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 死んだ人は決して生き返らない。俺はそんな当たり前の事をしきりに繰り返しながら、目の前の光景を受け入れようと必死で自分を落ち着かせた。気持ちが落ち着けば思考が働くようになる。そうすれば、この有り得ない目の前の光景にも説明が付くはず。けれど、実際に出来た事は平静を装って表情を整えるだけで、推論の一つも出す事が出来なかった。
「どうして……」
 うわ言のように振り絞る言葉は、自分でも聞き取り難いほど枯れていた。それを沖田は悠然とした表情で見下ろしている。酷く狼狽える俺の様子が楽しくてたまらない、そんな印象すら窺える。
「どうかなさいましたか、蘇我さん。そんな変なお顔をされて」
 俺が驚き狼狽える理由など知っているはずなのに。沖田はあえてわざとらしく、とぼけた口調で訊ねてくる。からかいとも挑発とも取れる口調だったが、俺は聞こえている声は果たして沖田明里と同じものなのかと、今この場では確かめようの無い事で一杯になっていた。
 しかし、何時までも醜態はさらしていられない。狼狽える自分を、気力を振り絞って喝を入れ何とかニュートラルへ戻すと、一度思考を空白にしてから改めて冷静に状況を理解し、何が起こっているのかの客観的な把握に努めた。それは、仕事で取材をする際に自分の意見を含める事に似ていた。だから、冷静になり筋道を立て始めると、存外考えがまとまり始めた。
 例え天地が引っくり返っても、死んだ人間は生き返ったりはしない。もし彼女が間違いなく沖田明里本人であるなら、疑うのは戸籍や既に亡くなっているはずの方の身元だ。そう、事件の犠牲になったのは、何らかの方法で入れ替わった全くの別人―――。
 しかし、
「もしかして、また突飛な事を考えていませんか? 沖田明里はどこかで入れ替わり、実は生きていたとか」
「……その方がまだ現実的です。死人が甦るなんて有り得ないんですから」
「そんな推理小説のような事なんて、早々簡単には起こり得ませんよ。そもそも、警察がこんな重大な事に気付かないはずはありませんから」
 確かに沖田の言う通りだ。この現代で、人が入れ替わる事など不可能に近い。けれど、それ以上に有り得ないのが死人が生き返る事だ。それに比べたら、人の入れ替わりなどまだ可能性が高いと思える。可不可はともかく、死んだはずの沖田明里が目の前にいるのは、揺らぎようのない事実なのだから。
「だったら、あなたは誰なんですか? 本当に沖田明里である訳がない。彼女は亡くなりました。あなたは全くの赤の他人に違いないはずです」
「私の名前は沖田です」
「それは嘘だ。死んだ人間が戻って来るなんて、絶対に有り得ない」
「私の名前は沖田ですし、私は死んでもいません。嘘はついていませんよ」
「だったら、何故その顔を? 沖田明里にわざわざ似せる理由は、私への当て付けでしょう」
「ふふっ、そうですね。昔から良く言われていましたから」
「は? 一体何の事を……」
 今にも詰め寄ろうとする勢いの俺に対し、沖田は悠然とした仕草で再び腰を下ろした。その嫌味すら感じる余裕の態度に、自分は煙に巻かれているのではないかと思い警戒を強める。
 ここに来て、自分がからかわれているのではないかという事に、猛然とした怒りが込み上げてきた。俺の書いた記事について、責任の無さや社会的な処遇を非難される事なら甘んじて受けようと思っていた。けれど、沖田のしている事はそれと全くの無関係では無いにしても、あまりに常軌を逸している。義憤ではなく、ただの悪ふざけの対象にされる事はとても我慢がならないのだ。
「蘇我さん、あなたは沖田の家についてどれだけお調べになりましたか?」
「私はこれでも会社から謹慎を申し付けられている身です。業務外の取材は表立って出来ませんよ。事件当時の取材資料を送って貰い、それに目を通しただけです。ですが、事細かな情報が載っています。沖田明里の顔も写真資料で見ているので、当然知っています」
「この町に来てからは、何も取材をしなかったのですね」
「祭り由来を聞く際に、八幡神社と沖田家の話は少し聞きましたよ。ですが、どちらにもあなたの情報はありません。あの神社を管理していた沖田家の人間は父と娘の二人、だからあなたは沖田家とは円も所縁もない人間に違いないはずなのです」
「そうですか。では、取材が悪かったのでしょうね」
「取材が悪い?」
 取材に問題があったから、事実と異なっていると言いたいのだろうか。確かに、事件被害者への過剰な取材は近年問題視されるようになって、社会部もある程度自粛をしているとは聞いた。けれど、それは決して手を抜くという意味ではない。必要最低限の情報を集めるだけに留めたという事だ。それが不完全だったと言うのなら、沖田は一体何を知っているというのか。
「これを見て貰えば分かります」
 そう言って沖田が差し出したのは一枚の写真だった。それはどこかの旅先で撮ったのだろうか、背景は高速道路のパーキングのように見えた。写っているのは三人の男女。一人は中年の男、一人は沖田明里、そしてもう一人は―――。
「沖田明里が二人……? いや、良く似ているが……」
 背格好も歳も僅かに違う、明らかに別人である。ただ、この写真を見た衝撃は大きかった。伊藤からの資料で見た沖田明里の顔は覚えているのだが、この写真に写る二人の内どちらと一致するのかは分からなかったからだ。
「まだ若いのに、女性の顔を見間違うのですね」
 口元を綻ばせながら沖田がからかう。俺はついこの間に居酒屋で伊藤と、最近のアイドルグループの顔が見分けられない、などと愚痴った事を思い出してしまった。
「これはつまり、あなたは沖田家の親類、という事なのですか?」
「そうです。沖田明里の妹で、沖田真由美と言います」
 そう答えた沖田の顔を、改めて正面から見る。顎にはほくろがあった。