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「そうですね。人間はやはり自然な姿が一番だと、私は今でも思っていますから。この機会にいっそ、もうナノマシン化なんて止めてしまいませんか? あのクリニックにも行きづらいでしょう」
「不自然な姿でも、死ぬよりはマシだろ。第一、今は人工の臓器だって当たり前にあるんだ。どこまでが自然かなんて、時代で変わる価値観だ。俺は続けるよ。病院を変えてでも」
 そうですか、とキョウコはぽつりと呟くように答えた。お互い飽きるほど議論して、いつも平行線を辿って来た事だ。結論が出ないと分かっている事を、お互い煽ったり無駄に繰り返したりはしない。だが、敢えてそれを口にするという事は、何か踏み込んだことを言わんとしているのだろう。俺はまだぼんやりとふらつく頭で、どう言葉を返したものかと思考を巡らせ始めた。
「イサオさん、私がどうしてあなたにナノマシンを勧めないか御存知ですか?」
「今自分で言ったばかりじゃないか。それは人間として自然じゃないからだろ、お前が言う所の」
「確かにそうでしたね。でも、本当は違うんです」
「違う?」
「私は、本当はイサオさんが言うほど古風でも何でもありませんよ。今後の人生が幸せになるのならそれぐらい別に関係無い、みんなと同じように思ってます」
「だったら何だよ」
「イサオさんが、私のために。私の体に合わせるために、自分の体もナノマシン化をしているのではないか。本当に時々ですけど、そう思えてならないからです」
 キョウコの言葉はあまりに予想外で、それは全身の血の気が引くような、ぞっとする異様な緊張感を背筋に走らせた。咄嗟に言い返そうとするものの、舌はうまく回らず単語にもならな言葉だけが口から漏れ出る。泥酔しているせいか、突然の事でとち狂ったせいか。頭は冷静でも声が出ない事がもどかしくてならなかった。
「御存知の通り、私の体はほとんどがナノマシンです。昔、事故で止む無く施された延命処置の結果ですね。それでも三年先は生きられないとは言われましたが、まだこの通り元気で暮らせています。イサオさんにも出会う事が出来ました。子供が望めないのは残念ですけれど」
「いや……それは別にいいんだよ、俺は」
「そうでしたね。でも、私の体がこんなだからと言って、何もイサオさんまで合わせる事なんてないんですよ。私はもう十分幸せなのですから」
「いや、待て待て。待てって。そうじゃないんだよ、そうじゃ。俺は、その……」
 未だに混乱しているのか、うまく言葉が練り出せない。とにかく自分の言いたい事は違うのだと伝えたくて、俺はキョウコの方を振り向き正面から顔を見据えて視線を合わせる。キョウコは普段通りのおっとりとした表情で俺を見つめ返した。落ち着いて、話せるまで待っているから、そう言われたような気がした。
「いいか、それは明らかにお前の思い違いだ。断言する。俺が体をナノマシン化しているのは、お前の事とは一切関係無いんだ。俺の目的は、もうあの変な熱が出ないようにする事だけ。一切他意は無い。いつも言ってるだろ、俺は。もしかして、ずっとそう思ってたのか? だったらどうして言わないんだよ」
「ええ、分かってますよ。私は分かっています。イサオさんはそういう嘘をついたりしませんから。でも、イサオさんは優しい人だからもしかして、なんて時々思ってしまうんです。昔のあなたは、熱の出る体質をあまり深刻に捉えていないようだったのに。それが今になってナノマシンに固執し始めたのは、発熱の事を理由にすれば私を後ろめたくさせなくて済むのではないからと、そう思うんです」
「大体にして、どうして合わせようとする理由があるんだ」
「だって惨めでしょう? 私の体は」
 その自虐的な言葉が、強く胸に突き刺さったような気がした。普段はおくびにも見せないけれど、その実キョウコは自分をそんな風に思っていたのだろうか。俺はそんなキョウコの気持ちをまるで知りもしないで、配慮の無い言葉をぶつけてはいないだろうか。今更思い返しても仕方の無い事だが、自分のこれまでの言動がどう捉えられていたのか、とても不安でならなかった。
「馬鹿、何言ってんだよ。一度でも俺がそんな事今まで言ったかよ。俺は、お前には表裏無いつもりで接してるつもりだし、言いたい事は全部言ってる。その、お前の事をそんな風に思った事なんか全く無い」
「では、どう思っています?」
「ただ、申し訳なく思ってるよ。俺のこの体質のせいで迷惑ばっかり掛けて、人並みの旅行も出来ないのに。お前はいつも文句言わないんだから」
「私も別に迷惑とは思っていませんよ? イサオさんの具合が悪いのに世話をするのは普通の事ですから。それとも、こういう態度がかえってイサオさんにプレッシャーだったのでしょうか」
「見方によってはそうなのかもな」
 何となくお互いの気持ちが食い違っていると思った。自分では気遣いのつもりだったのが変な勘繰りになってしまい、それがすれ違いの原因になったのだろう。だけど、親しい相手に本音を打ち明けるのは生半な覚悟では出来ない。これまでの気持ちが強いほど、反発する時の勢いも激しくなる。万が一逆に振れてしまった時、それが最も怖い。だから、お互いある程度の了承の上で話す事は重要だと思う。気が付いたら修復出来ない状況だった、という事だけは避けなければならない。
「イサオさん、明日は仕事を休めませんか?」
「何だよ急に」
「この間の旅行の埋め合わせ、です。そう言われた方が気が楽になりません?」
「確かに、それもそうだな」
 今日は調子が悪いから病院へ行くと職場には言っているから、明日休みを取るくらいさほど難しくはないだろう。繁忙期とは無縁の仕事だから、大した影響も起こらないはずだ。
「私達、案外本音を言っているようで、言っていないんですね」
「それが分かっただけで十分じゃないかな」