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 セルギウス大尉の客室は、俺の泊まっている部屋よりも倍以上の広さはあり、実に豪奢な内装が施されていた。部屋に入って最初の部屋が応接ルーム、右手には寝室、左手は書斎となっている。秘書官になって以来、上流階級の世界と接する機会も多く、豪華な部屋というものは珍しくはない。しかし、相変わらず一人では持て余しそうだとばかり思ってしまう。肩書きは立派でも、感覚は依然として小市民のままなのだ。
「私は書斎を探します。サイファーさんは寝室をお願いします」
「分かりました」
 クレメントとそれぞれ手分けし、部屋の捜索を開始する。寝室はダブルサイズのベッドにサイドボードが一つ、埋込み型のクローゼットという構成で、後は幾つか美術品が飾られているだけである。ざっと見渡した限りでは、置かれている物は初めから添え付けてあった物ばかりで使用感がなく、目立った事件に関係しそうな物は見当たらない。ともかく、何か物証の一つでも挙げる事が出来れば、状況が変わってくる可能性もある。かつて監察官の下積み時代にやっていた家宅捜索の経験も生かし、寝室を隈無く探していく事にする。
 ベッドの周辺にサイドボード、クローゼットの中などを隈無く探る。ただ隙間などに忍ばせていないかを見るだけでなく、独自に改造している可能性も考慮して質感などの変化にも気を配る。そして、美術品にも同様に、丹念に捜査を行う。しかし、これと言って不審なものが見つかる事もなく、ただこの捜査は無意味なのではと思わされるばかりだった。そもそも、セルギウス大尉が何かをわざわざ隠匿しなければならない理由はないのだ。後ろぐらい物が見つからないか、というのは我々の希望的観測に過ぎない。逆に、何も見つからなければ、それはセルギウス大尉には後ろめたい部分が一点も無い事の裏付けにすらなってしまう。
 これ以上は、捜しても何も出ては来ないだろう。そう諦めた俺は、今度は応接間の方を捜す事にする。
 そして、それは丁度俺が応接間のソファーを調べていた時だった。
「サイファーさん、ちょっと来て頂けますか」
 書斎からクレメントの呼ぶ声が聞こえてくる。何か見つけたのだろうか、と俺はすぐさま書斎へと向かった。
「このような物が見つかりました」
 そう言ってクレメントに手渡されたのは、一冊の手帳だった。手帳そのものは非常にありふれた量産品で、表紙の革も薄く、これと言った細工が無い。いささかこの部屋には不釣り合いに見えた。
「セルギウス大尉のものでしょうか?」
「いえ、それが……ともかく、中を御覧になって下さい」
 セルギウス大尉の部屋にあったのだから、それはセルギウス大尉のものではないだろうか。何にせよ、早速俺は手帳を開いて中を確認する。
 手帳のページは全て白紙で、所々に付箋が貼られている。書かれているのは、日々の覚え書きや簡単な日記ばかりで、時折業務に関係する事が含まれている程度だった。そして、丁度一月分ほど読み終えた頃、俺はこの手帳の違和感に気付いた。書かれている内容が、セルギウス大尉の職分と全く合わないのだ。
「お気づきになりましたか? この手帳は、どうやらセルギウス大尉の物ではありません」
「そのようですね。しかし、一体誰の物なのでしょうか」
「おそらくですが……」
 そう言ってクレメントは、俺の手の中の手帳をめくると、あるページの片隅を指差して見せた。
「ここに、新館会合と記されています。これは、決闘同好会の活動を示すものだと思われます。定期会合の日時と一致しておりますから」
「だとすると、これは……」
「我々は、活動の記録は残しませんし、メンバーにもそれを徹底させています。それが守れていないとしたら、これは間違いなくジョエルの物と思われます」
 武官の持つ手帳であれば、確かにこんな質素な物でも不思議は無い。業務記録にしても、念のため確認は必要だが、武官の物として見れば大筋は整合性は取れるだろう。
「私も大まかにしか読んでいませんが、きちんと確認すればジョエルの物である事は明白になるはずです」
「ですが、どうしてセルギウス大尉の部屋にジョエルの手帳があるのでしょうか? 逆ならばまだ話は分かりますが」
 セルギウス大尉とジョエルは女性問題で軋轢があったため、親しいとは言い難い間柄だった。当然、セルギウス大尉がジョエルを部屋へ招く事など有り得ないだろう。そうなると、セルギウス大尉がジョエルの手帳を何らかの方法で持ち去ってきたという事になるが、果たしてそんな事をする意味などあるのだろうか。
「これは……私の憶測ですが、それでも構いませんか?」
「ええ、どうぞ」
 クレメントが何やら神妙な面持ちで手帳を取ると、付箋を頼りにページをめくり、その中の一ページを俺に見せた。
「此処に、ドナについての事柄が記されています」
 見るとそれは、ドナの行動についての不定期な記録だった。ドナがどういった業務のため、何時何処へ誰と向かったのか。昼食は何時から何を食べたのか。業務後は何処へ向かったのか。そういった、あまりに露骨な尾行の記録である。
 ドナは、二人が共通の女性問題で反目していたと言っていたが、まさか言った本人がその対象だったなんて。これはおそらく、本人も知らないままの事実だろう。
「それと、こちらも」
 更にクレメントが見せた別のページには、ドナの食の好みや服や化粧品メーカーの趣向、果てはインクの補充する周期までもがつぶさに記録されている。仕事で必要とあらば俺もこのぐらい綿密な調査はするが、個人の趣味の範囲であれば明らかに度を越した内容である。とても、単なる好みだけでは人をここまで観察する事などモチベーションが続きはしない。
「これは、二人の女性問題についてジョエル側の裏付けにはなりますね」
「それだけではありません。この手帳を見たという事は、セルギウス大尉もまた、我々と同様の感情をジョエルに抱いたという事になります」
「ジョエルはドナに対して普通ではない感情を抱いている?」
「感情と呼ぶより、情念でしょうか。ともかく、仮にセルギウス大尉がドナに対して特別な感情を抱いているともなれば、とてもジョエルを放ってはおけないでしょう」
「確かジョエルは、セルギウス大尉には無理やり決闘に付き合わされたと言っていましたね」
「ええ。つまり、これが決闘の原因なのです。ゴットハルト氏に早速この手帳をお見せ致しましょう。二人は、公使の愛人に横恋慕した末に決闘をした。こんな下世話な事実を公に出来るはずがありません。アクアリア人は何より体面を重んじるのですから、すぐに引き下がってくれるはずです」
「ですが、この手帳の出処は? どうしてこの部屋にあったのかが、まだ分かりません」
「きっと、どこかで落としたのをたまたま拾ったのでしょう。同好会の会合という接点が二人にはあるのです。それくらい、有り得ない話ではありませんよ。さほど重要ではありません」
 確かに、たまたま落とした所をセルギウス大尉が拾い上げ、しかしあまり仲の良くないセルギウス大尉はつい手帳を渡しそびれてしまった、それで説明が付くようにも思う。けれど、少々順番がおかしくはないだろうか。手帳を目にする前から、二人は反目し合っていたはずである。それとも、手帳はあくまで決闘の引き金でしかないという事なのか。
 分からない。クレメントの言い分は正しく思えるが、どうにも何か見落としているような不安感が、いつまでも俺の胸中に渦巻き続けていた。