのベンチに座る。この辺りの席は普段ならあっという間に埋まってしまうのだけれど、流石にこの時間帯ではまだまだ空きの方が多い。むしろ、こんな時間からやって来て席取りをしている人が数名いる方に驚きを感じる。今日はただの閉会式のはずだが、何が楽しくてこんな時間から席を取っているのだろうか。中高生ばかりが席を取っているのから察するに、夏休みの遊び感覚の延長なのだろう。
 ボーッと特に何を眺めるでもなくビールを飲んでいると、先程の屋台から焼き鳥を焼く香ばしい匂いが漂ってきた。やがて脂の弾ける音と煙が立ち込めてきて、こういう祭りはそんなに縁があった訳ではないけれど、祭りとはこういうものだという実感が込み上げて来る。後は神輿やら盆踊りやら、自分は参加しないけれどそういった見物出来るものがあれば言うことはないのだが。この辺りの地味な所が、今一つ記事に盛り上がりの欠ける原因である。
 程無くして焼き鳥が五本焼き上がり、それから更にビールを一本買ってベンチでの一人酒を続ける。場所は再び隅の目立たない方へ移り、何をするでもなくただ祭りの作業を傍から眺めた。ステージでは忙しく数人の係員が作業に追われていたが、やがてその作業も一段落ついたのか徐々に出入りが無くなって来た。その頃には日も大分傾いてきて、蝉がいつの間にか鳴りを潜めている事に気づく。そろそろ祭りの始まる時刻だろうか。
 一頻り飲み終えた頃だった。自分の出したゴミをまとめ片付けていると、唐突に携帯が鳴った。画面を開いて番号を見ると俺は覚えのない相手からだった。番号からして家の固定電話のようであるが、馴染みのある市外局番ではない。もしかすると、この辺りからの電話だろうか。と、すると。
『中尉さんでしょうか?』
 案の定、聞こえて来たのは沖田の声だった。
「そうです。こんばんわ」
『張り紙を見たのですが』
「今戻られたんですね。自分、明日東京に戻るんですが、その前にちょっと話しておきたい事がありまして。それで今日そちらに伺ったんです」
『そうでしたか。今は祭りの会場ですか?』
「ええ、そうです」
『それでは今からそちらへ向かいます。場所はどこですか?』
「そんな、わざわざ来て頂かなくとも。こちらから伺いますよ」
『構いませんよ。私も中尉さんにお話がありますから』
「えっ?」
 俺に話がある。その沖田の言葉に驚きの声を漏らしてしまった。
『で、場所はどちらに?』
「ああ、はい。前にも来たあのベンチです。会場の隅の方の」
『分かりました。しばらく待っていて下さい』
 そう言って、電話は沖田の方から切られた。
 携帯を閉じ、しばし今の会話について考える。果たして俺に話とは一体何なのだろうか。これまでの言動を考えると、向こうから接触しようとするのは俄に信じ難い。沖田は俺の素性は知らないはずではある。けれど、実は知っているのではないかと思わせる言動が何度かあった。俺の事をどこでどのように知ったのか、何のために知ったのか、それははっきりとしていない。ただ一つだけ、俺に対して好印象を持っていないのは確かだ。
 一瞬、俺の脳裏に、先日の沖田明里の父に襲われた時の記憶が過ぎった。
 まさか今度も同じような事が起こるのではないだろうか?
 そんな馬鹿な事が起こるはずがない。特に根拠は無かったが、そう自分に言い聞かせ、あの時の事を頭から振り払った。