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 アクアリアの季節は、暦の上ではまだ秋なのだが、既にセディアランドの冬と同じくらいに冷え込んでいる。そのためか、馬車の中は火鉢で上着が要らないほど温められていた。
 車内には、俺の他に兵士が二名。内一人は言動から小隊長といった様子だった。勤務中であるためか一切気を抜いた様子がなく、終始厳しい表情のままである。
「サイファー殿は、ストルナ市は初めてと仰いましたが。もしかすると、今回の事件について赴任されたのですか?」
 ふとそんな事を訊ねられ、俺は一瞬どう返答するか考える。秘匿権がある以上、いちいち自らの職務や目的を吹聴する必要はない。けれど、いずれは公になる事であるのと、何より現在のストルナ市の情勢が分からない。俺は、世話話ついでの体で情報を聞き出す事にする。
「ええ、そうです。最近、セディアランド大使が異動になった事はご存知でしょうか? 私は、その後任の命で事件の調査に来たのです」
「という事は、我々の立場などは既にご存知で?」
「いえ。すみませんが、私はまだアクアリアへ来て数日ですので。何も詳細な状況は分からないのです。よろしければ、あらましだけでもお聞かせ願いたい」
「そうでしたか。小官も当事者ではなく、伝聞でしか知らないのですが、それでよろしければ」
 そして兵士は一度咳払いをして喉の調子を整えると、整然とした口調で話し始めた。
「事件は、今から半月程前になります。セディアランド総領事館の敷地内にて、我が陸軍の尉官であるセルギウス大尉が死亡しました。何でもそれは、総領事館内で結成されていた、違法な同好会の活動中の事だったそうです」
「違法な同好会?」
「サイファー殿は、決闘サークルという物を耳にした事はありますか?」
「決闘サークルですか。確か、東方で何世紀か前に流行ったとか」
「ええ。それと似たものを、この現代に興していたのです。それもよりによって、総領事館の敷地内で」
「そのサークルの決闘で死亡したという事ですか」
 決闘サークルについては、大分昔に週刊誌か何かで見聞きした程度の知識しかない。互いに因縁も確執もない人間ばかりが集まり、真剣を用いて勝負を行うのが活動の全てだ。勝敗を付ける事が目的であって必ずしも相手を殺す必要は無く、真剣勝負による精神修養を図るらしい。しかし、真剣である以上は最悪死に至る事も覚悟せねばならない。それを同意の上で行うのだから、当然現代の法体系に照らし合わせれば、とても合法とは言い難い活動である。おそらく総領事館のそれも、違法という自覚があったからこそ極秘に活動を行っていたのだろう。
「ストルナ市への駐軍は、それに対する抗議行動でしょうか?」
「おそらく。その亡くなったセルギウス大尉は、元中将ゴットハルト殿の御子息ですから。セルギウス大尉と決闘を行った者は特定出来ていますが、サークルの責任者が不明確なままです。きっと、それについて憤慨しているのでしょう」
 被害者は元中将の息子。これは事前に大使から聞いていた通りである。すると問題は、誰が決闘サークルを開帳していたかだ。陸軍の要求の内容も、おそらくそこに関わるもの、例えば責任者の身柄の引き渡しなどだろう。
「その、決闘の相手とは誰なのですか?」
「名前までは聞き及んでいません。なんでも、総領事館に駐在する武官だとか。セディアランド人ですから、尚更問題はややこしくなっているのでしょう」
 セディアランドの自治権が認められた場所で、セディアランド人かアクアリア人を殺めてしまった。これが起点だろう。確かに、法律に基づいて粛々と、と処理するには感情論やわだかまりの残る問題である。
「話は変わりますが。ストルナ市を包囲して随分経つそうですが、現役将校でも無い者がこれだけの兵を動かせるものなのですか?」
「ゴットハルト殿は、その武勲も数え切れない程の名将でありましたし。人望も厚く、慕う将兵は小官も含めて少なくありません。今回の出兵も義勇兵のようなものですし。それに、除隊も決して円満なものではなかったと聞いています。ですから、憤りをくすぶらせていた者も多いはずですよ」
「何故、円満ではなかったのですか?」
「……あまり大声では言えませんが、軍部と政府は長年に渡って対立が続いていますから。詳しくは分かりませんが、ゴットハルト殿の除隊も何らかの取引のための止むを得ないものだったのだと噂されています」
 息子を殺された父親が、その仇を討つために軍を動かした。状況を簡潔にまとめると、そういった所だろう。怨恨による問題は非常に厄介である。特に被害者遺族の感情というものは、法の処罰だけでは晴らせない事が多々あるからだ。ましてそれが、これだけの兵力を動かせる人物となると、尚更一筋縄ではいかないだろう。
 次はアクアリア側の聞き込みをし、決闘サークルの実体を調べる必要がある。その上で、どうすればゴットハルト氏が納得するか、方法を考えなければならない。無論、気は進まないが、セディアランド側の非を認めないという前提でだ。
「一つお願いがあるのですが」
「何でしょうか?」
「私の名刺をお渡しします。指揮官のゴットハルト氏との会談の席を設けられないか、打診して頂けませんか? 非公式で構いません。陸軍の主張や要求など、直に聞き取り意見を交換したいのです」
「会談ですか……。小官の権限では何ともなりませんが、ともかく上官に掛け合ってみましょう」
「ええ、是非ともお願いします」
「個人的にも、やはり自国の市民に迷惑を被らせる今の状況は、あまり心地良くはありませんからね。何とか尽力いたします」
 息子を殺された親の心境は理解しつつも、この状況が好ましいものではない事は、彼も理解している。おそらく、末端の兵士達も似たような心境に違いないだろう。
 早くこの状況を解決しなければ。そう気を張る一方で、大使に釘を刺された事が俺を躊躇わせる。俺は、此処には事件の収束のために来ているのではなく、ただの調査のために来ているのだ。余計な行動は、厳に慎まなければならない。