戻る

 ゴットハルト氏は、昨夜と同様にソファーに浅く座って、こちらの到着を待っていた。相変わらず息苦しさを覚えるような存在感で、敵地にありながらも少しの気の緩みも覗かせていない。歴戦の猛者というものはまるで職人が作った武器のようだ、そんな事を思った。
「突然の呼び立てに応じて貰い、感謝する」
「いえ、私にはお気遣い無用ですよ。それに、こちらもお話したい事がありましたので」
 一礼しながら対面のソファーに腰を下ろす。そのまま視線を合わせると、ゴットハルト氏は鋭く睨み付けるようにこちらを見て来た。彼にとっては何の変哲もない仕草なのだろうけれど、俺にとっては思わず視線を外したくなるような挙動に駆られる威圧感を覚える。会談自体は問題無いのだが、このように神経をすり減らせるため、あまり長時間は向かい合いたくはない。
「早速だが、本題に入らせて貰う。これを見て貰いたい」
 そう言ってゴットハルト氏が差し出したのは、黒い革の装丁の日記帳だった。
「これはどなたの物でしょうか?」
「息子のものだ」
 憮然と答えるゴットハルト。
 息子、つまり亡くなったセルギウス大尉の日記帳という事である。先程、クレメントと一緒に私室を捜索した時は見つからなかったが、彼が持っているという事は、やはり初めから総領事館内に持ち込んでいなかったのだろう。
「拝見しても宜しいでしょうか?」
 ゴットハルト氏は無言のまま小さく頷く。俺は気が変わらぬ内にと、すぐに中を開いた。
 日記は丁度年始から日付が始まっている。かなりまめな性格だったのだろう、毎日欠かさず付けられており、文字数も五行程度で前後している。日記の内容は、日常の出来事などを非常に簡潔な文体で付けているだけだった。時折、軍事演習に関わる事柄らしい隠語を交えた記述もあり、分かる者が読めばアクアリア軍の陣容や兵站の規模などが推測出来るだろう。この日記は、機密文書と言えば機密文書に当たるかも知れない。
 日記帳のページを事件のあった三ヶ月程前まで飛ばす。その頃には既にリチャードとの交流があったらしく、時折その名前が文中に登場するようになっていた。総領事館に詰める事も増え、より演習から遠ざかる事への焦りや、不相応な階級と部隊内での微妙な立場に対する苛立ち、そういった内面的な事への言及が少しずつ増えている。それは、リチャードの証言とほぼ一致しているようだった。そして、決闘同好会への入会と活動内容については、読み手にも伝わってくるほど快活な文体で綴られていた。セルギウス大尉は間違いなく、リチャードと決闘同好会に感謝と敬意を示している。それが彼にとってどれだけ特別なものなのかは、改めて検証するまでも無い事だろう。
 そんな人生の転換期を迎えている文面も、読み進めて行くに連れて次第に陰りを見せ始める。それは、彼女と表現されている女性が、何か悩みを抱えている事を気にかけているものだった。彼女とは公務でも多少の接点があり、面識は以前からあったという。それが、実は決闘同好会の会員でもあり、それ以降は親しい付き合いがあったようである。それだけに、彼女が抱えているらしい悩みについてセルギウス大尉は親身になっていたようである。
 セルギウス大尉と公務上の接点があり、決闘同好会の会員である女性。それは、まさか。
 そんな事を思いながら読み進めて行く内に、唐突にその名が文面に現れた。
 やはり、ジョエルだった。
 簡潔だが強い怒りを感じさせる一文である。思わず息を飲み、文字を指で指し示しながら繰り返し文面を確かめる。だが、何度繰り返そうと文面が変わる事はない。
「ここに書かれているジョエルとは……」
「知っている。先日、自殺した武官であろう?」
 その指摘を受け、自分がその件をゴットハルト氏へ報告へ行った事を思い出す。そうだ、ゴットハルト氏はジョエルが直接手を下した犯人である事を知っていたのだった。
「日記を読む限り、どうやらジョエルは横恋慕をしていたらしい。息子はその事に気付いていたようだ」
 ジョエルの手帳には、ドナについての事が事細かに記されている。つまり、辻褄は合ってしまったのだ。
「実は、ジョエルの手帳と思われる物が見つかりました。そこには、この日記に記されている女性と思わしき人物について、事細かに記されています。この日記の内容に誤りは無いようです」
「ならば、息子が決闘を挑んだ理由も明確になったであろうな」
 更に日記を読み進めていく。日記の内容は次第にジョエルについて多く書かれるようになり、そのほとんどが彼に対する怒りや不快感を滲ませる文体だ。そして、時折件の彼女に対する心境も記されるようになっていく。これはつまり、セルギウス大尉がジョエル同様にドナへ想いを寄せている事であり、ドナの言う共通の女性問題に繋がって来る。
「息子は、不埒者を成敗しようとしたが、何者かに謀殺された。それが真相だ」
 ゴットハルト氏が簡潔に述べた真相は、全く反論の余地が無かった。二人が半ば強引に決闘する事になったのも、こういった事情の上でならば何も違和感がない。そして、当初は二人の決闘を女性問題をこじらせた末の醜態だと猥雑化するつもりだったが、これではセルギウス大尉に決闘を挑む大義名分が出来てしまう事になる。つまりこれは、明らかにセディアランド側の過失という事だ。
「貴殿の用件はそれだけかね。では、こちらの本題に入らせて貰おう」
 ゴットハルト氏の視線がより強く突き刺さる。意図した気迫が、こちらに注ぎ込まれているのが伝わってきた。これは、漠然としたセディアランド側への怒りの感情だ。
「息子の無念を晴らし、汚名を濯ぐために。私は真剣勝負を決闘同好会へ申し込む。それを受ける事を条件に、このストルナ市からただちに撤退させる事を約束する。この旨を、ドナ二等書記官へ伝えて貰いたい」
「待って下さい、何故彼女なのですか? 同好会の会長は―――」
「傍観者に用は無い。私は、卑劣な謀略で息子を貶めた者こそ、雪辱を晴らさねばならんのだ」