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「私のその考えは、浅慮ながらも的を射ていました。警察は初動捜査が遅れていたのか、僅か一日で報道で聞いていたよりも遥かに多くの目撃証言が集まりました。中には勘違いや冗談のようなものもありました。しかし、説得力があるならば積極的に取り入れて行きました。そして、あの記事を完成させたのです」
「説得力があるなら? それはつまり、それらしく聞こえるなら何でも良かったという事ですか?」
「あの時の私は、自分の推論は警察より正しいと思っていましたから」
 その思い上がりが、ああいう事態を招いてしまった。それは誰かから指摘されるまでもなく、自分自身で痛感している。ただ、沖田も同じ批判を胸に持っているだろうとは思っていた。村雨と呼んでいる女性の面に隠れて表情は分からないけれど、冷ややかに注がれる非難めいた視線だけははっきりと感じ取れる。
「それから私は記事の掲載について社に掛け合いました。私の所属は生活文化部、しかし事件に関する報道は社会部の領分です。なので、双方の責任者に直談判しました。とにかく一面でなくとも掲載さえしてくれれば、後は何も要求しない。そういった具合です。そして私の要求は特例で認められ、掲載へ漕ぎつける事が出来ました」
「特例が認められたのは何故でしょう? あなたがしつこく食い下がったからですか?」
「それもあります。ですが、実際はもっと別の理由だったのではないかと思います」
「別の理由?」
「私の父親が、会社の重役なのです。だから、無下にする事が出来なかったのでしょう」
「なるほど、合点がいきました」
 沖田は両手をぽんと音を立てて合わせた。それは些かおどけているようにも見えた。
「あなたの書いた記事も、親が偉いから一度は掲載せざるを得なかった。そして、警察は元よりあなたの父親も見識が正しかったのですね。あんな駄文しか書けない息子なら、社会的影響の少ない部署へおいやっておけば問題も起こりにくい。けれど、あなたはそんな事も分からずに一人出しゃばってしまった」
 突然と堰を切ったような非難中傷の連続に、物静かだった沖田が豹変してしまったと困惑を隠せなかった。けれど、それについて何ら反論する気はなかった。事実無根の事もあるけれど、反論してしまうとそうではない事まで否定するような気分がするからだ。
「黙って言われるままなのですか」
「あながち間違ってはいませんから」
 そう、と沖田は残念そうに溜め息をつく。俺を挑発し激昂させようとでも思っていたのだろうか。
「御自分ではただの一度も想像されなかったのですか? 自分の書いた記事がどういう事態を招くのか」
「多少は頭の隅にはありました。でもそれは、せいぜい悪趣味な人間が興味本意で煽りに来るぐらいにしか考えていませんでした。なのに、まさか犯人が直接関わってくるなんて……」
 多少面倒な思いをさせられる程度なら、それは大した問題ではない。あの時の俺は確かにそう考えていた。それに、何よりも記事には嘘でもいいから信憑性や説得力を持たせたかった。それには情報提供者の身元が必要不可欠、記事に本名を直接載せる訳ではないのだから大事にはならないだろう。俺の想像力はそれ以上には働かなかった。
「それに、あなたは脚色もしましたね。犯人らしき人影を見た、としか証言していないにも関わらず、犯人の顔をはっきりと見た、などと」
「いや、それは……」
「否定しないのでしたら、認めるのですね。やっぱり」
 かまをかけられていたのか、それとも予め俺の素性と共に何処からか聞いていたのか。ともかく、俺はすっかり返す言葉を失ってしまっていた。あまりに正鵠射た指摘に、まるで沖田は全てを見透しているかのようだ、そんな恐れすら抱いた。ここまで自信を持って断言出来るはずがない、それが出来るのは本人以外に有り得ない。動揺のせいか、またしてもあの仮説が脳裏を過ぎる。
「自分では、通常の編集の範疇だと思っていました。証言をより伝わり易くし、説得力を持たせるために何処のどのような人が証言をしたのかを加える。そうでもしなければ、記事にインパクトが出ないのです。記事はただ読んで貰うだけでは意味がない、大きな反響がなければそれは無いも同然なのです。だから」
「犯人を目撃したと話を膨らませ、その証言者が何処の誰なのか分かるように書いた」
「いや、幾らなんでも個人の情報をそこまで詳細には書けません。ただそう感じるように膨らませただけで」
「結果的に犯人を追い詰め、口封じを決心させるには十分だったでしょう。しかも半端な情報でそうと決めつけられ、殺されてしまった。犯人どころかあなたの記事すら見てもいないというのに」
「え?」
「とばっちりだったんですよ。あなたの、功名心の」
 沖田の言葉に俺は愕然とした。沖田明里は俺の取材に対して犯人の目撃証言をし、それを俺が記事にしたせいで犯人に殺された、ずっとそう思っていた。しかし、取材は不特定多数の人間に行っていたからいちいち顔など覚えてはおらず、沖田明里の写真についてもそういう人がいたかも知れない程度にしか思っていなかった。そんな俺の認識は事実とズレがあったのか、そんな疑問に戸惑う。
 沖田の言う事が正しければ、沖田明里は事件とは全く無関係にも関わらず殺されてしまった事になる。そして巻き込んだ張本人は俺だ。
 しかし、沖田のこの確証に満ちた口調、一体どこからこの自信は来るのか。よほど信頼の置ける情報源があるのだろうか。少なくとも今は、沖田の言葉を証明する手段は無い。無いが、強く反論する論拠も俺には無い。