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 流動食のような朝食を済ませた後、一旦キョウコへ電話をしようと携帯へ手を伸ばした時、丁度医師が病室へやって来た。個室での携帯電話は許可されていたかどうかは知らないが、流石に医者の前で堂々と使う気にはなれない。
「おはようございます。体調は如何です?」
「はい、おかげさまで。もうすっかり良くなってます」
「そうですか。でも、まだ薬が効いているだけかも知れないので、油断は禁物ですよ。目覚めたばかりですから、もう少し様子を見た方が良いでしょう」
 医師は俺よりも二回りほど年上の男で、壮年の割には見た目以上に若々しい印象があった。その人の持つ快活さが素養として現れているのだろうか。安心感を与える医師というのは信頼が持てるものだ。
「あの、実際の所はどうなんでしょうか。一応、昔からよく熱は出る体質なんですが」
「リンパの検査はしましたが、特に異常はありませんでしたね。おそらく別の理由ではないかと思います」
「もう今までにも、検査は一通りやってきましたので。それでも原因は分からなかったんです。ナノマシン化も随分進めましたし。もう五割以上は行きましたから」
「五割もですか。ほう、相当大変だったのではないですか? そこまでいけば、通常の感冒どころか中程度の食中毒でも大丈夫ですよ。普通でしたら」
「そうなんです。それなのに、発熱の習慣だけが全然収まらなくて」
 やはり彼もまた、俺の体調が安定していない事に疑問を持つようだ。これだけ内臓をナノマシン化したのなら、普通は簡単に熱を出したり体調が急変するような事はまず有り得ないのである。それが、発熱に限って習慣化しているのだから、普通は体のどこかに何か原因があると考える。けれど、幾ら検査をしてもそれを特定が出来ない。俺の体調にとって一番の問題がそれだ。原因が特定出来なければ治しようがない。
「一通り検査をされたのでしたら、同じ検査をしても仕方ないでしょうが、一応幾つか行ってみましょうか。少なくとも、今回のような体調の急変には何か理由があるはずですから、今まで出て来なかった原因が見つかるかもしれません」
 ひとまずは検索を受ける事にして、医師との回診を終わらせた。詳しい案内は午後からになるそうで、午前中は丸っきり暇になるという事になる。
 キョウコは今日は仕事だったか分からないが、とりあえず電話を掛けてみることにする。しかし、電話は繋がったもののすぐに留守電のアナウンスへ変わってしまった。仕事中か、もしくは移動中だろう。キョウコは電車やバスに乗るときはいつも律儀に切り替えるのだ。
 次に職場へ連絡を入れてみた。事情はキョウコの方から聞いているそうで、退院出来る時にだけ連絡をくれたら良いそうだった。それに関連して、本社の方から監査が入ったそうで、もしかすると俺の所にも来るかも知れないとの事だった。なんでも、勤務中に倒れた事で業務内容の確認や残業隠しの疑いが持たれたためだという。無論、後ろ暗い事はないのだが、ここ数年は特にこういった事には組合や監督署がうるさいのだそうだ。
 思わぬ混乱を作ってしまったと驚き、若干の罪悪感を抱きつつ電話を切る。それから、引き続き他にどこか連絡する相手はいないか考えてみたが、これと言って急ぎのものは思い付かなかった。案外自分はさほど深く社会に根を張っていないものだと思う。
 午後の検査まで時間を潰さなければならなくなったが、一応今は別段具合が悪いという訳ではないため、何もやる事がないというのは非常に退屈である。テレビをつけて見るものの、昼の放送というのは何とも味気なくつまらないものだった。普段あまり見る事も無いだけに、一層の距離感が番組とに感じられる。せめて、何か懐かしい再放送でもやってくれれば良かったのだが、電子番組表を見ても知っているタイトルすら見つからない。自宅とは違って映画配信サービスにも繋がってはおらず、退屈しのぎの活路は見い出せそうになかった。
 特に注視するでもなくテレビを眺めながら過ごしていると、丁度番組の切れ目に差し掛かった時に、突然キョウコが病室へやって来た。着替えの用意なのか、大きなキャリーを引きながら随分と苦労して辿り着いたような様相だった。
「イサオさん、体調は如何ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。心配かけたね。なんか、三日も眠ってたらしいよ」
「ええ、そうです。四十度を超える熱で昏倒しているのだから、もしかすると本当に危ないのかもしれない、とまで言われたんですよ」
「そんなにか……。実際際どかったんだな」
 キョウコの深刻な表情に思わず息を飲む。
 どうやら自分でも知らぬ間に死にかけていたらしい。だけど、今はもう体調に問題がなく平素通りだから、昨日一昨日に死にかけたと言われてもいまいち実感がわかない。そういう意味では、これまでの発熱の習慣とは同じだと思った。ただ、その振り幅が大きくなっただけである。もっとも、振れても戻って来れなければいけないのだが。
「入院の手続きや保険の連絡は私の方で済ませました。念のため、クリニックへの連絡も。後は私に任せて、ゆっくり治療に専念して下さい。何か欲しいものはありますか?」
「今のところは退屈しのぎのものかな。テレビも面白くないしさ」
「では、何か端末を持ち込んでも良いか確認してみましょう。駄目でしたら、文庫本くらいですね」
 退屈しのぎとは言ったものの、普段に趣味を持っていない俺は意外と何が欲しいのか良く分からなかった。せっかく時間があるのだから、熱中出来る趣味を持っていなかったのは少々もったいない。そういえば、学生の頃は何をして過ごしていただろうか。今となってはそれも思い出せない。
「何か悪いな。いつも体調の事で面倒かけてさ」
「いいんですよ、そんな事は気になさらなくても」
 そういつもの優しげな表情で返すキョウコ。だけど、幾らキョウコがそう言っていても、本当に良い訳はない。いつまでもこんなはっきりしない関係を続ける訳にはいかないし、そうなってしまっている最大の原因が俺の体調なのだ。いい加減、どうにかしてきっちり決着をつけなければならない。今のように、折り合いをつけるだけで精一杯という訳ではなくて。